【コミカライズ】氷の悪女は嗤いながら毒の花を咲かせる

里海慧

第1話 笑わない悪女



 笑わない悪女——私はそう呼ばれている。



 確かに私はニコリともすることがなく、淡々と日々を過ごしていた。

 真顔で貴族たちと接しているうちに、私の言葉は悪い方へと捉えられ、噂がひとり歩きして悪女として名を馳せてしまった。黒髪に妖しく光る紫の瞳が余計に不安を掻き立てるのか、誰も近寄ろうとはしない。


 噂にはおひれがついて、悪女アリアナが微笑わらうと毒の花が咲くとも言われていた。


 だがそれは、父から笑うことを固く禁止されていたからだ。私が八歳の時に父は『お前が笑うと公爵家の不名誉になるのだ、わかるな?』と言った。

 私はただ頷くことしかできなかった。その代わり、ひとつだけ質問をした。


『わかりました。でも、もし公爵家より偉い……たとえば、王族の方などに笑えと命令されたらどうしたらよいのでしょう?』


 先月、王太子殿下の婚約者となった私は、これだけが不安だった。父の言いつけを破るつもりはないけれど、王族の命令にも逆らえない。


『ふむ、そうだな。その時は命令に従うしかないだろう。それ以外は約束を守れるか?』

『……それなら言いつけを守れそうです』


 深いため息をこぼす父に申し訳なさを感じたが、私ができるのは迷惑をかけないことだけだ。

 決して人前では笑わないと、この時誓った。




 王太子殿下の婚約者になってから十年。

 私と王太子殿下の仲が進展することなく、毎年恒例の社交シーズンを迎えた。


「アリアナ・セドリック! お前とはこの場で婚約を破棄する!!」


 煌びやかなシャンデリアの下で、キラキラと輝く衣装を身にまとい私の婚約者であるラインハルト王太子殿下が高らかに叫んだ。その腕にはぱっちりした二重を潤ませて、怯えるように震える義妹マリアが寄り添っている。


 夜会シーズンが始まったばかりのこの日、婚約者のエスコートもなく足を踏み入れた会場で突然宣言された。

 だけど私はぴくりとも表情を変えず切り返す。


「承知いたしました。このことはしかと父に伝えます」

「は……? いや、婚約破棄だぞ? 返事はそれだけか?」

「他になにかございますか?」


 私は不思議に思って尋ねた。


 婚約破棄を宣言されて受け入れたのだから、他になにをしたいのだろうか。ああ、もしかして書類を用意しているからサインでもほしいのか。


「婚約破棄の書類でしたら、後ほどセドリック公爵家に送ってくだされば署名して返送いたします。ご用がなければこれで失礼いたします」

「ま、待てっ! まだ私の話が終わっていないだろう!?」

「それは失礼いたしました。ではどうぞ」


 私は元婚約者に向き直り、その言葉に耳を傾けた。

 彼曰く、私はニコリともしないから、まるで人形と一緒にいるみたいでつまらないらしい。

 さらに王太子殿下の腕に虫の卵みたいにくっついているマリアに、義姉の私が嫉妬して茶会で意地悪したとか、オペラ会場では階段から突き飛ばしたとか、ドレスを切り刻んだとか、そんなようなことを言われた。


「以上でしょうか?」

「あ、ああ! どうだ、反論もできないだろう!!」


 肩で息をしながら、王太子殿下は私を睨みつけている。

 すべて冤罪だし反論もできるけれど、それをするためには父の言いつけを破らなければならない。


「…………」

「やはり、お前がやったのだな!? ここまで言われても表情ひとつ変えないとは……笑わない悪女とはよく言ったものだな! いっそのこと微笑って毒の花とやらを咲かせてみろ!!」


 笑わない悪女。

 それは事実だけれど、本当に毒の花を咲かせていいのだろうか? 父からは禁止されているというのに。

 だけど王族の命令であれば、やるしかない。


「王太子殿下、それはご命令でしょうか?」

「そうだ! できるものならやってみろ!」

「承知しました。では——」


 私はそこでゆっくりと口角を上げる。


 花がほころぶような笑みを浮かべて、王太子殿下を見つめた。

 王太子殿下はポーッとしてだらしなく口を開き、頬を染めているけれど大丈夫だろうか? 本番はこれからだ。

 しかし王族の命令とはいえ、やっと本心を話せる。ずっとずっとこらえていた、私の毒を吐き出せる。


「まず、私は笑えないのではなく笑わないだけです。笑って話すと本心がポロポロとこぼれてしまい、公爵令嬢としてあるまじき失態を犯すからと父に止められていました。ですが王族である王太子殿下のご命令とあれば許されるでしょう」


 まずはこれから起きることは王太子殿下の責任だと宣言した。穏やかな微笑みを浮かべたまま、私は言葉を続ける。


「その前に、つい先ほどまで王太子殿下は私の婚約者でございましたが、そこにおります義妹のマリアはなぜそのように距離感なく虫の卵のようにくっついているのですか? これは明らかに貴族としてのマナーから逸脱しておりますし、今後妃に迎えるとしても今日の出来事は貴族たちに鮮烈な記憶として残るでしょう。マイナスにしかならないのに、浅慮とはこのことですね」

「む、虫の卵ですって!? お義姉様、ひどいわ!! わたしはただ殿下と愛し合っているだけよ!!」

「なぜだと! お前を断罪するために決まっているだろう!? 私の愛しいマリアを悲しませたからではないか!!」


 たった今婚約破棄したばかりなのに、おふたりはすでに愛し合っていたらしい。自ら不貞を暴露していると気付いていないのだろうか。それなら婚約宣誓書に記した項目に従い進めるだけだ。

 私は笑みを深めて、さらに捲し立てる。


「ちなみにおふたりの愛はいつから育まれたのですか?」

「それは一年前からだ! まったく気が付かないお前は本当に滑稽だったよ! すでにマリアは私の子も宿しているから、お前と婚姻することは絶対にない!」


 さらなる言質も取れた。


「ああ、それは存じておりました。むしろ公爵家でもあれほど堂々とイチャついてしてらしたのに、私が気付かないとでも? おめでたい頭ですわねえ。では改めて王太子殿下の不貞による婚約破棄ですので、王太子殿下個人に慰謝料を五億ベリル請求、マリア個人には一億ベリル請求いたします。証人はこの会場にいる皆様です」

「なっ! そんなもの払わんぞ! それにお前はマリアを追い詰めたではないか!!」

「そうよ! それに義妹に慰謝料なんておかしいでしょ!!」

「いえ、そのように婚約宣誓書に記してあります。こちらをどうぞ。それからマリアには養子縁組契約書を」


 この茶番劇を事前に察知していたので、用意しておいたのが役に立った。

 さて、それではこのふたりにもわかるように説明してあげようかしら。


「お手元の宣誓書をよくご覧くださいませ。不貞の場合の慰謝料は先ほど申し上げた通りでございます。一切の減額や免除には応じません。慰謝料の請求とともにセドリック家は今後はいかなる王命にも従いません。圧力をおかけになるなら、国から離反いたします」


 王太子殿下が青い顔でブルブルと震え始めた。たったこれしきのことで頼りないお方だ。


「また、マリアについてはこの契約書の第6項、セドリック家の名誉及び利益を著しく損害した場合に該当するので、養子縁組は白紙撤回の上、別途公爵家から損害賠償を請求いたします。おふたりとも本当にこの書類に目を通されましたの? 私なら肝に命じておとなしく過ごしますけれど、余程本能に忠実なのですね。まるで繁殖期の獣のように浅ましいこと」


 マリアは後妻としてやってきた義母の連れ子だ。父が温情で養子縁組しただけなのに、恩を仇で返された。裏では義妹を王太子妃にしようと画策した義母もただでは済まないだろう。


「ああ、それと、一方が慰謝料を支払えない場合は、もう一方へ請求することになっておりますので、なんならおふたりで協力してお支払いくださいませ」


 私の言葉に王太子殿下は義妹に支払い能力があるのか瞬時に計算したようで、少しでも減額しようと噛みついてきた。自分に被害が及ぶ時だけは計算が早いようだ。


「ならば、お前がマリアにした蛮行に対してこちらも慰謝料を請求する!! それに聞いていれば先ほどから私たちを侮辱する発言をしているな! 不敬罪だ!!」

「お義姉様はひどすぎるわ! 屋敷でもお義姉様に冷たくされていたのに……精神的苦痛を味わったのだから、全部まとめて慰謝料払ってください!!」

「ああ、もう声を出して笑いたい。自ら命令しておいて不敬罪だなんて。ご自分のお言葉もお忘れになるほど記憶力が乏しいのかしら?」

「なんだと!?」


 いけない、心の中で言うつもりが口に出ていたわ。これだからダメなのよねえ。


「失礼しました。それで……私がマリアを害した? それはいったい、いつのお話かしら?」

「だから——」


 王太子殿下の言葉を遮り、私は心のままに言葉を吐き出した。


「お茶会と言いましたけれど、招待されてもいないのに参加しようとしていたから止めたことはありますわ」


 王太子殿下はマリアに視線を向けるが、マリアは気まずそうに視線を逸らす。




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