第19話 9月10日(3)

「いや、付き合ってはいないけど? 何でそんなことを聞くの?」

「あの人は太陽君にふさわしくないと思います」

「いやだから、先輩と僕とはそもそもそういう関係じゃないし」

「でも……」

「先輩も言っていた通りだよ。僕は出来の悪い助手だって。この事件を解決するとすればそれは彼女——」

「それはおかしいです。太陽君にはもっとふさわしい人がいます。あんな性格の悪い先輩に仕えるなんて……悔しいって思うのは、私のわがままでしょうか」

「待ってくれ!」


 僕は大きな声を出した。

 思ったよりはるかに硬い、冷たい声だった。

 顔が熱く、耳鳴りがした。どうやら僕はかなり怒っているらしい。


「確かに先輩は口が悪い。他人の目を気にしない自分勝手な所もある。それは否定しないよ。でもね、よく事情を知らない人にそこまで非難される筋合いはないんじゃないかな?」


 僕は普段あまり怒らない。怒れないと言ってもいい。ヘタレだ弱気だとバカにされることもあるけど、決して自己主張ができないわけじゃない……と思う。

 僕は、優里先輩は本当は優しい人だと知っている。壮絶な体験をして、人が信じられなくなったことも知っている。

 だから、彼女が誤解をされたままなのがいやだった。それを正すつもりで口を開いたのだけど、自分でも驚くくらい語気が荒くなって、かなり後悔した。


「あ……」


 でも、驚いたのは岩崎さんも同じだったらしい。

 瞬間、口を開いたまま動きを止め、僕の視線を避けるようにさっと顔を伏せた。


「あ、ごめん、つい」


 岩崎さんは一度だけ僕を見て、何か言いかけてやめた。唇が震えていた。

 その一瞬、彼女の目に宿った感情は、僕に対する怒りか、それとも落胆だったろうか。


「私こそすいませんでしたっ! あの、私、先生を探してきます」


 それだけ言い残すと、まるで何かから逃げるように走り去っていった。


◆◆


 自己嫌悪に陥りながら、とぼとぼと自分のクラスの応援席に向かう。

 ちょうど部活対抗リレーがが終わったタイミングで、全力を出し切った選手達が顔を上気させながら戻ってきていた。クラスメイトにハイタッチされ、爽やかに笑い合う光景はまばゆい。思わずカメラを構え、シャッターを切ったところで後ろから肩を叩かれた。


「四持、頑張ってる?」


 振り向くと明るい髪の少女がいた。ド派手な蛍光色のフェイスペイントがしっくりと似合って見えるところはさすがギャルだと感心する。


「なんだ、延田か」


 レンズを向けると「撮んなし!」と頭をはたかれた。


「なんだって言うな。それより四持、全然姿見ないけど、どこで写真撮ってんの?」

「ああ、色々事情があって撮影班からは外された」

「え! ええっ! 四持今度はなにやらかしたの? 盗撮?」

「やらかしてない。ちょっと面倒ごとが起きてね、僕はそっちの対応に回されたんだよ」

「なんだ、じゃあまた探偵やってんの?」


 そう言いかけて、ハッと気付いたように顔を曇らせる。


「まさか、またあの女が出張ってきたりしてないよね?」


 ジャージの胸元をつかまれ、眉間にしわを寄せて顔を寄せてくる延田。


「比楽坂先輩なら図書室に来てるけど?」

「四持ぅ、あんたいい加減あの女に関わるのはやめなって!」


 僕は彼女の手を振りほどきながら小さくため息をつく。

 延田といい、岩崎さんといい、どうして僕のまわりの女子は揃って優里先輩を目の敵にするのだろう。


「それよりちょうど良かった。延田に聞きたいことがあったんだ。確か前に、叔母さんが古沼のOBだって話をしてたよな」

「あ、そうそう。私の——」


 その時クラスメイトの女子が延田を呼んだ。どうやら次は彼女の出番らしい。


「悪い、続きは後でいい? あーし借り物競走に出んのよ」

「え? 借り物競走なんて似合わないな」

「四持ウルサい!」


 自覚はあるらしく、彼女は腕を軽く振り上げ、半笑いしながらグラウンドに出て行った。

 ……と思ったら、またすぐに駆け戻ってきた。


「おい、競技始まってるぞ?」

「だからよ。四持あんた、ちょっと借りられてくんない?」


 言いながらぐいぐいと僕の腕を引っ張る。


「ほら、早く!」

「わかったわかった! で、僕はどんな借り物なんだ?」

「さあね」


 延田は肝心のところを黙秘すると、僕を引きずるようにゴールインした。彼女の手の中の紙を審判があらため、白い旗が上がって歓声が沸く。


「ほら、行った行った!」


 しっしっと邪険に追い払われ、応援席に戻る。目立たない陰キャがどうして選ばれたのかと、好奇の目にさらされ居心地が悪い。 

 針のむしろに座らされたような気持ちで待つこと十分、ようやく延田が戻ってきた。

 彼女は僕の姿を見ると、なぜか顔を赤らめ、照れくさそうに笑う。

 だが、僕が真剣な表情を崩さないのに気付いて、何かを悟ったように肩をすくめた。


「自販機に行こうか」


 彼女はそのまま僕の前を素通りし、一直線に昇降口近くにある自販機コーナーに向かう。


「何か飲む? さっきのお礼におごったげる」


 延田は自販機の前でくるりと回り、返事も待たずにボタンを押した。ゴトンと重い音がして、彼女は取り出したアルミ缶をニヤリと笑って僕に差し出す。


「はい、ドクペ」

「あのなあ、せめて希望を聞けよ!」

「へ? せっかくあーしが奢ったげようって言ってんのに」

「……じゃあもらう」


 からかわれるのにはもう慣れた。

 僕は渋々小豆色のアルミ缶を受け取ると、半ばやけっぱちにプルトップを引いた。吹き出る泡にむせる僕を見て延田が笑う。


「そろそろいいか?」


 延田は小さく頷き、自販機のそばの壁にもたれて覚悟を決めるように大きく深呼吸した。


「四持さあ、実はもう気がついてるんでしょ?」


 僕は唇を引き締め無言で頷いた。


「一つ聞きたいんだけど、どうしてわかったの?」


 延田は不思議そうにそう訊ねてきた。


「朝のこと、覚えてるか?」

「朝? ああ、私がクラス旗を持ってうろついていた時……」

「そう。実は僕、延田の様子をあそこから見てたんだ」


 僕が指さす先には、屋上に翻る校旗と国旗があった。


「これだけの人数だと、後ろから指揮台の上にいる人の顔を撮影するのは難しいからね。全体を撮るには屋上に上るしかない」

「ええ、じゃあ?」

「ああ、延田は髪色が目立つし、なんだか変な動きをしてるなって。応援席から体育館前の集合場所に行くのに本部テントの裏を通るのも遠回りだし。でも、たぶん何か勘違いをしたんだろうなって、その時は思った」

「なんだそれ? あんまりバカにするなし」


 延田はひじでグリグリと僕の脇腹を突いてくる。


「だから、優勝旗の騒ぎと延田の行動はすぐには結びつかなかった」


 不思議そうな顔で見返す彼女。僕は目をそらし、手の中のドクペの缶を転がしながら淡々と言葉を続ける。


「決め手は、優里先輩の『三十年前の目撃者を探せ』って一言。そこで延田の叔母さんの話を思い出して、一気に繋がったんだ」

「そうか……あーし、自分で手がかりをばらまいてたんだね」


 延田の声も平坦で、いつもの弾むような調子はなかった。


「優勝旗は、クラス旗で包んで体育館の用具置き場に持ってった。あそこは体育祭が終わるまで誰も入ってこないと思ったし」

「……なるほど」

「優勝旗がなくなれば、騒ぎになる。それは判ってた」


 延田は顔を起こし、どこか遠くを見るように視線を空に向ける。


「何でそんなことを?」

「三十年前の緑古戦、緑陵ウチらが勝って古沼は負けた。叔母さんもそう言ってた。図書館で司書先生に調べてもらって、記録でもそうなってるって。でもね……」


 延田は視線を戻し、僕の顔をじっと見つめた。


「この前叔母さんと会って、あーしが来週体育祭だって話したら、叔母さんがぽろっと言ったんよ。『本当は古沼高が勝っていたはずだった』って」

「え? どういうこと」

「最後のリレーで誤審があったって。『僅差だったけど、私は確かに先にゴールした』って、すごく悔しそうだった」


 なるほど。叔母さんの無念はわかる。でも延田の行動との繋がりがまだ見えない。


「三十年も前の証拠なんて今さら見つかるわけない。でもね、でも、叔母さん……もうそんなに長くないの」


 僕は絶句した。喉の奥で言葉が詰まる。


 延田はまるで独り言のように続けた。


「この前会ったのは、叔母さんのお見舞いだったんだ。市民病院でね。叔母さん、すい臓ガンで、せいぜいもってあとふた月くらいだって」


 僕は絶句した。なんと言葉をかけていいのか、すぐには思いつかなかった。


「あーしはバカだから、これ以上、どうしたらいいのかなんてわからない。でも、大きな騒ぎを起こせば、きっと誰かが……あーしよりずっと頭のいい誰かが動いてくれる……それはたぶん四持なんだろうな……、そうだったらいいなって思ったよ」


 延田の目からポロリと涙がこぼれる。彼女はほほを伝う涙に構わず、僕の手を取り、まるで祈るようにささやいた。


「四持、お願い。あーしを助けて。あーしの大好きな叔母さんの無念を、間に合ううちに晴らしてあげたいの」


 いつもの、自信にあふれたギャルの姿はそこにはなかった。


◆◆


 泣きはらした延田を連れて図書室に戻ると、先輩がじっと僕をねめつけた。


「随分と遅かったね。四持、今度はどんな狼藉を働いたんだい?」

「先輩、いきなり人聞きの悪いことを言わないでください」

「いや、この子がさっき、君が女子に手を出しまくっているって——」

「言ってません!」


 岩崎さんが勢いよく遮った。顔が少しひきつっている。


「でも、太陽君には、もっとふさわしい相手が、って――」

「比楽坂先輩!!」


 岩崎さんの声が裏返る。真っ赤になって俯いている。


「わかったわかった、もうやめるよ」


 先輩は苦笑いしながら肩をすくめ、ふっと視線をそらす。


(なんだろう、この空気)


 優里先輩は薄く笑い、岩崎さんは眉をひそめたまま俯いている。

 さすがの僕にも、二人の間に妙な空気が漂っているのは判る。

 岩崎さんはあの後、すぐここに戻ったのだろうか? もしや二人の間で間で何か……?

 だが、先輩は何事もなかったように表情を引き締め、僕に向き直った。


「で? 進展は?」

「ええ、犯人を見つけました。優勝旗のありかもわかりました」

「……」


 僕の重い口ぶりに何かを感じたのか、先輩は無言のまま片眉を上げて先を促す。


「先輩にお願いがあります。まずは彼女の話を最後まで聞いてはもらえないでしょうか」


 僕は延田の肩を抱くようにして先輩の前に押し出すと、深々と頭を下げた。


「どういうことだい?」

「こいつの……延田の叔母さんは三十年前、体育祭の最終種目、クラス対抗リレーの古沼高アンカーだったそうです」


 僕はそう切り出すと、延田の肩を軽く叩いて先を促した。


◆◆


「なるほど。事情はわかった」


 延田の話を聞き終え、先輩は大きく頷いて僕に視線を移した。


「それで、四持、君はどうしたい?」

「僕が依頼されたのは優勝旗の発見です。犯人探しは依頼されてません」

「……詭弁だな。前は危険も顧みず犯人を追求したくせに、今度は見逃すのか?」


 耳に痛い諫言を先輩は容赦なく突きつける。


「……はい」

「それは二重基準ダブルスタンダードとは言わないか? それで正義と言えるのか?」

「僕はそもそも正義の味方なんかじゃありません!」

「かもな。でも、君は感情に流されすぎる。冤罪のリスクだってあるんだぞ」


 先輩の言葉は正論だ。だが、それでも僕は——


「自分の利益のためにやるのと、大切な人のために何かしようとするのは違うと思うんです」

「四持!」


 突然、延田が叫んだ。いつもの軽さのない、低く芯のある声だった。


「四持、それはダメだよ。かばってくれるのは嬉しい。けど、あーし、自分のやったことが悪いのはちゃんとわかってるし。閉会式までに、ちゃんと自分で戻しに行く。だから、四持まで悪者にならないで!」


 じっと見つめられ、僕は言葉を失った。


「……でも、できることなら、延田の叔母さんの名誉だけは取り戻してあげたいんです」

「……はあ」


 先輩はしばらく僕を見つめ、やがて大げさなため息をついてモニターに向き直った。


「なるほど、わかったよ」


 そして積み上げていたビデオテープの最後の一巻を手に取ると、延田に差し出した。


「私には君の叔母さんは見分けがつかない。君が自分で確かめろ」


 戸惑う延田を半ば無理やり座らせ、背後から手を取ると機械の右端にあるダイヤルに添わせる。


「え? でも、あーし使い方が……」

「教える。三角マークが再生、四角が停止、右に回せば早送り、逆は早戻し、このボタンが一時停止だ」

「え、うん……」

「叔母さんはアンカーなんだろ? だったら後ろから探したほうがが早いかもな」


 延田は言われるがままに操作し、やがて対抗リレーの場面にたどり着いた。


「うっわ、若い!」


 モニターには、延田にそっくりな、若き日の叔母さんが映っていた。


「ここからはスロー再生だ」


 先輩は手を重ねて操作を補助する。

 叔母さんは一気に先行走者に追いつき、ゴール間際では確かに横並びだった。

 画面の所々にノイズが乗るが、それでも各選手の息詰まるような駆け引きは三十年前の映像とは思えないほど鮮やかだった。

 と、延田叔母がぐいと歯を食いしばったところで画面はぐっとズームし、選手の胴体とゴールテープだけがクローズアップされる。


「……ここだな」


 延田叔母は右手を前に突き出し、その手にゴールテープを掴んでいる。だが、身体は緑陵高の選手の方がわずかに先に出ていた。


「私は陸上競技は門外漢だが、ゴール判定はランナーの胴体がフィニッシュラインに触れた瞬間で決まるはずだ。手や足は関係ない」

「じゃあ……叔母さんは……間違ってたの?」


 延田は呆然とつぶやき、顔をくしゃくしゃにして泣き出した。

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