第34話 「サキュバスは私です」
特別教室棟の部屋は普通教室の半分ほどの広さとなっているが、机も教卓も置かれておらず、せいぜい掃除用具入れが隅に置かれているくらいで、思った以上に広々としていた。
「本当は机の一つでもあったほうがいろんな体位が取れるんだけどね」
リリカは電気をつけてカーテンを閉めた。本校舎の屋上からの覗き対策だ。
そして早足で部屋を横断して扉に鍵をかけた。埃の匂いが鼻につく。
「これで楽しめるね」
密室に残された若い男女二人。意識するなという方が無理がある。
久しぶりにリリカの立ち姿を正面からじっくり見た気がした。
小悪魔感のある顔立ち。脱がなくともわかる大きな胸。太すぎず細すぎないウエスト。極めつけは短いスカートのから伸びる肉付きのいい脚。どこをとっても魅力的。男の性欲を掻き立てる体つきだ。
「それじゃあ始めよっか」
眼前に迫る明るい色のツインテール。バラの刺激的なにおいがした。
リリカはいやらしい目つきで舌なめずりをして、片手を俺の肩に、片手を腰に回した。自然と豊満な胸が押し当てられる。
昨日何度も経験した全身を抱擁するようなマシュマロ感に、今日も心臓の高鳴りを抑えることはできなかった。つくづく男はエロスに従順。
我慢しないといけないのに。
だってこれから土志田さんが乱入してくるのだから。
「そこまでだよ」
「! なに?」
リリカは驚きの声を上げて俺から離れた。そして声の源、部屋の隅にある掃除用具入れに目を向ける。
「ノコノコと現れたね。愚かな淫魔よ」
スチールの箱から出てきたのはお馴染みの黒パーカーを制服の上に羽織った貧体女子。
エクソシスト、土志田千子。
「クックック。今日が年貢の納め時だよ」
低い声を部屋中に響かせる。
「なんでチコチーがそんなとこにいるわけ?」
「待ち伏せしていたのさ」
睨むリリカ、ニヤリと冷笑する土志田さん。バチバチと火花を飛ばす。
「さあサキュバス君。おとなしく投降するんだ。そうすれば手荒な真似はしないよ」
「……はあ? 意味わかんないんですけど」
土志田さんが一歩近づく。リリカが一歩後退る。
「思い当たる節があると思うがね。胸に手を当てて考えてごらん? ……おっと。その無駄な脂肪が邪魔してその心臓に問うことができないのか。巨乳差別してすまなかったね」
一貫して私怨を抱いていらっしゃる。
「とにかく。貴様の野望もここまでだ。極上の餌を食べることなくこの世から去ってもらおう」
土志田さんは胸ポケットから十字架を取り出した。
「マジで意味わかんないんだけど。ちょっとナリピー助けてよ」演技達者なリリカ。まるで自分がサキュバスのように恐怖に似た声を出して俺を見た。
本来なら俺も演技をしなくちゃいけないんだけど、もうどうでもよくなっていた。
「大丈夫。問題ないから」
サキュバスじゃないリリカには十字架も悪魔祓いも効きやしない。
このあと起こることは恥をかいた土志田さんが癇癪を起すくらいだろう。何も問題はない。
そう思っていた。
扉の鍵が開けられるまでは。
ガチャリ、と背後で音がした。三人の視線が扉に集まる。
「ちょっと待ってください」
平静な声とともに静かに開けられた開き戸。
リリカとは正反対の慎ましいスタイルをした実直ちゃん。俺がこの世の誰よりも愛し感謝している相手。
矢走喜律がそこにいた。
「喜律さん! どうしてここに!」
心臓が跳ね上がった。
喜律さんは答えることなく俺とリリカを一瞥してから、土志田さんに向き合う。
「土志田さんに伝えなければならないことがあります」
その表情は覚悟を決めていた。何を伝えたいのか、彼女の性格をよく知る俺なら容易に理解できた。でも止めることはできなかった。彼女の謹厳実直な性格を誰よりも知っているから。
喜律さんは一つ息を吸ってから、琴線のように張り詰めた声で、
「サキュバスは私です」
そう告白した。
瞬間、俺の中のすべてが音を立てて崩れ落ちた。すべてを諦めかけた俺に差し込んだ太陽のような笑顔も、彼女への憧れが生み出した射石飲羽の精神も、一緒に楽しんだゲーセンデートの思い出も。
俺は全身の力が抜けたように項垂れた。
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