第1部3章 『罠師』、この世界を少し理解する。

1-14. 『罠師』、荒野の城下町で起きる。

 朝。広大な荒野の端、岩山のふもと近くにあり、少しばかり緑が生い茂っている大きな城下町の宿屋でケンは目を覚ました。


 町の名前はウィルド城城下町。この城はかつて山を越えた隣国との戦いの要として建てられた砦だ。しかし、隣国とはずいぶん昔に友好関係を結んだことにより、砦の防衛拠点としての役割は鳴りを潜めることとなる。


 そして、砦の周りにやがて大きな町とそれらを囲む城壁ができたことで城と城下町としての機能を果たすことになった。今では、海側にある自国の町々と山側にある隣国の町々を繋ぐ陸路貿易の要となっている。街並みは民家も道も石造りのため、中世の西洋をイメージすると分かりやすい。


「ふわぁ……」


 ケンは上体をゆっくりと起こし、ボサボサの黒髪を少し掻きながら大きな欠伸をする。


「んー」


 ケンは無言のまま、シーツの感触を確かめるように手を滑らせた。ベッドが綿か羊毛か柔らかく、シーツも毛羽立ちが少ないためか、彼はとても寝心地が良かったようだ。


「気持ちの良い朝は、心なしか気持ちも軽くなるね」


 緑地があるとはいえ、周りがほぼ荒野と岩山のこの場所では、小鳥のさえずりを望めはしないけど、少し強めの日差しがそれなりに朝の心地よさを彼に与えている。


「荒野の緑地化計画のために、住みづらい土地に王様自ら乗り出しているのは面白い」


 ウィルドッセン王国はこの大陸にある3つの王国の1つであり、リプンスト4世が統治している比較的安定した国である。リプンスト4世は、父親の急死により若くして王になった後、国土の4割強を占めるこの広大な荒野の緑地化計画を自ら先頭に立って進めている。


 ケンはようやくベッドから出る。次に、彼は大きく伸びをしながら小さなうめき声に気付いて、ふと扉の上の方を見る。


「……おはよう、ソゥラ。よく眠れたかい?」


「ううっ。なんで毎日ロープにぐるぐるに巻かれて寝なきゃいけないんですかあ」


 そう、ケンの向いた先には、首からつま先までロープで縛り上げられたソゥラがいた。その姿はミノムシのようになっている。


「君が毎日のように夜這いなんて真似をしなければ、自分の部屋のベッドでぐっすりと眠れるはずだけどね」


 ソゥラは納得した様子もなく、身体を大きく揺らして話を続ける。


「この前の報酬の約束はあ、どうなったんですかあ?」


「……考えた上で保留にした」


「え、ずるーい! ツケですからね? 溜めておくと後で後悔しますからね!」


 ソゥラのその言葉に、ケンはビクッと跳ねた。


「……しかし、アーレスと僕とで交互に夜這いに行くなんて、ずいぶんと節操がないね」


「ああ、話を逸らしましたね? ……って、もしかして、妬いてくれてますかあ?」


 ソゥラの桃色の眼が怪しく光る。彼女の『色欲』には、魅了するフェロモンのほかに、彼女の眼と見つめさせあうことによって意図的に性欲を増幅させる能力もある。


「そうだね。ちょっと悲しいかな」


「えっ……」


 ソゥラはからかったつもりだが、ケンの間髪入れないそのセリフとうつむき加減の少し残念そうな表情に不意打ちを食らい、彼女の頬が赤く染まってしまう。


「…………」


 ケンとしては、実のところ、自分にだけ集中してくれると警戒して罠を張る箇所が減るので助かるといった心持ちなのだが、ソゥラにはさすがにそこまで読み取れないようだ。


「だから、アーレスのところに夜這いに行ってはいけないよ?」


「はあい。じゃあ、一途に、ケンと……」


「さっきも言ったけれど、僕も今はダメ。保留。何が起きるか分からないから、体力は温存しておきたい」


 ソゥラは膨れ面になる。


「ケチですね」


「ケチとは心外だね。だいたい、一途も何も、僕やアーレス以外のところにも行って、しっかりとエネルギーを貯めているのだから、それでおしまいにしておこうよ……」


 ケンのその言葉に、ソゥラは悪戯がバレた子どものようなバツの悪そうな顔をして、隠していたエネルギー体を出現させる。隠していたエネルギー体はいつの間にか5つに増えていた。


「バレてましたかあ。やはり城下町には女性に飢えた兵士さんも多くいるのでエネルギー回収に困らないですね。荒野の開墾をする腕っぷしの強い人たちもいますし……」


「はいはい、ストップ、ストップ。『色欲』のスキルの代償とまではいかないけど、その異常なまでの性欲は困ったものだね。ソゥラが星付きの勇者でしかも強くなってから得たスキルで本当に良かったと思うよ」


 ソゥラは一瞬曇った表情を浮かばせたが、すぐに先ほどと同じバツ悪そうな笑顔に戻る。


「そうですね。私は、エネルギーとか関係なく、本当にケンだけでもいいのですけどね」


 ケンもそう言われると悪い気が全くしない。それに彼はソゥラとの相性が良いのかエネルギー回収効率が高い。状況によっては、そういうことも必要になるだろう。


「……仕方ない。また今度ね。今度はきちんとお相手をしよう」


「ふふっ、約束ですよ?」


 直後、扉の奥の廊下から足音を消した気配が近づいてくる。しかし、ケンやソゥラには警戒した様子がない。


「ケンさん、おはようございます。大丈夫ですか?」


 アーレスが勢いよく扉を開けたのでソゥラが扉に弾かれてブラブラと動き出す。扉はその弾みでアーレスのところへ急いで戻っていく。


「わっ。あ、ソゥラさん、おはようございます」


「ああぁ……おはようございます」


「おはよう。アーレス。しかし、アーレスもしっかりしているというか順応が早いというか……。もうこの状況に慣れてしまったのかい?」


 アーレスはケンのその言葉に苦笑いする。


「そうですね。毎日のようにソゥラさんが私の部屋やケンさんの部屋で吊るされていたので、なんだかこの光景に慣れてしまって……。本当は異常だと思うのですけど」


「異常であることを忘れなければ大丈夫だよ。順応することと異常と思わないことは別だから、今後も気を付ければ大丈夫だよ」


 すっかり師弟関係になっている二人は、ケンが何かと説教っぽくなっている。


「ケンは見た目はともかく、中身はなんだか説教臭いおじいちゃんですね」


「ははは。そうかもしれないね。でも、中身の話をしたら、ソゥ……」


 ケンが言い切る前に、ソゥラの顔が急に険しくなり、桃色の髪の毛が逆立った。


「それ以上言ったらあ、ケンでも容赦しませんよ?」


 今までビクともしなかったロープが悲鳴を上げ始めている。理由は簡単で、ソゥラの周りを浮いていたエネルギー体が1つ消えていた。つまり、彼女はエネルギー体によってパワーブーストを掛けたのである。


「ちょ、ちょっと、こんなことにエネルギー体を使うなんて……、だいたい先日、アーレスにはもう伝えてあるじゃないか」


「こ・ん・なあ・こ・と~? 乙女の秘密を無闇に公開してはあ、いけません!」


「……ごめん!」


 言い争ってはいけない、とケンは判断した。これ以上は実戦になりかねない。仲間同士の争いは周りに甚大な被害をもたらしてしまうため、必ず避けなければいけない。


「……まあ、許してあげましょう」


 ケンが謝ったことで、ソゥラの怒りが少し収まったようである。もう少し遅ければ、ロープはズタズタに引き千切られた後に、ケンの身体はソゥラの拳の鋭い振り上げによって軽々と宙に舞ったことだろう。


「傍から見ていても怖いですね」


「うーん。お互いにそれなりに強いだけあって、周りへの影響も恐ろしいことになるからね。まあ、僕が全力疾走で逃げれば、何とかなるかもしれないけれど」


「言葉だけだと、ケンさんがとても情けなく聞こえますね」


 アーレスが少し微笑みながらそう呟いた。


「そういじめないでくれ。力比べじゃどう足掻いても勝てるわけがないからね。逃げるが勝ちってやつさ」


 ケンはソゥラの罠を解除して、窓を開けた。


「やはり、気持ちのいい風だね。さて、食堂で合流しよう。僕は着替えた後に向かうから、二人は先に食べてもらっていても構わないよ」


「私も身支度をしてから向かいます」


「私は既に支度を済ませていますので、一足先に食堂へ向かいますね」


 ケンがそう言うと、ソゥラは自室へ、アーレスは食堂へ向かった。彼はさっと身支度を整えて部屋を出た。

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