第23話 疑念と希望
綺麗に撫で付けられた銀髪に
(この人がブレント・リベラ伯爵……)
娘には無関心を貫き、シルクが心を病む要因となった人物。政治的手腕はあるが父親としては不適格。冷酷で冷淡な男。
外敵を前にした小動物のようにその場から一歩も動けなくなったシルクを伯爵は一瞥した。
「夕食はまだだろう。来なさい」
その声の響きは死刑宣告のように重々しい。伯爵は背を向けると歩き出した。
「……」
何か話でもあるのだろうか。シルクはおずおずとその後に続いた。
二人が席に着くと広いテーブルに次々料理が並べられていく。シルクは緊張の面持ちでそれを見守った。
カチ、コチと豪奢な置時計がのろまに時を刻む。
向こうから食事に誘った割に会話はなく、空気が重苦しい。静かすぎてナイフが皿に触れるだけで大袈裟に響く。挙動を監視されているような気分になって、物音を立てる度に鼓動が早まった。
(うう、部屋に帰りたい……)
普段の三倍の時間をかけて切り分けたステーキの味はよくわからなかった。
シルクが胃をキリキリさせていると、不意に伯爵が口を開く。
「ディアス公爵と会ってきたそうだな」
「はい……」
「最近は仲良くしているとか」
「はい……」
「公爵に好意があるのか」
「はい……」
「そうか」
「……。……へ?」
はいしか言わないなんて昔のレイヴンみたいだな、とかどうでもいいことを考えていたら反応が遅れた。三つ目の問いはなんだか変だった気がする。
(質問の意図がわからないんですけど!)
娘に無関心な父ではなかったのか。そんなことを聞いてどうするつもりだ。世間話をする間柄でもないのに。
……わからない。
シルクは緊張を紛らわそうと果実酒を飲み干した。そのときカチャリ、とカラトリーを置く音が響いた。
伯爵は身振りだけで控えていた侍女に指示を出す。すると侍女はシルクの元に小さな箱を運んできた。
「これは?」
「開けてみなさい」
「はい……」
開くと、中にはシルバーのピアスが入っていた。花を模した装飾が施され、ピンクの宝石が嵌められている。小ぶりだが洗練されたデザインだ。
「綺麗……」
「お前の母親の物だ」
「えっ?」
「結婚式のときに私がセレニアに贈った物だ。私が持っていても仕方がない。好きに処分しなさい」
「ありがとう……ございます」
シルクはピアスを取り出すとシャンデリアの光にかざして眺めた。シルクの瞳とよく似た色の宝石だ。確か、シルクの瞳は母親譲りだったはず。伯爵は妻を想って用意したのだろう。
「……付けてみても?」
「好きにしなさい」
侍女が手伝って付けてくれる。差し出された手鏡で確認すると我ながらよく似合っていた。小ぶりだからどんな衣装とも馴染むはずだ。
「……」
伯爵はその様子を黙って見ていたが、やがて席を立った。
「お父様?」
「ゆっくり食べなさい。私はまだ仕事が残っているから」
「はい……」
忙しい人だ。遠ざかる大きな背を眺めていると、伯爵は部屋を出る直前に一度足を止め、振り返る。
「……セレニアに似てきたな。知らぬ間に成長していたようだ」
そう呟くと、今度こそ部屋を出ていった。
***
「あ、おかえりなさいお嬢様。お風呂の準備はできてますよ」
「ええ。ありがとう、マリー、ポプリ」
薔薇色の湯舟に顎先まで浸かりながらシルクはぼんやりと考える。
(もしかして、あれを渡すためだけに食事に誘ったのかしら?)
正直意外だった。わざわざ形見の品を渡すほどの関心を持たれているとは思わなかった。
小説では酷く冷淡な人物として描かれていたが、本当にそうなのだろうか。亡き妻を愛していたのだから情を持ち合わせない人間という訳ではないのだろう。その愛を娘に注ぐことだって出来たはずだ。対話さえあれば、ほんの少し何かが違えば。二人はもう少しましな関係を築けていたのかもしれない。……もちろん、希望的観測ではあるけれど。
シルクは浴槽の縁に腕をひっかけて寄りかかった。
(……そういえば)
王宮で出会ったヴァージル。彼も小説の印象とは違っていた。
彼こそ酷い男には見えない。それどころか評判通りいい人のようだった。レイヴンのことも気にかけていたし。
「やっぱり変よね……」
瞳に似た色の水面を覗き込みながら思案に耽る。
……思い返せば、『ノゼネハトの人々』のシルクの物語はシルクの残した日記という形を取っていた。初めて読んだときに、シルクの虚言も混じっているのでは、などと冗談半分に考えたが、もしかしたらこの推測は当たっているのかもしれない。
シルクの主観で綴られた物語が、全て事実だけで出来ているとは限らない。つまり、小説の内容を鵜呑みにするのは危険なのではないか?
(……ってことはもしかして、レイヴンが死ぬのは確定事項だと思ってたけど、そうじゃないってこと?)
レイヴンと幸せになれる未来を本気で信じてもいいのかもしれない。そう思えただけでとてつもない希望が降ってきたようで、胸がどきどきした。
「湯加減はいかがですか?」
「丁度いいわ」
芯から温まっていくようだ。緊張した心も身体も解れていく。
……今日は色んなことがありすぎた。
今朝はレイヴンの屋敷に行って、そして。
「…………」
シルクはそっと腕を抱いた。
まだ、抱きしめられたときのぬくもりを覚えている。腕の力強さも、私を引き止める熱っぽい視線も。
「お嬢様真っ赤ですよ。熱すぎました?」
「平気」
咄嗟にそう答えてから、やっぱり首を振った。
「……のぼせたかも」
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