パンドラ

鉄 百合 (くろがね ゆり)

第1話 七つの大罪

「あーあ、ったく、神々にも困ったもんだ。俺らがニンゲン?とやらに災いだからって、こんな場所に飛ばしやがって。好き勝手地上に居られたころが懐かしいさあ」


褐色の肌と黒髪、上裸の屈強な大男、『傲慢』がぼそっと呟いた。大地に轟くような威圧感のある低い声は周囲を震え上がらせるに十分だった。独り言のその言葉に応えるように、艶やかな声が返ってくる。


「あらあ、『傲慢』ったら。ここが退屈なの?だったらわたくしと、イイこと、致しません?わたくしも退屈で、だあれもいなくて困っていたところだったの。地上じゃ大勢、お相手がいたのに…」


『傲慢』に応えたのは、肉体的で女性的な美しさの躰、すべての男性を虜にしたであろう美貌を持つ『色欲』。すると、またもう一つの声がする。気だるげで、気力や覇気というものとは無縁そうな、どこまでも単調な声色。


「でも、ここなら、なにもしなくていい。ただここにいるだけでいいんだ。小生はそれが一番ありがたいさ。地上じゃ働かなきゃならなかったし。」


それは『怠惰』。灰色の髪と瞳、だらしなく寝そべる細い躰。動かないことを至高とするこの男は、ここが大層お気に召しているようだった。


ここは世界のどこでもあり、どこでもない場所。神々の世界と地上にある、虚空のどこか。そこには最近、災い達が押し込められるようになっていた。地上の男たちが穢れることのないように、神々の望むままでいられるように。そうやって心優しき神たちは、人間にとっての災いをせっせと虚空に放り込んで閉じ込めていたのだった。


「おい、『傲慢』、『色欲』、よさないか。ここで何を言ったって某らが出ることはもう叶わないのだ。見ただろう?ここに某らを放り込んだ神々の力を。ゼウスの圧倒的な力、アフロディーテの美しさ、アポロンの輝き。全て某らは到底敵わぬ。」


「でもお、『怒り』もイイところまでいったんでしょお?わたくしたち皆、あと少しのところで負けているのよお。アフロディーテとのことだって、ヘパイストスが作ったあの衣さえなければ、わたくしが勝っていたはずだったの…」


『傲慢』と『色欲』の言い分にたしなめるような声をあげたのは『怒り』。その名を表すように少し苛立ちを含んだ声色の、真っ赤な髪と瞳の長身の男だ。しかし、『色欲』は『怒り』の言い分に異を唱える。それもそのはず、あと一歩のところで神々に負けたのだから。


「そうだぞ、『怒り』。アタシだってあの神どもに負けたのは我慢ならないね!なんだい、あのでたらめな力!生まれ持っての強者が、独力で力をつけたアタシたちを勝手に仕分けして…ああ、うらやましい!あの力さえあれば、アタシだってもっと違った生き様だったかもしれないのに!」


『色欲』に同調したのは『嫉妬』。何かを恨むように虚空を睨み、執念のこもった声で呟く。紫色の長髪と、吊り上がった黄色の瞳が美しい美女だ。


「いやいや、『色欲』も『嫉妬』も、本当はわかっておるじゃろ?我らではどう頑張ったところで、埋められぬ差があるのじゃ。見よ、我らを縛るこの首輪を。ここには我らの力をすべて集めたとて足りぬほどの力がこもっておる。のう、もうあきらめて大人しくして居ようではないか。」


のんびりとしたこの声は『暴食』のものだ。でっぷりと肥えたその体からは想像もつかない、朗々と響く声があたりに木霊する。ちなみに、禿頭の大男である。


「いや、『色欲』たちも『怒り』たちも間違っちゃあいないさ。僕らが今すべきことは、すべてを手に入れることだ!ここに集められた格下どもの力を奪って、この首輪の力も奪って、いずれは神々の力を奪うこと!そうさ、奪えばいい!何をしようが結局、ここは力が全てなのだから!」


うっとりと叫んだのは『強欲』。すべてを手に入れ、ほしいままにしようと叫ぶその声は女のように甲高い。整った顔立ちと巧みな話術で、欲しい物すべてを手に入れてきた美青年。


そう、ここに集っていたのは後に『七つの大罪』と呼ばれる最強の悪の親玉たちだ。


全ての物を傅かせ、意のままにする『傲慢』。

男も女も虜にし、肉欲を掻き立てる『色欲』。

力を奪い、廃人のようにただ生きる『怠惰』。

絆を引き裂き、争いばかりを起こす『怒り』。

全てを妬み嫉み、欠点のみ見つめる『嫉妬』。

命すらも食い散らす悦びに憑かれた『暴食』。

恍惚と欲に身を任せ、全てを欲する『傲欲』。


この七人は神々とのタイマンで、神の首にあと一歩のところまで迫った、虚空の中での実力者たちだった。

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