第8話 メタバースに人権は無し
クツマがメタバースに再ログインしてから三日が過ぎた。現実時間の1時間が8時間に感じられるメタバースでは、一カ月弱の月日が過ぎたことになる。クツマはサトウから指示された迷路アトラクションのプログラムをコツコツと作り続けていたが、もともとサトウが途中まで仕掛かっていたものを引き継いだため、もうまもなく完成を迎えようとしていた。クツマにとっては1か月の仕事量が、現実時間ではわずか3日に換算されるわけだから、このメタバースが凄まじいスピードで進化していることがわかる。そして、クツマのメタバース内での行動制限も徐々に解除されていった。当初は公園と飲食店だけだったマップに、今では映画館と遊園地が追加されていた。もちろん入場無料である。次はギャンブル場でもできないだろうかと期待するほど、クツマもメタバースでの暮らしを満喫し始めていた。その間、ずっとサトウからの連絡はなかったが、そのうちサトウだけでなく、クーロンのことや、タカヤナギのことさえもクツマの頭から消えようとしていた。
「アラキって人の言った通りだったな、この世界は面白いし飽きないよ……。仕事も終わったし、映画でも見に行くか……」
映画館にはマップメニューからワンクリックで移動が可能だ。スクリーンには上映中の映画のリストが表示されており、好きな映画を選ぶことができた。映画の数は数十年前の名作から最新作まで、選び放題で飽きることはない。クッションとランバーサポートの効いた極上のリクライニングシートと、頼めばすぐに出てくるジュースとポップコーンで、ゆったりと映画鑑賞を楽しめる仕組みだ。
できたばかりの遊園地を楽しんだのがつい昨日で、その次の日は映画。メタバースで長く働くことで徐々に娯楽施設が増えていけば、死ぬまで退屈せずに遊べそうだ。しかし、クツマはどこか物足りなさを感じていた。それは、いつも自分一人しかいないということだ。サトウの話によれば、メタバースで働くエンジニアはクツマ以外にも何人か存在するはずだ。なぜ彼らとはコミュニケーションができないのだろうか。クツマには理解できなかった。
「やっぱり仲間がいないと物足りないよなぁ……。どうして誰とも会えないんだろう……」
クツマが独り言をつぶやいた直後、突然映画館にサトウの声が響いた。
「クツマくん、それはね、人が集まると反乱を起こされるからだよ」
声に驚いたクツマが辺りを見回すと、スクリーンの脇からサトウがフェードインして現れた。急に目の前に現れたサトウの姿に驚いたクツマは、手に持っていたポップコーンを床にまき散らかした。
「サ、サトウさん? いつのまに戻って来たんですか?」
「クツマくん、キミも典型的な職人タイプだからね。のめりこまないうちに抜け出した方がいい」
「サトウさん、急に何言ってるんですか? あれから何があったんですか?」
クツマが不安そうにたずねると、サトウはログハウスで起こった一部始終を話し始めた。
あの時、クーロンがイワタについて語り出す直前、クツマはタカヤナギに起こされてメタバースから強制ログアウトした。残されたサトウは一人でクーロンの話を聞いたのだが、その内容はとても奇妙なものだったと言う。
「クーロンは僕に言ったんだ。イワタはこの世界のビジネスリーダーとなり、やがて政治経済を統治し、神のような存在となる史上稀なる人物であるってね……。ありえないだろ」
間違いなくAIに不正なデータを学習させたやつがいると確信したサトウは、その場でクーロンのプログラムを確認したが、イワタに関するデータはどこにも見つからなかった。しかし、データに存在しないことを話すAIなどありえない。そう思ったサトウが何度も細かくプログラムを確認していると、今度は突然クーロンが姿を消したのだ。アクセスログも残っておらず原因は掴めなかったが、運よくサトウがプログラム解析中だったこともあり、プログラマーだけが見ることのできるデバッグログを取っていた。そこにクーロンがなぜ消えたかが書かれていたのである。
「クツマくん、驚いたよ。そこには、『キヨカワエミカがログアウトした』と書かれていたんだ。もちろん、クーロンが消えた同時刻にね……」
「えっ、ということは、クーロンさんの正体はキヨカワさんだったってこと?」
「うん、クーロンは間違いなくAIでもあったけど、それを上からアバターとして操っていたのがキヨカワさんだったんだ。だからクーロンは、データベースに存在しない偽のイワタの情報を話すことができた」
「でも、キヨカワさんがそんなことを言うとは思えないんだけど……」
クツマは複雑な心境だった。クーロンと初対面した時、迂闊にもAIに運命の人だという気持ちさえ抱いたわけだが、その正体はキヨカワエミカだったのだ。だからこそAIとは思えない不思議な魅力があったのだろう。しかし、彼女にとってクツマとの対面は二度目だ。彼女は二年前に一度だけ会ったクツマのことを忘れていたのだろうか。
「これを見てほしい」
そうサトウが言うと、カチカチとクリック音が響いて、上映中の映画が突然終わった。そして、映画のスクリーンにリモート会議の様子が映し出された。画面の右端には、会議に参加している人物の顔が10名ほど並んでいた。時折画面に映るホワイトボードには、メタバースの提供予定サービスと進捗度がなぐり書きされていた。
「クツマくん、これは先日のバーチャブレイン社のリモート進捗会議の様子だ。上司へ送ったメールにスパイウェアを仕込んで盗撮したんだ。ここに参加している人たちを見てごらん」
クツマはサトウに促されて画面に映し出されている10人の顔を追った。どれも見たことがない顔ばかりだったが、約一名、見たことのある顔があった。艶々としたリーゼントと鋭い目つき、黒いストライプのスーツの男といえばイワタ社長である。やはりイワタはバーチャブレイン社の経営に関わっていたのだ。
「クツマくん、あの不動産屋はダミーだったんだよ。気を失った僕らをアパートやマンションから連れ出す時に怪しまれないように不動産会社に成りすましていたんだ。もちろん、不動産管理システム構築の依頼もダミーだった。僕らをメタバースへと誘ってプログラミングをさせるためのね……」
「そ、そんな……。イワタって何者ですか?」
「もともと彼は反社のフロント企業を経営していた。僕が調べた限り、バーチャブレイン社は違法な風俗店を経営していたんだ。イワタは風俗業界の差別化のためにメタバースを取り入れようと、僕の上司でもあるモリというスーパープログラマーに接触してスカウトした。根がワルだったモリはこのメタバースの原型を作り上げた。もちろん、性奴隷のようなAIを作ったのもモリだし、それをキヨカワエミカのアバターと融合させたのもモリの仕業だ」
「でも、彼女がそんなことをするなんて……」
突然の急展開にクツマは戦慄を覚えた。
「さらに、黒幕がいるんだ」
サトウはスクリーンを指さした。進捗会議はしばらく淡々と続いた。すると突然参加者の一人である60代くらいの髪が薄く目つきの悪い丸顔の男が、イワタを呼び捨てにしている様子が映し出された。その男の顔の下にはKAMIJOというログイン名が表示されていた。
『イワタ、女が逃げたってホントか。オマエなにやってんだ、バカヤロウ』
『すんません、でも十分元は取りましたんで……』
『そういう問題じゃねえよ、情報が洩れるだろ、バカヤロウ』
『口止めしましたし、素直でクソ真面目な女なんで……。それにヤクも入ってますから再起不能ですよ』
KAMIJOなる中年男は、あたかもイワタの上司のように、イワタを汚い言葉で叱責していた。それよりも、「女が逃げた」など、先進技術のカタマリであるメタバースの世界とはまったく似つかわしくないフレーズが飛び交っていたことにクツマは激しい怒りと嫌悪感を覚えた。
「クツマくん、この男、気になるだろ? でもKAMIJOの顔と名前を調べたらすぐに分かった。衆議院議員のカミジョウタカヒロだ」
「政治家が関わってるんですか?」
「メタバースを世に出すためには法整備が必要だからね。そのためには政治家の権力がいる。だから利権を与えて金で釣ったり……、時には女性を道具に使ったりするんだよ」
「じゃあ、逃げた女ってまさか……」
「そう、クーロン、いや、キヨカワさんのことだ。彼女は何らかの理由でVRゴーグルを外されたんだ」
クツマは怒りにまかせて手に持っていたポップコーンを容器ごと床にぶつけた。そして、サトウにクーロンことキヨカワエミカが突然ログアウトしたのは、タカヤナギが彼女を病院から連れ出したからだと伝えた。
「なるほど、そのおかげで彼女は地獄のような状況から抜け出すことができたってわけか……」
「彼女は何をされたんですか……」
「うん、スパイウェアを仕込んで隣の部署の情報もすべて入手した。彼女は違約金で脅されていたんだ。そして専ら男たちの相手をすることを強制されていた。生身の体じゃないだけマシかもしれないけど、メタバースの世界は現実のようなものだし、精神的ダメージは相当に大きかっただろうね……」
「サトウさん、オレ絶対に許せない。こんなやつら、世の中にさらしてぶっ潰してやろうよ」
「もちろん、作戦は考えてある。彼女の悲劇に気付けなかった僕にも責任はあるからね」
サトウが考えていた作戦はこうだ。まず、サトウがメタバース内に自己崩壊プログラムを仕込む。このプログラムがいったん起動すれば、ウイルスのようにすべてのメタバース領域に増殖してプログラムやデータを削除する。同時にクツマが世の中のメジャーなSNSにメタバースの存在をマルチポストして知らしめる。もちろん、これまでイワタやカミジョウたちが働いてた悪事、人権侵害の数々もあわせて暴露する。ここまで実行すれば、バーチャブレイン社から多くの投資家たちが逃げ出していくだろう。
「クツマくん、僕はプログラムを開発するから、キミはいったんログアウトして証拠収集の準備をしてくれないか?」
「わかりました……。でもサトウさん、ログアウトって自分でできないんですか? メニューに出てこないから気になって……」
「うん、ログアウトは上司じゃないとできない仕組みなんだ。今となっては酷い話だけどね……」
ということはサトウは誰にログアウトさせてもらっているのだろうか。クツマは急に心配になった。
「あの、サトウさん……、変なこと聞きますけど、サトウさんの体は大丈夫ですか?」
「うん、体はきちんと維持されているから心配いらない。一流の医師団がバックにいるって聞いてるんだ」
「じゃあ、サトウさんの体も東京中央病院で維持されているってこと?」
「東京中央病院? へえ、そうだったんだ。確かに一流の大病院だね。間違いなく安全に僕の体は維持されていると思うよ、じゃないと僕はここにいないだろ?」
「確かにそうですね」
映画館でクツマとサトウが秘密会議を終えて外に出ると、先日クツマがプログラムを組み終わったばかりの迷路アトラクションが二人の目に入った。せっかく作り上げたプログラムがまもなく跡形もなく消えてしまうことを考えると、クツマは少し残念な気持ちになった。そんな物憂げな様子のクツマを見て、その気持ちを察したサトウがクツマに言った。
「優れた技術は別の良い意志を持った人たちのもとで再び発展していくんだよ……」
「そ、そうですよね……」
そう言ってサトウがクツマをログアウトさせようとプロマネ専用メニューを開いた時だった。メタバースの街がいきなりグレーアウトして動きが止まったのだ。ログアウトメニューが選択できなくなったのは言うまでもなく、映画館や飲食店、アトラクションから漏れ出ていたBGMの音もすべて止まって、辺りは静寂に包まれて灰色の死の街と化した。
「あの、キミらな。そんなん企んで、うまく行く思たら、頭悪いにも程があるわ」
聞きなれない関西弁が聞こえたかと思ったら、二人の目の前に見知らぬアバターが現れた。それはサトウの上司でもあるモリという男だった。
「モ、モリさん! どうしてここに入ってこれたんですか?」
「サトウくん、キミも少し抜けてるとこあるな。アクセス制限したところで無駄やで。管理モードのログ切っても無駄やしな。あはは」
「どうして……」
「オレが作った『神モード』ってあるやんか。キミらリアルタイムで全部モニタリングされとんのやで。あはは」
サトウは愕然として膝から崩れ落ちた。しかしクツマはひるまなかった。
「モリさんでしたっけ? あなたはこんな卑劣なことやってて平気なんですか? 良心が痛まないんですか?」
「やかましいわ、オマエらガキか。契約社会ってそういうもんやろ。それに女が体売って稼ぐんも現実社会と同じやろ。甘いわ、オマエら」
クツマは言い返した。
「売春、いや強姦ですよ、訴えますよ!」
モリもすぐさま切り返す。
「アホか、バーチャルや!」
「全部暴露しますから!」
「無理やで。おまえら監禁やし」
その瞬間、カチっというクリック音がして、クツマとサトウはその場から消えた。独房に強制送還されたのだ。狭い空間と低い天井、そして汚い床。カビ臭い嫌な匂いまで再現された、とてもリアルな独房だった。アバターの服装も薄汚れたグレーの作業服に変わり、クツマたちは極楽のような暮らしから突如として地獄の底に落とされたのだった。すると、上の方からモリの笑い声が聞こえた。
「バーチャルですんで、人権侵害ちゃいますんで、そこんとこよろしくたのんますわー」
サトウもクツマもどうすることもできなかった。空間に浮いているコントロールメニューも開くことができなければ、当然、ログアウトすることもできない。二人はそれぞれ独房ですごすしかなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます