第32話 終局への入り口
「別れましょう」
引き出してしまった。最悪のワードを。
「このままでは成仁さんが危険なんですよ。私はまだサキュバスである自覚がありません。しかしいつかその正体が姿を現したとき、何をするかわかりません。土志田さんの話によれば、極上の餌と呼ばれる男性の命が尽きるまで行為を続けると言います。つまり私が成仁さんを殺してしまうのです」
久しぶりに俺の目を見てくれた彼女の目には雫が溜まってた。
「最初は成仁さんにお任せするつもりでした。もし私がおかしくなったら抵抗してくれればいいと。成仁さんが何とかすると言ってくださったので、その言葉に甘えてしまっていました。楽観的にとらえていました。けれでも、あなたと一緒の時間が増えるにしたがって、事の深刻さに気付いてしまいました」
騒がしいはずの教室なのに、俺たちの周りだけ隔絶されたみたいに静かだった。
「成仁さんのことが好きになってしまいました。だから殺すことも、傷つけることも、醜い姿を見せることも、許容できません」
「……」
こんなに悲哀な告白は初めてだ。
こんなに好きだと言われて悲しいことはない。
俺は首を横に振った。
好きになったから別れたい。サキュバスの姿を見せたくない。
「そんなとき、昨日のデートを見て思いました。朝久場さんとなら成仁さんはうまくやっていけると。美人ですし、スタイルもいいし明るいし、なにより私と違って成仁さんを楽しませることができます。もうサキュバスの蠱惑に騙される必要はありません。命の危険もなく、人間同士の正統性のある恋愛をするべきです。それが成仁さんの幸せです。私もそれを望んでいます」
殴ってやろうかと思った。ついさっき一瞬でも喜律さんを疑った俺を、そして自分の不幸を願う俺の最愛の女神を。
誰もそんなこと望んでるわけないだろ!
「その通りだと思うよ」
「は?」
口を挟んだのは真面目な顔のリリカだった。
「サキュバスなんでしょ? 男を騙す悪魔。性交して命までも奪う悪魔。このままナリピーと一緒にいても殺すだけじゃん。だったら別れるべきじゃない?」
「お前! 何言って!」
大声で立ち上がる。
クラスがざわつく。視線が向けられる。どうでもいいそんなこと。
「お前に何がわかるんだ!」
「アタシにはわからないとしてもキリっちゃんはわかってる。好きな人に醜い一面を見られるのって、死ぬよりも辛いことだって」
喜律さんはうつむいたまま反論しない。
「この話を聞いた時からおかしいと思ったんだよねー。殺す殺されるの関係なんて悲劇の結末しか待ってない。だったらさっさと別れた方がお互いのためでしょ。ナリピーは別の女を探せばいい。キリっちゃんは金輪際男とかかわらないようにすればいい。万事解決ー」
「余計なお世話だ。俺は殺されても構わない」
「アタシはイヤだ。だってナリピーのこと好きだもん」
「はあ?」
もう何なんだよコレは。
「一目惚れ。前からあんたみたいな強面男子がタイプだったの。アタシ意外と本命には奥手だからさ、なかなかアプローチできなくて。だから話しかけられたときはチョー嬉しかったね。デートもできてサイコーだった」
そして俯いた人形に迫る。
「好きな人に死んでほしくないの。だからキリっちゃんには、まだ人間としての良心を残したキリっちゃんには手を引いてほしい。ナリピーのために、アタシのために。人間同士の恋のために」
勝手に話を進めるなよ。進めないでくれ。俺を置いていかないでくれ。
「……その通りだと思います。素直で、誠実で、人様に迷惑をかけない。それが私の生き方」
喜律さんは食べかけの弁当を畳む。
そして静かに立ち上がり、
「ありがとうございました。とっても楽しかったです。さようなら」
振り返ることなく俺のもとから離れていった。
もう考えられない。目まぐるしい現実に思考が押しつぶされる。
喜律さんの姿が見えなくなり、自然と落ちた視線の先、机の上には大粒の雫が落ちていた。俺のモノなのか、彼女のモノなのか、それすら判別できなかった。
終局が迫っている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます