第5話 不気味な土志田さんはエクソシスト
「あー眠」
翌朝。ふらふらした足取りで無人の教室に入る。
昨晩は考え事が多すぎて眠りが浅く、すぐに目を覚ましてしまった。おかげで人生初の教室一番乗りを達成したよ。
「この二日でどんだけ人生初を達成してんだか」
電気をつけてから席につくと、鞄を枕にして突っ伏す。
このまま朝礼まで仮眠を取ろうと思った。
しかし暗転した視界に浮かび上がってくる文字が邪魔をする。
サキュバス。
矢走さんはたしかにそう名乗った。間違いなく自分がサキュバスだと宣言した。
いったいどういう意味なのだろう。
いや、もちろんサキュバスの意味は知っている。
サキュバスとは夢魔、淫魔とも呼ばれ、中世より伝わる空想上の生き物だ。宗教ごとに差異はあるが、美しい女性の外見をしており、悪魔の羽を持ち、夜な夜な男の前に現れて性行為に至る。男はその魅力的な体と特有の妖力によって虜にされ、性行為の快感から二度と抜け出せなくなるらしい。中には男が死ぬまで精液を搾取し続けるとか。
とにかく美しさと狂気を兼ね備えた恐ろしい悪魔なのだ。
まあサキュバスの話はどうでもいい。
肝心なのは、なぜ彼女が悪魔を名乗ったのか、ということ。
断っておくけど俺はオカルトなど信じていない。闇夜の空に飛ぶ光はUFOじゃなくて衛星だし、心霊写真で窓越しに写る不気味な顔は死者の怨念じゃなくてシミュラクラ現象だと断言する。
サキュバスも同じ。空想上の存在にすぎない。
だからこそ不思議なんだ。
実直すぎて嘘をつきたくてもつけない矢走さんが、どうしてこんなにも荒唐無稽な嘘をついたのか。
それを昨日から考えているんだけど、答えが見つからなくて。
サキュバスと偽ることでメリットがあるのだろうか? 何か目的があるのか? 実は淫乱なんですという示唆? それならそれで大歓迎だけど、まずありえないだろうし。それとも、もしかして本当にサキュバスだったりする?
って、危ない危ない。悩み過ぎてオカルトに染まるところだった。ここは認知療法で正気に戻ろう。
「サキュバスなんて存在しない。存在しないんだ。うん」
「いや、いるよ」
あれ? 治療に反発したオカルト脳が勝手に声を発したのかな? にしては低く落ち着いた声だな。眠気で脳がバグったか。
「何をおっしゃいますか。いないって」
「呑気だね。淫魔のターゲットにされているというのに」
「どういう……ん?」
顔を上げると、鼻がくっつきそうなほどの至近距離に人の顔。
「うおっ!」思わず仰け反る。
「おはよう番条君」
ひとつ前の席から俺の反応をにやにやと楽しんでいる女子。
毛先にナチュラルウェーブがかかった黒髪ロング、けだるそうな目、整った鼻筋。運動とは無縁の細身で、制服の上に羽織った黒いパーカーがダボついている。
暗がりの写真撮影で背景に写っていたら思わず身構えてしまいそうな容姿の彼女。
名前は
「土志田さんか。びっくりした」
まさか彼女に話しかけられるとは思わなかった。
聞いた話によると、彼女は誰ともつるまず、休憩時間は校内を放浪し、放課後になると忽然と姿を消すらしい。友達はおろか会話したことがある人すら存在しないとか。不気味な容姿も相まって魔女やら幽霊やら散々な言われよう。一説には文化系部室棟の空き部屋で黒魔術の研究に勤しんでいるとも。
馬鹿げた話だと思っていたけど、初めて彼女と対面した今ならそんな噂が立つのも納得できてしまう。それだけの不気味なオーラがある。ちょっと怖い。
そんな心中を知らない彼女は怪談のように低くか細い声を発する。
「驚くことはないでしょ。なんたって私たちは座席が前後という素晴らしい仲なんだから」
「金つばの皮よりも薄い仲だな」
土志田さんは目を細めてくすくすと笑うと、挨拶は終わりといわんばかりに俺の机に肘を置き、グイっと身を乗り出してきた。
「ところで番条君。サキュバスはいないと言ったね。それは間違っている。サキュバスは間違いなく存在する」
……さすが魔女。いきなりぶっこんできたなあ。
こんな与太話、普段の俺なら鼻で笑って即否定していただろう。たとえ相手がオカルトチックな土志田さんだったとしても、毅然とした対応をとっていただろう。
しかし。今の俺は彼女の迷いなき宣告に狼狽えていた。
――こんな偶然あるだろうか? だって昨日の今日だぞ。矢走さんがサキュバスを名乗り、土志田さんがサキュバスを肯定する。ふたりがグルで俺をからかっていない限り、こんな偶然は起こりえないと思うんだ。二人の証言がまるでサキュバスの存在を裏付けているように思えてならない――。
「……どうしてそう断言できるんだ?」
俺が食いついたのを見て、土志田さんは「素直でよろしい」と満足そうに頷いて、こういった。
「私の正体は
「…………………………あ、尿意が」
「ちょっと待って逃げないで」
クソっ。席を離れる前に腕を掴まれてしまった。
「本当の話だよ。人類を魔の手から護っている」
「すごいですねー」
「信じられないって顔だね」
「当たり前だ。誰が信じるものか。押し入り営業と中二病だけは信用してはいけないって習ったんだ」
「中二病じゃなくてエクソシストだよ」
「もっと信用できねえよ!」
俺は手を振りほどくと、大きくため息をついた。
ちょっとでも騙されかけた俺がバカだった。これはない。さすがにエクソシストは嘘だ。偶然が重なっただけで、土志田さんはただの中二病でしたってオチ。はい終わり。
「最近、初めてデートを経験したんじゃないかい?」
真剣な眼差しが向けられた。すんと教室の温度が下がる感覚がした。
「え?」
「相手は同世代の女の子。それも本来なら会話することすら恐れ多いほどの……高嶺の花。そんな子と仲良くなったり……あわよくば付き合ったり」
土志田さんは占い師のようなもったいぶる口調で俺の脳裏を覗き込む。
もちろん心当たりはただ一人。
矢走さんのことだ。
しかしなぜ土志田さんがそのことを知っている? 告白したのは昨日の放課後で、まだ誰にも話していないのに。
再び引き込まれる土志田ワールド。彼女の信ぴょう性が屹立した。
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