第26話 9月30日

「さあ、今日から面会が解禁だよ〜。午後一時からだからね〜、覚悟しておくように」


 翌朝。個室に移された僕を安住さんはうれしそうに脅す。どうもこの人は、僕が困るのを見るのが楽しいらしい。

 屈辱のオムツと尿道カテーテルを外し、ドレーンも抜去してもらう。点滴は当分必要だが、両腕に刺さっていたものが片手だけになって、ようやくベッドを離れることができるようになった。


「でも、まだ絶対に歩いちゃ駄目。動くときは車椅子でね。食事は許可が出てないから、アイスの買い食いとかは厳禁だよ」

「僕は中学生ですか!」

「でも、これで安心して面会できるね? オムツを履いたまんまじゃさすがにイヤでしょ?」


 ウザい無駄口を叩きつつ、手はていねいに動く。


「……安住さん、そうやって患者をいたぶってばかりだとそのうち地獄に落ちますからね」


 だが、彼女はニッと笑うだけで答えない。


「あとはそうねぇ、髪も洗っとく? せっかく彼女とご対面って時にベタついた髪じゃ嫌でしょ?」

「……彼女? いませんけど?」

「またまた〜、本命は誰かな? 毎日来てた猫っぽい無口な子? それともワンコっぽい方? 口調がギャルの清楚系?」

「誰でもありません!」


 さすがにウザくなってきたので適当に追い払う。


◆◆


 点滴で栄養補給をされていると食事時間がないので時間間隔が曖昧になる。ぼーっと窓の外を眺めていた僕は、控えめなノックの音でふと我に返った。


「あ! はい。どうぞ!」


 返事を返したが扉の向こうの気配に動きはない。聞こえなかったかともう一度口を開きかけたところで、ゆっくりと扉がスライドし、警戒する猫そっくりの表情で先輩がひょこっと顔をのぞかせた。


「優里先輩!」


 僕の胸に安堵が広がった。向こうも同じだった。むっとした表情がふっと緩んだ。だが、先輩はふにゃふにゃに緩みかけた表情をどうにか引き締め、いかめしい表情で大股に僕のそばまでやって来た。


「四持、君は、自分がいかに無謀で危険なことをしたのか、ちゃんと理解しているね」

「……はい」


 やっぱり怒ってた。すごく怒っている。

 僕は目を合わせられず、思わず下を向く。

 先輩が息を吸い、右手を大きく振り上げたのが気配でわかった。僕は平手打ちのショックに備え、歯を食いしばって目をつぶる。

 だが、衝撃はいつまで待っても来なかった。


(あれ?)


 上目遣いに薄目をあけると、先輩の目には涙が浮かんでいた。

 いつも冷静で皮肉屋な先輩が、振り上げた右手をどうすることもできずに震えている。


「先輩?」

「君は……本当に……」


 それ以上はまともに声にならなかった。

 先輩は振り上げた右手で僕の頭をそっと自分の胸に抱き寄せ、つぶやきのような声をもらす。


「無事で……本当に良かった……ありがとう……太陽」


 その声は震えていた。

 最後の一言に、今まで聞いたことのない優しさがこもっていた。まるで大切な宝物の名前を口にするように。


「……優里先輩」


 僕はポロポロと涙をこぼす先輩の背中に、点滴のない左手をそっとまわし、落ち着かせるようにゆっくりと背中を撫でる。

 一瞬、先輩の肩がピクリと跳ねる。だが、拒絶はなかった。

 僕の手のひらから先輩の体温が伝わってくる。いつもクールな優里先輩も、こんなに普通の女の子なんだと思った。


(この人と並んで歩きたい。これからも、ずっと)


 その想いは、僕の心の奥底から自然に湧き上がってきた。

 パートナーとしての尊敬、一緒にいると安心する感覚、そして彼女を失いたくないという強烈な欲求。それらが一つになって、僕の中で確実に形になっていく。 

 どれくらいそうしていただろうか。

 先輩の震えが次第に収まり、呼吸もゆっくりと落ち着いてきた。

 だが、僕はまだ、この温もりを離したくなかった。この瞬間を、もう少しだけ……


 「太陽」


 やがて、先輩は優しい声で僕の名を呼んだ。

 まだ涙に濡れた目で僕を見つめる先輩の表情には、いつもの皮肉な様子はなかった。ただ優しく、僕の目をじっと見つめている。


「優里……先輩」


 西日が窓から差し込んで、先輩の頬をオレンジ色に染めている。僕はこの一瞬をカメラに収めたかった。でも、今は……。

 それ以上言葉は要らなかった。

 僕らの顔は次第に近づき、やがて一点で交差……

 するかと思った瞬間、個室の扉がガラリと開いた。


「ヨモッシー、来たよー!」

「太陽君!」


 声と共に部屋になだれ込んできた二人は、距離が近すぎる僕らを見て一斉に抗議の声を上げた。


「えー! 先輩、抜け駆け禁止って言ったのに!」

「わー、四持がいっちょ前に色気づいてるし! ウケるー!」


 途端に騒がしくなった病室の空気に、先輩は不満そうにフンと鼻を鳴らして僕から離れてしまった。

 

◆◆


「見舞いなのに僕が食べられないのは理不尽だと思わない?」

「いーからいーから。堅いことはなしって」


 個室のミニキッチンで岩崎さんが紅茶を淹れ、延田の持ち込んだ見舞いのクッキーを女子三人が仲良く頬張ったところで、僕はようやくあの日の顛末を知ることができた。


「結局さ、相手がヘタレだったんよ」


 延田曰く、あの男は出所後、延田の友達とよりを戻そうとして知り合いの部屋に連れ込んだところで突然優里先輩の襲撃を受け、部屋の主と二人がかりで慌てて閉じ込めた……という状況だったらしい。

 

「まあ、あの子はもうクスリで意識がもうろうとしていたし、さすがに私も単独で男二人に逆らうだけの自信はなかった」


 先輩はさらりと言った。でも、クスリで正常な判断を失った男は僕に刃物を向けたのだ。先輩にとっても危険な状態だったはずなのに。


「その点は大丈夫だと思ったんだよ」


 先輩の顔が自嘲気味に歪む。


「私みたいな身体に欲情する男はいないだろうし、いずれ君が援軍を連れてくることは疑っていなかった。まさか、何の策もなく、しゃにむに突っ込んでくるとは思わなかったけど」


 夏の終わり、犯人が刑期を終えて出所したことを先輩は知っていた。彼が改心するとは思えなかった先輩は、別れさせた延田の友達に彼と連絡を取らないように何度も説得したが、うまくいかなかった。しばらくして延田友の消息が途絶えたところで、先輩は数日がかりで男の部屋を突き止めたのだと言う。


「突入の直前、最悪の事態を想定して、翌日指定で君にメールを打ったんだ」

「何であんな暗号じみた……」

「尾行して突き止めた部屋だったから、はっきりとした住所はわからないし、スマホを取り上げられてメールを覗かれる可能性もあった」

「それなら、なぜ最初から僕に相談してくれなかったんです?」


 僕は半分不貞腐れながら聞くが、先輩は僕と岩崎さんを等分に見て、寂しそうな表情でため息をつく。


「君たち二人は私なんかよりよっぽどお似合いだと思ったんだよ。だから私の個人的事情にこれ以上巻き込みたくなかった」


 先輩の声はどんどん小さくなる。


「君は普通の高校生だし、私みたいな……こんな欠陥品といつまでも関わり合うより、同じ趣味を持つ健康な女子と健全な——」

「ちょっと待って下さい」


 先輩の言葉が、胸の奥にぐさりと刺さった。

 ……巻き込みたくなかった? お似合い? 欠陥品?

 どうして先輩は、いつも一人で決めてしまうんだ。

 僕は、あの時自分の命をかけて飛び込んだ。自分で考えて、自分の意志で決めた。

 それなのに、まるで「仕方なかった」「放っておけばよかった」みたいに言われるのは違う。

 怖かった。不安だった。だけど、放っておけなかった。


「僕の意思は、どこにあるんですか?」


 その瞬間、僕はようやく自分の気持ちを確信した。そう。

 ——僕はこの人の隣に、ちゃんと自分の足で立ちたかったんだ。


「ほら、やっぱりこうなったっしょ」


 延田がホラ見たことか、とでも言いたげな表情で、目を見合わせる先輩と岩崎さんを等分に見た。


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