第36話 真のサキュバス
「仲睦まじいところ悪いけど、そろそろいいかな」
思い出話に花を咲かせていると、土志田さんが割って入ってきた。
「まだ正式に許可を取ったわけじゃないからね。それにサキュバス抑制の聖具もつけていない」
指摘されてようやく俺たちは体を離す。
「とにかく、聖具をつけるまではお互い近づかない事。そのあとなら私の目の前ならすきなだけイチャイチャすると良い」
「ってことはあんなことやこんなことも土志田さんの前でやるってこと?」
「今生の別れになるよりはマシだろ? それくらい受け入れてほしいね」
俺たちのイチャイチャをにやにやしながら見守る土志田さんの顔が目に浮かぶ……それでも何一つ文句は言えないのだけど。
「ということでさっそく聖具をつけよう。とはいえ今は持ち合わせていないのでね。矢走君にはこれから私の家に同行してもらう」
土志田さんは扉を開けて喜律さんに付いてくるよう促す。素直に従う喜律さん。
俺も付いていこうとしたら、
「君はまだダメだ。聖具の装着を終えるまでは念のため近寄らない方がいいからね。ま、明日までお預けってことさ」
喜律さんは赤く腫れた目を気にもせず俺に手を振った。俺も鼻をすすりながら応えた。
扉が閉まり、静まり返る教室。
喜律さんの声が聞こえなくなった途端、全身を駆け巡っていた幸福物質が急速に効力を失っていく。
桃源郷に旅行していた頭脳がようやく帰ってきた。
すると気まずい状況に気付いた。
「あの、リリカ?」
俺を好いてくれていた彼女。素直に協力してくれた彼女。
その目の前で喜律さんとイチャイチャしてしまった。
悪気はなかったとはいえ申し訳ない。
「なんだかいろいろ解決してしまったみたいだ」
俯くリリカの表情は読み取れない。たぶんちょっと前までの喜律さんが乗り移ったようなひどく悲し気な表情をしているんだと思う。
そりゃあそうだ。だってあの天真爛漫な喜律さんですらイチャイチャを見せつけられて気を沈めたのだから。同じ状況のリリカが悲しまないわけがない。
リリカを巻き込んだのは俺の責任。
謝らなければならない。
彼女の許しを得るまでこのサキュバス騒動は終わらないのだから。
だから俺は正座の姿勢に移行した。そのまま額を床につけて、
「本当に申し訳なかった!」
魂の土下座。彼女の恋心を知らなかったとはいえ、結果として恋心を踏みにじってしまった。責任は重い。
もちろんこんなことで許されるとは思わない。頭を踏まれてクズと罵られても受け入れるつもりだ。むしろそれくらいしてくれた方が気が楽になるくらいだ。
「なんで謝ってるの?」
震えた声が降ってきた。
最初は泣き出しそうな声かと思った。
でもそれは違った。
ゆっくりと顔を上げると、そこにあったのは悪魔の笑み。目を細め、口角は吊り上がり、鼻の穴を膨らませている。
「最高の結果じゃん」
震え声は悲しみじゃない、喜びによるものだった。
その理由がさっぱりわからない俺は茫然と彼女の艶やかな相貌をみつめるしかできなかった。
「まずは戸締りしないとね」
リリカはそう言うと、扉の前に移動し鍵をかけた。
そして俺の正面に回り込んでしゃがむと、
「見て。これ、この部屋の鍵。さっきキリっちゃんからこっそり盗んだんだ」
鍵を見せびらかしてきたけど、そのアピールの意味が分からなかった。
「空き教室の鍵って一本しかないんだよ。つまり誰も中に入って来られない」
「……だからどうしたんだよ」
「邪魔者が来ないってこと」
リリカの荒い鼻息が吹きかかり、前髪が揺れる。洋菓子に塗られている砂糖衣のような甘ったるい匂いがした。
直後、首を掴まれた。
「! く、苦し……!」
全身を片手で持ち上げられ、足が地面から離れる。気道が塞がって息ができない。
細い腕を振り払おうと必死にあがいていたら、背中から地面に叩きつけられた。強い痛みに襲われながらも酸素を確保する。
「……逃がさないよ。絶対に」
今度は俺の腹の上で馬乗りになるリリカ。健康的な女の子の重量はそこまで苦しくはなかった。
しかし頬を朱色に染め、口もとから流れる涎をぬぐおうともしないリリカには心底恐怖した。
デートの別れ際に見せた異常なリリカ。その再来だった。
「どうしたんだリリカ! 怒っているならせめて口にしてほしい。じゃないと俺には今のお前が分からない!」
「まだわからないの? ホント鈍感だね」
「え?」
潤しいピンク色の唇に人差し指を当ててクスリと笑う。腕に押されて内側に寄せられた大きな胸は今にもはちきれそうだ。俺の足をホールドする太ももが電灯の光を浴びて艶めかしく輝いている。
一つ一つの所作が色欲を誘う。
思えばどうしてリリカはこんなにも性的魅力にあふれているのか。喜律さん一筋を謡う俺が思わず浮気してしまいそうなほど男の性欲を惹きつけるのか。現にこれほど緊迫した状況下において、さっきの下着の光景が脳裏に焼き付いて離れない。心のどこかで腹上にいる彼女にこのまま犯されるのを期待してしまっている。
彼女は何者?
もしかしたら俺はその答えを身をもって体感していたのかもしれない。不自然なほど色欲を煽られた俺ならば。
「ずっと待っていたんだよ。エクソシストの警戒が解かれる瞬間を」
「……警戒?」
「そう。あいつは前からアタシの動きをマークしていた。だから身動きが取れなかった。同じ校舎にいる極上の餌に近づくことすらできなかった。そんなとき、アンタが声をかけてくれたってわけ。嬉しかったね。餌が自分から寄ってきたんだから」
「何を言ってるんだ……?」
「で、聞けばキリっちゃんがサキュバス? びっくりしたね。そんなわけがないのに。でも同時に閃いた。キリっちゃんを使えばエクソシストの目を逸らせるんじゃないかって。だからわざと乗っかった。わざと白状するよう扇動した。キリっちゃんが一時的にでもサキュバスになってくれれば、その瞬間だけアタシの監視が解かれる。極上の餌と二人きりになれる」
ぺらぺらと、勝利を確信した犯人がネタ晴らしするように独白する。
「アタシがサキュバスだよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます