第24話【番外編】ひとでなしのこい①
※乱歩パロで、自作リメイクの番外編。時は大正時代くらい。
「変だな」と気づいたのは、婚礼の日からちょうど半年程たった頃のことだ。
いや、違う。そうではない。だから、期待なんかしてないって馬鹿者。
大体、あやつも儂も、式の当日までお互いの顔も知らなかったくらいだし。まあ、古い家同士が決めた政略結婚なんて、そんなもんじゃろ。だから、婚礼の日から半年経っても、あいつが儂に……その、まあ、なんだ。世間一般で言われるような夫婦の営みはおろか、指一本触れてこなかったとしても、別段不思議には思ってはいなかったんじゃ。
しつこいな、本当だって。いい加減にしないと、これ以上何も喋らんぞ。
だから、儂が変に思ったというのは、そのことではない。もっと別の、最初はごく僅かな違和感というか、吹けば飛ぶような次の日にはすっかり忘れているような本当に小さな疑念からだった。
その小さなものが少しずつ少しずつ降り積もっていって、気づいた時には、儂にはもうどうしようも出来ないほど大きなものへと膨れ上がってしまっていたのだ。
ただ、今でも一つ思うことがある。
もしあの時、儂が「変だな」と思わなければ、今思い出しても身の毛がよだつような、あの世にも恐ろしい出来事にも、もしかしたら遭遇しなくて済んだかもしれない、とはな。
微かな物音を夢の片隅で聞いた気がして、のろのろと瞼を開ける。
重い瞼を上げた視界には、ただ真夜中の闇が夜の海のように滔々と広がっており、ほとんど何も見ることは出来ない。うつらうつらと再び降り始めた瞼が完全に閉じられる直前、家康は己の背後で小さな衣擦れの音を聞いた。
横向きで寝ている為、見開かれた漆黒の瞳には、うっすらと白く光る目の前の寝室の壁しか見えない。音はその反対側、家康が背を向けて寝ている向こう側から聞こえてきたようだった。
ごくりと、家康の喉が鳴る。
(まさか……)
家康が嫁いできた家は、由緒正しい血筋の裕福な旧家であった。
実は、家康の生家は血筋だけでいったら更に由緒正しく、世が世であればかなりやんごとなき身分の御方……となるらしいのだが、今では完全に時代に取り残され、もはや没落寸前の旧家になっていた。
それなのに、若さも美しさも気だての良さも、そのすべてを兼ね備えたどんな細君だって選び放題だろう立派な家の跡取り息子から、何でよりによって没落旧家の出で男か女かもどっちつかずの自分などに縁談が、と家康は当初から大層不審に思ったものだ。
家康の出自は、少々特殊だった。
家康は女として、この世に生を受けた。だが、他に兄弟がおらず、家康の両親は、家康を本家の跡取りにすることを画策したのだった。婿を取るのではない。文字通り、跡取りにしようとしたのだ。
そうして家康は、幼い頃から男児の格好をして男として育てられてきた。だが、そうこうしている間にも家はどんどん没落していき、本家の血筋がどうのという問題ではなくなってきた頃……さる裕福な旧家から家康への縁談が舞い込んできたのである。
何でもそのお相手は、大昔に家康の先祖に仕えていたことのある血筋だったらしい。その縁もあって、きっと手を差し伸べてくれたに違いないと家康は思っている。相手方は、家康の生い立ちも実はおなごであることも知っていた。あまりにも出来すぎた縁談である。そして、手の平を返すとはこういうことかという光の速さで、家康の親族は乗っかった。
しかし家康は夫になる人物の六つも年上であり、この時代において嫁の方が年上の縁談などという話は、家康の周りではとんと聞いたことがなかった。
どうにも胡散臭い話ではあったが、虎視眈々と家の再興を目論んでいた親族たちがおそろしく乗り気で、元来思ったことをはっきり言えない口下手な性格だった家康は、もじもじと畳の上に字を書いている間に、あれよあれよという間に婚礼の日取りを決められてしまい、観念する暇もないまま、気づけばだだっ広いこの家の縁側にぽつんと一人で座っていたのだった。
プライドだけは富士山の如し家康の身内たちが目の色を変えて、不出来な跡取りに来た縁談を速攻で纏め上げるような、そんな地位も名誉も財力も兼ね備えた家の跡取り息子。そんな男が、縁談によって決められた家康の夫――名を忠勝、本多忠勝といった。
そんな理由から、そして世間一般の常識から鑑みれば、夫婦の寝室で夫が寝ているからといって、妻が何ら不思議がることはない。だが家康は、部屋の中に夫の、忠勝の気配を感じた瞬間からずっと、言いようのない緊張感を感じているのだった。
(忠勝の奴、帰ってきているのか……?)
じんわりと汗が滲みだす両の手の平を、布団の中でぎゅっと握り込む。
いつの間にか浅くなっていた呼吸を、意識的にゆっくりと、さも深い夢の中にいますといわんばかりの穏やかなものに変えていく。固く目を閉じているのに、背後から忠勝がこちらの様子を伺っているのが、手に取るように分かった。
スッ、スッと微かな衣擦れの音が近付いて来る。音が止まったと感じた瞬間、家康は頬に、微かな風を感じた。途端に、バクバクと心臓が音を立てるのを、もはやパニック状態の脳内で感じた。
近い。近すぎる。何じゃこいつ。
おそらく忠勝は、寝ている家康のすぐ近くに顔を寄せて、じっと家康を覗き込んでいる。頬に当たる忠勝の鼻息が、その証拠だ。
家康にとっては永遠にも思える時間、まるで寝息を伺う様にして家康を覗き込んでいた男は、やがて静かに立ち上がると、ゆうらりと音を立てずに離れて行った。
パタンと、縁側向きの障子が閉まる音がする。
ギシギシと廊下の床が軋む音が次第に遠くなっていき、それが完全に聞こえなくなって初めて、家康は呼吸することをようやく思い出したかのように、大きな息を吐くことが出来た。
いまだバクバクと早鐘の様に鼓動を刻んでいる胸の辺りの寝巻きの生地を握りしめると、そろそろと床の上から起き上がる。振り返ると、障子から差し込む月光に照らされて、主の居ない空の布団が白々と浮かび上がっていた。
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