Episode07:七色の燐光

 イリスの連れた荷馬車がテルミヤの河沿いの白樺に繋がれていたのが発端だった。馬は寒さに震えながら、主を辛抱強く待っている。イリスが店を出て四時間は経っていた。様子がおかしいのは明らかである。

 ユーリィは学生アカデミア時代の数少ない杵柄である馬術を久しく操り、大広場沿いのイリスの店へ馬を送り届けた。店の灯はとうに下りていたがドアベルを鳴らし彼本人が帰宅していないことを確認する。代わりに出た彼の父親には、適当な理由を付けて明日には戻ると伝え出た。

 大広場を行く人の影は殆どない。頭の端まで記憶を巡らせて、ひとつ思い当たる。


「……女? 常連じゃない紅眼ロゼリア、か」


 酩酊したイリスの背を支えて歩いて出て行った紅眼の女の姿を目撃していた。気にも留めなかったがその女が再び店に戻って来た覚えはないように思う。ユーリィは記憶を凝らしてみたが肩まで伸びたブロンドの後姿しか思い出せない。常連は容姿と名前をしっかり覚えているから、その女が馴染みでないことだけは確かだった。

 会話の前後から見て、イリスがその紅眼と一夜を明かしていてもおかしくはないと考える。彼にその気があったかはともかく。

 馬を係留したままなのは引っ掛かったが、酔った頭で馬を駆って女を連れるとも考えにくく、ユーリィはあっさりと意識を切り替えた。


 翌日の昼、いつものように開店準備をするユーリィの元へ電話が鳴って初めて事件は明らかになった。


「恨むぞ、ユーリィ」


 第一声、イリスの声は重く低く轟いた。

 ユーリィは昨晩のチェリー話が聞けるとばかり、受話器を肩に挟んで顔が見えないのをいいことにここぞと相好を崩していた。


「何だよ、イイ思いできたんだろ」

「有り金全部掏られた。昨晩の売上全部だよ、ぜ、ん、ぶ」


 予想外の出来事に、思わずユーリィも沈黙した。電話口でイリスが唸る。

 恍けた想像をしていたユーリィは瞬き、水で喉を潤してから受話器を持ち直した。


「どんな女だった」

「ふざけるなよ、この期に及んで。お前のせいだからな、小切手切ってもらうぜ」

「……だから、どんな女だったって聞いてる。うちの常連じゃなかったのは確かだが、タチヤナや娼に聞けば広くもない街だ、分かることもあるだろ」


 紅眼が客にした男をすかんぴんにする、というのはあながち珍しいことではない。が、今回はユーリィに全面的な非がある。ユーリィは極めて冷静な口調で女の容姿、特徴を聞き出して書き止めた。あの酩酊の最中でもやはり抜き差しならぬことになったのかそうでないのか、イリスが語った女の特徴は事の他鮮明だった。泣き黒子のブロンド、か細く囁くように話す紅眼、そのように。


「親仁さんに世話を掛けた、と伝えてくれ。小切手はすぐに手配する。懲りずに、酒に強くなる口実にしてくれるといいが。悪かったな、イリス」

「……しばらくは親父に変わってもらう。酒はともかく、紅眼は懲り懲りだ」

「まあそう邪険にするなよ。しっかりお縄にさせるさ」

「だといいけど」


 唇を尖らせるようなイリスの声にまた連絡をすると優しく説き伏せ、ユーリィは電話を切った。

 今夜もタチヤナは見えるだろう。

 イリスにはタチヤナを筆頭とした女達にと伝えたが、ユーリィはタチヤナを真っ先に頼るつもりでいた。そういった悪事を何より嫌う彼女だから、きっと誰より真剣に持ち前の情報網を駆使して力になってくれるのが分かっていたからだ。

 陽の傾く頃にいつも通り開店したミルキィウェイへ、予想通り彼女は訪れる。

 ユーリィの話を聞くなり半眼でねめつけられこそしたものの、酒の一杯を奢ると話の詳細を聞き出し、アタリを付けた。


「……巷で噂になってるって知ってる?」

「聞いたような聞かないような」

「紅眼の間ではちょっとした噂になってる、七面相の紅眼。本当の顔を誰も知らない、顔も名前も姿も一致しない、ただひとつその手癖の悪さを除いては」

「……七色の燐光プリズナー、か」


 頷いて、タチヤナは紅玉のカクテルを口に含む。考えるように眼差しを左上へやってから、ユーリィを手招き耳打ちする。


「【薔薇庭ローズガーデン】では目撃情報はなかったのよ、今までは。だけど、最後に噂が流れてからもうふた月以上経つ。今までは毎月のように被害があったのによ。ここへ紛れていてもおかしな話じゃあないわ」

「どうやって押さえればいいんだ、そんな奴。警察も役に立っていないだろ、その話じゃ」

「そもそもあいつらが役に立ってることなんてないでしょ。……もし今回のがプリズナーなら、もう一度この店で同じことをする可能性が高いと思うわ」


 推測を含む話にユーリィは首を傾げた。


「犯人は現場に戻る、か? 推理小説の読みすぎだろ、普通に考えればこんな小さな店で顔が知れちゃ困るだろ」

「だから、なのよ」


 タチヤナが指を立てる。紅い唇で弧を描いて自信を滲ませ、焦れるユーリィをたっぷりと待たせる。今夜は客入りが多くはない。常連の紅眼を除いて真新しい顔がないのを確認して、彼女が口を開くのを待った。


「なんのための七面相よ。顔が割れないから、同じことを平然と同じ場所でやって退けるのよ。……あたしの推測だけどね。顔馴染みじゃない紅眼が居たら、とことんマークした方がいいわ。同胞には悪いけど、違ったなら違ったで正々堂々とできるでしょ」

「……随分ざっくばらんな思考だな。まあ駄目元、やれることはやってみるか」

「助言はするけど、あたしはあまり首を突っ込まないようにするわ。接触は期待しないで」


 タチヤナの言い分は最適だと言える。ユーリィは頷いて返し、噂のプリズナーが訪れるのがいつになるやら、これは時間が掛かりそうだと腹を括った。

 それから七日七晩に渡り客に目を光らせるユーリィは、新規ではないが久しい顔と再会した。

見事なファーの外套に身を包んだ身形のよいその人物は一見して性別を見分けられず、中世的な雰囲気を持っていた。そのオーラは紅眼の女達の纏う色香にも似て、店に姿を見せたその瞬間から客をはじめ、ユーリィの視線を容易に惹き付けた程だった。

 

「……ユーリィ」


 耳に懐かしいその声が記憶を手繰り寄せる。思い当たる人物が今ここに居ることの意外性にユーリィは瞳を見開いた。


「ニカ、なのか」


 まだ確信の持てないユーリィの声に応えるように、彼は唇に弧を描く。真正面のカウンターへ腰を下ろして両手指を組み、顎先を乗せて上目に微笑んだ。

 ニカと会うのは学生以来だ。理不尽な退学処分を前に雨花と暮らすことを嬉々と話して一方的な別れを告げて十一年が経つ。


「会いに来るのが遅くなった。お前は嫌がるだろうけどさ、やっぱ血の噂は助かるね。開店おめでと」

「そりゃ気味の悪い話だな、お貴族らしいご趣味だ。……飲めるだろ、何がいい?」

「アマレット。アレンジを考えるのはユーリィの仕事」


 ニカの注文に軽く頷いてユーリィは鍋にオレンジジュースを注いで火に掛けた。

 この国における学生とは、すなわち貴族である証拠でもある。ウリンソン財閥の妾という肩書、その噂は大人になった今でも貴族の街、水蓮市では付き纏うらしいとは、ニカの言葉の通りだ。街を出たことでそんな噂を振り切れると思っていなかったと言えば嘘になる。ふつふつと沸いた鍋にアマレットを加えて耐熱グラスへ移しながら、ユーリィは自嘲の笑みを浮かべていた。


「色々耳に入って来る度会いに行くか迷った。けど、お前を慰めるのはおれの役目じゃないだろ。……ずっと待ってたんだ」


 ユーリィがコースターを差し出すのと同時に、ニカが名刺を滑らせる。白地に金の箔押しで聞いたような名前とニカライの文字。

 記憶を手繰り寄せて、それが水蓮市南部、ダウンタウンに程近い位置にある男娼妓楼の名であると気づく。


「源氏名も使わずに、親父さんがよく許してるな。会いそうで会わなかったわけだ」

「勘違いするなよ、会いに来いって言ってるんじゃない。祝えない再会なんて嫌だった、ってハナシ」

「……分かってるよ」


 裏側へ走り書いた電話のナンバーを一瞥して、ユーリィは笑いながら胸のポケットへ仕舞った。改めて湯気の立つグラスをニカの前へ置くと、彼は唇をほんの少し尖らせてグラスを口許へ寄せる。ニカの思惑は言葉通りだ。それが、他者には媚びたように映るのだからユーリィには面白がらずに居られない。

 現に、そっと流し見たタチヤナの眼差しはを見る時のそれだった。

 ニカは一杯をゆっくり味わう他にそれ以上の言葉はなく、帰り際「また連絡して」とこれまたそれらしい常套句。

 後には不機嫌さを滲ませる彼女だけが残る。

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