Ⅰ巻 第傪章 『Peacefull Life』 9P

いつの間にか、居間側の扉の隙間から覗いていたレザンが少し怒ってランディを注意した。




「あっ、レザンさん。すいません、つい」




「まあ、自ら学んでくれる方が私としては楽で良いがお前にはまだ覚えて欲しいことが沢山ある。早速、次に移るぞ」




やれやれとレザンはため息交じりに手招きすると廊下を通り、居間に入っていく。




「はい。今、行きます」




ランディはレザンの招きに答え、急いで『Pissenlit』から居間へと向かった。




ランディが廊下から居間に入るとまず目に入ったのはテーブル上にある手書きの地図。大きさは新聞紙の一面ほど。材質は羊皮紙で『Chanter』の詳細な地図だ。様式は編纂図。実測図や各種の資料を基にして製図、製版された原図の写しだろう。流石に原図は測量や資料の照らし合わせなどは個人で出来る訳がない。だから原図は役場に保管されている筈だ。




地図は使い古され、よれよれ。全て手書きで羊皮紙には馴染んだ字や掠れ、インクの色が新しい字もあった。果ては古い情報から最近の変化に至るまで年と日にち付きで住人ことなどが事細かく書いてある。とても手間が掛かったに違いない。縮尺は書いてないが相当、貴重なものだ。




「ランディ、お前にはこれから五ヶ所の配達を頼む。届ける場所はこのメモにあるから地図を見ながら探しなさい」と言い、椅子に座っているレザンは地図の隣にあるメモを指さした。




「はい、それで本題の配達物は何処にありますか?」




「此処にある。配達用の肩掛けカバンの中身とこの背負い子に括られている荷物だ。それとこの地図はお前が持っていなさい」




レザンはテーブルの下にあるカバンと二つの木箱が括られた背負い子をランディに見せ、地図を四つ折りにして手渡した。ランディは困り顔で地図を丁寧に受け取る。




「この二つですか、分かりました。でもこの地図、かなり古い物ですよね。貴重な物では?」




「いいやそれはあたしがかなり昔、役場にある原図を写し、付け足していったのだがよほどのことがなければもう私が使うことがないからな。遠慮せずに使いなさい」




「そんな大切な物……本当に俺が持っていても良いんですか。もう腰が引けて来たのですけど」




「良いんだ、使わない私よりも使うことが多いであろうお前が持っておいた方が合理的だ」




レザンは手を振り、気にするなと言った。




「分かりました。なるべく、大切に丁寧に使わせて頂きますね」




神妙な面持ちでランディは地図を見つめる。




「でもただ一つだけ頼みたいことがある、ランディ。お前が見つけたこと、どんな小さなことでも良い。この町の情報を書いてくれ」とレザンはランディに一つだけ頼みことをして来た。




「了解です!」




ランディは肩掛けカバンを引っ掛け、更に背負い子を背負うと居間の扉に向かった。




「どうしたって仕事をするにはまず、町に慣れないとな。配達が終わったら次は接客と店番だ。やることはまだまだ沢山ある、今日はどんどん教えて行くから覚悟しなさい」




「勿論、望む所ですよ」




レザンの試すような口調にぐっと握り拳を作り、ランディは自信ありげに答えた。




「ふっ、その意気だ……」




レザンがランディを見て楽しそうに笑う。背中には背負子、肩にはカバンを引っ掛けてメモを片手に「それでは」とレザンに頭を下げると裏口から出て行こうとしたが、しかし。




「ああ、雨。どうして貴方は雨なの?」




「くだらないことは言ってないで早く着て行きなさい」




雨のことをすっかり忘れていたランディはレザンが用意してくれたレインコートを着込みながらぼやく。レインコートはとても大きく外套のように服の上から羽織るタイプでこれならば背負子の荷物が濡れることはない。




「では改めて、行って来ます」




「心配することはないが一応、気を付けなさい」




レザンに見送られ、ランディが外に出ると雨脚はあまり変わらず、酷い。寒さも相変わらずだ。まずは道をそのまま進む。しかしランディにはもう一つ忘れていることがあった。




「むむむ、そう言えば目的地決めてないや」




ランディは肝心なことを思い出して立ち止る。受け取ったメモと地図を確認してなかったのだ。




「失敗した! 取り敢えず、メモを見てみるかな」




額を叩き、苦い顔をすると濡れないようにレザンがくれたメモを左ポッケから取り出す。先の失敗の分を取り返す為、勢いで飛び出したのは良い。だがよくよく考えてみると目的地も決めていないし、この酷い雨では地図を見ることが出来ない。情けないことに出発早々、見切り発車という言葉がランディの身に浸みた。だが引き返す必要はない。ないならある物で繕えば良い。自分が知っている場所はないかとメモから探し、見つければ良いと考えた。




「まずは大工の『Racine』……全然駄目。分からない」




一つ目は外れ。




「次は『Robe』、てんで見当もつかない。そのまた次は喫茶店、『Figue』……そうだ! 此処だよ、此処」




三つ目で漸くフルールと町案内で行った喫茶店が配達先にあったのでそれから下の項目は見ることなく、まずは『Figue』を目指すことに。目的地が決まったランディは音のボリュームが抑えられた町の喧騒に脇目も振らず、そのまま役場のある中央広場まで行くと大通りを町の南側、正門の方へ歩く。雨に濡れた田舎道をひたすら歩き続けるランディ。




ブーツは雨に濡れ、重みが増してきた。




「靴、今日の夜にでも暖炉で干して置こう。その間の履物は―――― 成せば成るで大丈夫」




雨で靴がかびる、腐るのは困る。なんせランディの靴は今、ぼろぼろのこれだけ。もう一足か、二足買うまでは今のブーツに持って貰う必要があった。




「そうなると、服とかもなあ……」




靴がきっかけで服や生活雑貨など居住するにあたっての心配事をあれこれ出て来て考えているうち、ランディは喫茶店『Figue』に着いた。店はもう開いている。




「すっ……はあ」と息を大きく吸って止めた後、白い息を吐くランディ。幾ら一度訪れたことのある場所だとはいえ、初めての仕事だ。なかなかの緊張感がランディにしがみついて来た。




庇の下でレインコートの雨粒を落として脱ぎ、自分の太腿を叩く。心なしか足も震えて来た。




「やるぞ。うっし!」




気合いの一言と共にフード取ると扉を押した。飛び込んでしまえばもう、怖いことはない。




小気味の良いドアベルの音と共に「いらっしゃい」と言う声がランディを早速、出迎えた。




「おはようございます、日用雑貨店『Pissenlit』から注文の品をお届けに参りました」




ランディが中に入るなり、開口一番で自身の用件を伝える。勿論、ランディの話しかけた相手は『Figue』の女主人アン。アンはカウンター席の向かい、厨房で皿洗いなどをしていた。




「おや、レザンさんに頼んだ物がもう着いたのかい。良かった、良かった……だけどね。あんたは誰だい? 見ない顔のようで見たことがあるんだけど」




アンはランディの言葉を聞くと皿を拭いている手を止め、喜んだ。




しかしその後直ぐ、思い直したように首を傾げると当たり前の質問をランディに聞いた。




「……えっと、自己紹介させて頂きますね」




食べ物の良い匂いが立ち込める空気を命一杯吸うとランディは頼りげなく、前置きをしてアンに了解を求めた。




「ああ、そうしてくれるとありがたいね」




焦らなくとも良いとアンが持っていた皿を置き、にっこりと笑う。




「あのう実は一昨日にフルールと此処に窺わせて貰った者です。この度、レザンさんの所に住み込みで働らかせて頂けるようになりました。ランディ・マタンと言います。まだまだ未熟者ですが、宜しくお願い致します」




ゆっくりと確実にランディはアンに名前を名乗り、深々と頭を下げた。




「あらっ、そう言えば確かに一昨日、フルールと一緒に見た顔だわ。そうかい、そうかい良く分かったわ。私の名前はアン・チフル。宜しく、ランディ」




「はい、こちらこそお願いします。チフルさん」




ぽんっと手を叩き、納得したアンがランディに握手を求め、ランディもその握手に答える。




アンの手は女性特有の柔らかさがあった。




「名字で呼ぶのは止めておくれ、ランディ。チフルとか可愛げがないだろ」




茶目っけたっぷりの物言いでアンは指を振り、ランディに呼び名を正すように諭した。




「分かりました。アンさん」

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