Ⅰ巻 第貳章 条件と隠し事 1P

日が昇ってもいない小雪が舞う早朝にコートを着たランディは『Pissenlit』の外にいた。




早く寝たためか、昨日より更に早い時間に目が覚めてしまった。その為、体を動かそうと考えた。軽く体を解した後、ランニングを開始。走るランディの肩には何故か、この町に来て一回も開けていない短い方の布袋が掛かっている。もう一つは使わないので置いて来た。




「はっ、はっ、はっ、はっ、はっ」




呼吸のペースは一定で正門を目標に町中を駆けて行く。昨日の町散策で大通りが見えさえすれば生き帰りはもう迷うことがない。まだ暗闇が、三日月が星がそれぞれの仕事を続けている寒空の下、小道を白い息を吐きながら一定の足音を立てて走るランディ。そのまま大通りに出ると昼間の賑わいを見せない石畳の広場を左側へ曲がる。




ただ、何も考えず前だけを見る。風や雪が顔に当たるが瞬きもせず、目には生気がない。緩さが消えた顔は無表情。そこに人間味はない。機械のように手足を動かすだけ。楽しんでいる様子は皆無。無心だけを感じさせた。門にはゆっくりと時間を掛けて着き、立ち止まる。呼吸を整えてから町の周回を開始。ランディの走る速さは町中を走った時よりも数倍早い。




「もっとだ、もっと早く!」




ランディは黒い風と化していた。




「つっ! きついなあ、やっぱり……」




どんどん、距離を消化して行く。雪がまだ積もっていて走り難いのにも関わらず、黒い風は街壁を辿り、どんどん距離を消化して行く。昨日見た景色は驚くほど速く通り過ぎて行った。




「まだだ、まだ! こんなもんじゃない筈だ」




などと文句は言うが足を止めることはない。走るのに必要ない力を使い、負荷を掛けて行く。これも訓練の一つだ。ちょっと前まで病人だったことは感じさせずにランディは三周した。走り終えて特に息切れする様子もない。ランディはその足で何かを探すように歩き始める。




そして雪の少ない広場のような場所に辿りついた。前日まで何か物を置いていたのか、雪が殆どない空き地。先ほど、走った時に目を付けていた場所だ。周りの様子は遙か、南側に自分が通って来た街道と山々が見え、平原が広がっている。どれも真っ白な雪化粧が施されていた。右を向けば、町の正門が見える。しんしんと降る雪の中で立つランディの眼が鋭く尖り、体全体からは背筋を凍らせるような威圧感を出している。不用意に近づけば誰であろうと切り殺しかねない畏れを纏っていた。




ランディは持ってきた布袋から何かをゆっくりと取り出す、出て来たのは装飾がなされた茶色の鞘と一振りのブロードソード。持ち手も合わせると長さはランディの身長の半分ほど。刀身は細身。剣の装飾はほぼ何もなく、小さな蒼い石が柄の真ん中についているだけ。持ち手にはぼろぼろになった皮が巻いてあり、儀礼用ではなく、実戦用の剣だ。鞘には翼に挟まれた王冠が彫ってあるプレートが付いていていた。ランディは右足を一歩前に出して半身になり剣を左腰に据え、少し前屈みになりながら右手で一気に鞘から刃を引き抜く。




鞘の金属部分とこすれて、軽い音を立てながら出て来た刃は鈍色で傷ついているも丁寧に磨かれている。斬ることに特化した剣だ。刃は人を魅力する力がある。危険な自身を触れさせ、傷つけ、生を食らう。正に魔物だ。ランディの剣にも人を惹きつける力があった。空気を切る低い音共に鈍色が走る。歪んでいないか、試しの一振りだ。感覚が鈍るからと手袋をしていない。寒さで手が悴む素振りは見せず、振り方は正確で真っ直ぐ。一切の震えがない。




「よし!」




歪みがないことを振った時の空気抵抗で確認したランディは鞘を地面に置き、両手で剣を握る。剣を振る鍛練は腕の筋肉を鍛えること、足さばきの練習、効率良く全身を使い長時間続けられる体力を作ること。この三つを覚え、忘れないようにするのが目的だ。素振りは自分との戦いである。何時でも自分の決めた量をこなすだけと言えば簡単に聞こえるがそれは違う。己と向き合い、ハードルを下げず、甘えに耳を傾けることなく無心で続けることこそがこの鍛練の真の姿。確かに実戦形式の練習が一番良いのは確かだが時には一人で鍛練を積むことも必要だ。人と競い合う中ではどうしても初心を忘れてしまう。初心に立ち返ることは大切だ。




奢りは即ち、死に直結する。何人もの人間の死をランディは間近で見て来ている。どの死も油断が呼んだ死だった。中断に構えて軽く振り始めるランディ。手首から始め、体全体の固さを無くすように緩くそれでいて絶対に気は抜かない。こうしていると徐々に感覚を思い出せる。




戦闘の緊迫感、鍛錬の厳しさ、人を殺める時の生々しい感触。




「この町に来て、気が緩み過ぎていたかもしれない……」




ランディは今日までの五日間でさえ自身を省みた。感覚が戻ってきたら本気の素振りを開始。肩に力は入れず、手だけに少し籠める。体勢は絶対に崩さない、背筋を伸ばす。足を必要以上に動かさない。基礎の動きに連動して復唱し、仮想の敵を目の前に思い浮かべて確実に一人、また一人と斬って行く。




「もっと、もっと早く。正確に!」




当たり前のように振る一本が正確無比の一撃だった。大体、三千本を振った所でランディは鍛練を終わらせる。最後に鍛練の結果を見ることに。顔を俯かせて髪で目元を隠し、左足を前、右足をざりざりと後ろへ起き、斜め四十五度に開く。左腰に寄せて構え、一拍。その時、周囲の音が聞こえなくなった。直後、ランディは目で捉え切れない動きで斜め上に片手で斬り上げた。風を切る細い音と共に目の前に広がる雪と土が巻き上がり、がりりりと大きな力が地面を浅く抉る。恰も竜巻がランディの前に突如、出現し、暴れたかのようだった。




ランディは斬り上げた格好のまま。土と雪が落ち、ゆっくりと視界が広がる。何か衝撃波のような物が飛んだ方向を見れば、浅い傷跡がついていた。幾ら何でも筋力だけで飛ぶ衝撃波は絶対に出ない。特殊な能力により、出来ない人間もいないことはないが特異な人間に限られる。実はランディもその特異な人間の一人。そしてこのことをフルールやレザンは話していなかった。確かに今まで話したことも事実ではあるもはっきりとした本筋は抜けている。




「これも甘えだな……」




本当ならば話すべきなのだろうが守秘義務と言う言葉を盾にして何も語らなかった自分を責める。残念ながら新たな足場となるかもしれない此処にしがみつくのが精一杯で悔しいことに自分が信じる正しさから目を背けることしか出来なかった。だが時が来て、落ち着いてからゆっくりと話すつもりはある。それまでは自分自身を待ってやっても良い筈だ。




剣を収め、心を落ち着かせる為に立ったまま、少しの間黙想をする。




「我が槍は祖国の仇敵を貫く為」




力強く。




「我が弓は祖国の義を遙か彼方まで届かせる為」




決意を込めて。




「我が剣は祖国の民を守る為」




最後は心に刻み込むように。




標語を小さく呟くと半分止めていた息を吐き、集中を解く。




「いつの間にか変な癖がついてしまった」




ランディが呟いた標語は幾つかある軍の標語の一つ。三つで一つの標語として完成する。王国軍のモットーで一番有名な言葉は『常に忠誠を』。先の標語はあまり世間一般には知られていない物だ。勿論、ランディにだって言葉に思い入れをすることがある。

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