第32話 記憶
その夜、スモーク山は異様な静けさに包まれていた。
霧は昼間よりも濃く、木々の影がまるで生き物のように揺れている。
コロウは焚き火の火を小さくし、太郎と璃々に警戒の合図を送った。
「……おい、誰か来る」
耳を澄ますと、霧の向こうから足音がした。
一定のリズムで、ゆっくりと、ためらいもなく近づいてくる。
その音には、山に潜む獣の重さとは違う――人の意思があった。
炎に照らされて現れたのは、黒衣の女。
肩までの灰紫の髪が風に揺れ、杖の先に青白い光が灯っている。
「……やはり、ここにいたのね」
ロイスだった。
以前クライスを救い、王国を揺るがせた“灰の魔女”。
その名を耳にした瞬間、コロウは息を呑み、反射的に手を刀に添えた。
「ロイス…何の用だ」
女は冷ややかな笑みを浮かべた。
「相変わらずね、コロウ。」
彼女の視線が、太郎の方へと向けられる。
その目は、闇夜の中でも光を宿したように鋭かった。
「……お前、異界の者ね」
太郎は思わず後ずさった。
「な、なんで……俺のことを……」
「その体に残る“波動”よ。あの黒核を取り込んだとき、あなたの中の“別の世界”が反応した」
ロイスの声は低く、しかしどこか慈しみにも似た響きを帯びていた。
コロウが険しい顔をする。
「黒核の影響か……。まさか、太郎が――」
「そう。あなたたちが思っている以上に、この子は“特別”よ」
ロイスはゆっくりと杖を太郎の胸に向けた。
青白い光が脈打ち、太郎の胸の奥で微かな共鳴が起こる。
次の瞬間、太郎の頭に、見知らぬ光景が流れ込んだ。
――黒いスーツの男。
――見たことのない街並み。
――警察の紋章。
そして、“悠”という名が一瞬だけ、脳裏をかすめた。
「……いまの、何だ……?」
太郎は胸を押さえ、息を荒げた。
ロイスは静かに呟く。
「あなたの記憶じゃない。けれど、あなたが“繋がっている”誰かの記憶」
璃々が驚いたように太郎の肩を抱く。
「どういうこと? 太郎が、誰かと……?」
ロイスは答えず、霧の奥へと視線を向けた。
「この山の魔獣たちは、誰かの手で黒核を埋め込まれている。
そして、それを操る者がいる――“向こう側”からね」
「向こう側……って、異界のことか?」コロウが低く問う。
ロイスは頷く。
「そう。異界で起きた“誘拐事件”が、この世界にも影を落としている。
この少年を通じて、ふたつの世界が……少しずつ繋がり始めているのよ」
焚き火がパチリと音を立てた。
太郎は拳を握りしめた。
自分の中に眠る何かが、誰かの苦しみを呼んでいるのなら――。
「教えてください、ロイスさん。どうすれば、おれは……この力を止められる?」
ロイスはしばらく黙っていた。
やがて、静かに微笑んだ。
「止めることはできない。でも、制御することはできる。
そのためには――“真実”を知らなければならない」
杖の光が霧を裂く。
ロイスは背を向け、闇へと消えていった。
「数日後、南の廃坑に来なさい。すべてを話すわ」
そう言い残して、灰の魔女は霧に溶けた。
残された太郎の胸には、未知の鼓動が確かに脈打っていた。
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