第11話 7月26日

 あっという間に夏休みが来た。

 期末考査の結果は可もなく不可もなく。だが補習は免れた。

 ちなみに延田は、といえば、学年十二位という席次表をチラチラ見せつけながら、「あれれぇ〜、四持クン、なんだったら個人授業してあげよっか〜」と散々ドヤってくる。

 その場は丁重にお断りしたのだが、バイト先でもウザいちょっかいをかけてくる。

 陰キャに優しいギャルはいなかったんだと心のなかで血の涙を流し、イジられ続けること一週間。ようやく課外授業も終わりだ。

 だが、図書館へ向かおうとしていた僕は、思いがけない人物の訪問を受けた。


「おい、四持、おまえ探偵やってるんだろ?」

「は、探偵?」

「延田が言ってたぜ。校内の厄介ごとを解決して回ってるって。すごいよな」


 ユニフォーム姿の見知らぬ男子生徒。背番号がないので補欠か一年生。さすがに同じクラスではなかったはずだか……。


「あ、悪い。オレ、五組の石渡いしわたりだ。見ての通り野球部」

「僕のことを?」

「ああ、延田っているだろ? あのポジティブモンスター」

「……ああ」


 なんと。

 五組は渡り廊下を挟んだ隣の校舎だ。今さらながら、あの怪物モンスターの縄張りの広さに舌を巻く。


「あいつから紹介を受けたんだ。いつでもカメラぶら下げてる陰キャだからすぐわかるって」

「あいつめ!」

「いや、決してバカにした言い方じゃなかったぜ。尊敬してるとかなんとか」

「あいつはすぐそういう戯れ言を言ってからかってくるやつなんだよ。それより何の用だ?」


 休み前にいつもの図書室詣をしようと考えていたのを邪魔され、内心ちょっとイラつきながら聞き返す。


「あ、そうそう、お前に助けて欲しいんだよ。オレ、無実の罪で熊元に睨まれてて」


 熊元は体育科の教師だ。僕は直接面識はないが、名前の通り熊みたいな体格で、性格は高圧的。基本的に生徒を信用しておらず、目をつけられるとかなりウザいとは延田の弁。


「あー、なんだ?」


 面倒だなとは思いつつ、とりあえず探りを入れる。

 石渡はここで初めて表情を引き締めると、ぐっと唾を飲んだ。


「ああ、俺ら、夏の大会はだめだっただろう? だから秋の予選は頑張ろうってみんなで決めて、せっかくだからこの際色々アピっとこうって話になって……特に栗山先輩は、最後のチャンスだから。必死なんだ」

「最後のチャンス?」

「ああ、大学推薦がかかってるし、最近はプロのスカウトも来てるって話だ。先輩、実家の商売も大変らしくて、野球で何とかしないとって……だから俺たちも、先輩のためにも頑張ろうって」

「ふんふん」


 僕は頷いた。確かにその気持ちは理解できる。


「グランドの職員室寄りに遊歩道があるだろ? 俺たちは三年の先輩に言われてあそこで素振りをやることになったんだ」


 これもなんとなくわかる。教師連中に練習風景を見せつけようって目論見だろう。ずいぶんわかりやすい。


「でもな、昨日の夕方、オレが素振りをやってる時、職員室の窓がいきなり割れて――」

「は? 小石でも当たったか?」

「素振りだぜ、んなわけないだろ」


 それはまあ、そうだ。


「そしたら、運の悪いことに割れた場所が熊元の席のま後ろでさ……」

「ああー」


 その先の展開はなんとなく読めた。熊元はガラリと窓を開き、ちょうどその時目の前にいたこの石渡を犯人と決めつけたのだろう。素振りをしていただけだという彼の弁明は通らず、ひどく厄介な立場に追い込まれたと。


「僕は君を教師に売ることはしない。その上でひとつ聞きたい。本当に何もやってないんだな」

「ああ。一龍の〝本格チャーシュー麺、チャーシュー増量麺大盛り〟に誓って。本当に俺はバットを振っていただけだ」

「ふむ」


 僕ら男子生徒にとって、最寄り駅のそばにある中華料理屋「一龍」のラーメンは一種の仮想通貨だ。彼の提示したメニューは一龍のメニューの中でもっとも高額で、つまりこの場合最上級の誠意を意味する。そこまで言う以上ウソはないだろう。


「あ、でも、素振りの衝撃波でガラスが割れたとかだったらちょっと格好いい――」

「アニメかよ! んなわけあるか! じゃあ行こう」

「行こうって? どこに?」

「もちろん現場だろ? トラブルになったのは昨日の何時頃だ?」

「……えー、夕方五時、いやもう少し早かったかな……」


 見るからに及び腰なのは、また熊元に見つかって絡まれるのがよっぽどイヤなんだろう。だが、現場を見ないと僕だって何も判断できない。


「大丈夫、大丈夫。生徒会に頼まれて写真を撮りに来たって言うから」

「えー」


 普段こき使われているんだ。こんな時くらい虎の威を借りてもバチは当たらないだろう。


 僕はそれでも腰が引けている石渡を半ば引きずるように遊歩道に向かった。


「うわー、暑いな」


 空には今日も雲一つなく、西に傾きかけた太陽が職員室のガラスに反射して強烈に照り返していた。まるで太陽が二つに増えたようなものでまぶしさはもちろん猛烈に暑い。


「よくまあこんなところで……」


 顔をしかめる僕に、石渡は処置なし、とでも言いたげに両手を広げた。


「体育系の部活じゃ三年生は神、逆らえないさ」

「そんなもんなの?」

「……ああ」


 頷く石渡の視線の先では、お互い掛け声を掛け合いながらバットを振る野球部員の姿がある。

 窓で反射した夕日は部員たちの顔を照らし、さらには地面にも幾何学的な光の模様を描いている。

 と、どこかでピシリッとムチを振るうような音がした。


「ん? 今の音は……」


 僕は反射的に音の出所を探す。野球部員たちも素振りをやめて、きょろきょろと辺りを見渡している。

 次の瞬間、僕のつぶやきをかき消すようにけたたましい防犯アラームが響き渡った。


「またお前たちかっ!!」


 突然の出来事に野球部員たちがざわめく中、ガラリと窓が開き、グラウンドまで届きそうなどら声があたりに響き渡る。


「いえ、俺たちは何も……」

「見ろ! また大きなヒビが入っているじゃないか!!」


 二年生らしき部員がしどろもどろで弁解しているが、室内の相手……熊元はまったく聞く耳を持たない。まるで機関銃のように立て続けに大声で恫喝し、野球部員はすっかり萎縮してうつむいてしまった。


「いいか! この件は顧問と校長に報告し、厳正な処分を――」

「待ってください!」


 僕は思わず大声を上げた。


「何だお前は!?」

「一年の四持です。生徒会の依頼で状況写真を撮りに来ました」


 僕は目の前で見ていた。

 あの鋭い音——恐らくガラスにヒビが入ったときの音——の直前まで、野球部員たちは和やかすぎるほどにのんびりと素振りを続けていた。何かを仕掛けようとする雰囲気は皆無だった。

 窓のヒビには別の理由がある。そう考える方が自然だ。


「うるさい! 無関係の部外者は黙っていろ!!」

「それはできませんよ」


 凛とした女声が不意に割り込み、同時にうるさく鳴り続けていたアラームが止んだ。

 まるでエアポケットに落ちたような突然の静寂。

 僕の背後から場に進み出たのは生徒会顧問、吉見先生だった。


「部活動の管理監督も生徒会の仕事です。部外者ではありませんよ」

「しかし! こいつらは、職員室の窓に石を……これは我々生徒指導部の範疇だ。生徒会には関係ない!」

「ええ、確かに。でも、もしそれが事実ならば、です。現時点ではあくまで疑いに過ぎず、その調査や聞き取りも含め生徒会が受け持ちます」

「しかし……」

「先生、生徒の自治が我が校の理念でしたよね? さあ四持、すぐに撮影と全員の証言取りを始めて下さい」


 吉見先生は僕の肩をポンと叩くと、僕の耳に口を寄せて僕一人にだけ聞こえる小声でささやいた。


「先ほど生徒会の名を騙ったことはそれで帳消しにしてあげます」

「は、はいっ!」


 拒否はできそうにない。

 僕はぴしりと背筋を伸ばして敬礼すると、相変わらず硬直したままの野球部員のもとに駆け寄った。

 結局、現場撮影と証言取り、そしてその後の生徒会への報告で、帰りは遅くなった。

 頭の中ではあの現象がぐるぐると回っている。強烈な西日とその照り返し、そしてヒビの入る直前、僕は何か別の音を聞いたような気もする。


(何かが引っかかるんだよな)


 そんなこんなで、優里先輩へメッセージを送ったのは深夜、もうほとんど日が変わる頃になった。

 ところが、送信をタップして数秒もたたないうちに既読になる。


「え!?」


 意外な反応に僕が驚いていると、『明朝七時、桜木町駅前のスタバに来たまえ』とただ一行だけの一方的な返事が戻ってきた。

 既読無視をしなくなったのは大進歩だけど、もう少し、コミュニケーションというものを考えて欲しいと思うのは贅沢だろうか。

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