第11話 許せないもの

「分かっています。お嬢様……」

 場面は静かすぎるせいか、声を発する途端にみんなに注目された。

「奴隷たちの苦しみや悲しみに、国と国民の私たちは言い逃れない責任があります。けど」

 けど、貴女が忘れたものがある。

「死んだ人の悲しみは誰が背負うのでしょう」

「?!」

 その言葉を聞いた瞬間、姫様の体は小さく震えた。

 やはりそうなのか。可哀そうな奴隷を救うために必死になった姫様は被害者のことを忘れた。

「殺された少女はわずか16歳です。確かに、豪華客船で綺麗な制服で働いていた彼女は、あの男と比べれば、幸運なほうかもしれません。でも、そのちょっとした幸運は、殺人者を許す理由にはならないのです」

「彼女は一体なにをした、どうして殺されなければならないですか? 海の向こうに、彼女の帰りを待つ家族や友達がいます。彼たちの悲しみは誰に訴えばいいですか? 彼女を殺した男はあなたたちよりずっと不幸で、とても可哀そうな人だから、どうか許してあげてくださいー-そんなこと、彼女の家族や友達に言えるのでしょうか?」

「っ……!」

 姫様は言葉に詰まって、顔が青ざめた。

 少し、言い過ぎたかな……

「確かに、お嬢様のおっしゃる通り、平等が必要です」

 意外に、ウィルフリードは一歩前に出て、私の話に続けた。

「殺された女性はその男と同じ、大切な命です。命を奪ったその男が全ての殺人者と同じように審判を受けるのは、平等なことではないでしょうか」

「……それでも、審判の基準は平等ではありません! ですから……」

 姫様は震えた声で、まだ何かを反論しようとしたが、話は途中で切れた。

「カルロス家の地位と財力でなら、一番優秀な弁護士を雇えるでしょう。うまく運んで行けば、この審判は我々の社会に論議の嵐を招いて、代表的な判例になれるかもしれません。奴隷たちの権利のために訴えるなら、できるだけ盛大にしたほうが得策でしょう」

 正論に聞こえるけど、耳に刺さる言葉だ。

 姫様は唇を噤んで沈黙した。

 大男は私たちの言語が分からないようだ。彼の困惑そうな目線は姫様とほかの人の間を行ったり来たりしている。

「お嬢様、静かなところで、もう一度話をさせていただけませんか」

 姫様を配慮するつもりか、副船長は助け船を出した。

「皆様も、今日のところもうお休みになってください。この件に関して、私共は責任を持って処理致します」


「このような状況で、休んでも安心できませんわ」

「姫様に失礼な真似をするつもりはないが、犯人を野放しするなんて、どうしても納得できません」

 副船長の指示を聞いても現場を離れる乗客はいない。

 今晩は意外な出来事が多すぎる。

 安心しろと言われても、乗客たちの気持ちが落ち着かないでしょう。

「しかし、お嬢様の気持ちもお分かりになっていただきたい……」

 乗客たちと副船長が張り合っている間、ウィルフリードは私の耳元で囁いた。

「あの奴隷の男、オレたちの言葉が分からないふりをしているけど、けっこう理解したと思います」

 !

 そんなこと、どうして分かるの?

 ウィルフリードの話を確認するために、大男をじっと観察した。

 彼は私の目線に気付いたように、体が急に小さく揺れた。パチッと目を逸らして、乗客と船員たちのほうに視線を戻した。

「約束します。お嬢様の了承を得る前に、この人を警察に渡しません。港についたら、お嬢様の意見を伺いながらこの件を処理いたします。ですから、皆様に安心させるために、今しばらく彼を私共の監視下に置かせてください」

「……どうしても、ですか?」

 副船長の態度はかなり頑固なものだ。

 姫様は助けを求めるようにらんに振り向いた。

「お嬢様、副船長様は信頼できる誠実なお方です。犯罪者名簿のことも教えてくれたのはないでしょうか」

 藍は穏やかな笑顔で主人に返事をした。

 姫様が心苦しそうにうなずいた瞬間、大男は目を張って、顔に不服そうな表情が現れた。

 大男を慰めるように、姫様はたくさんの優しい言葉をかけた。

 船員たちは大男の両腕を縛って、船室の外に連れて行った。

 その間、男はなにか呪文のような重い言葉を唸りつづけていた。


「彼は何を言ってた?」

 人々が去った後、ウィルフリードと一緒に甲板に向かった。

「あの奴隷がぶつぶつ話していたこと? 彼の国の言葉でしょう。どうして僕に聞きますか?」

「あんたなら分かると思うから」

 ウィルフリードは納得して、私の望み通りに答えてくれた。

「『同じ』」

「同じ?」

「そう、ずっと『同じ、同じ、こいつらは同じだ』と繰り返していた。彼から見れば、僕たちは全員憎らしい敵でしょう」

「……だから、相手が誰だって、力のない弱いものでも平気に殺せるのか。異国の人だったらすべては敵、奴隷だったらすべては下賤もの、どれも似たような考え方じゃない」

 船室の扉を開いたら、冷たい夜風が吹き込んでくる。

「厳しいコメントですね」


「そう……?」

 足を甲板に踏み出して、私はさっきの推測を話した。

「彼ほどの力があれば、あの少女を気絶させることもできる。けど、彼は人を殺した。それに、大動脈を正確的に切った。取り乱した状態でできることじゃないと思うわ」

 次の言葉を待つように、ウィルフリードは静かなに私を見つめている。

「姫様は殺人現場のことについて詳しく知らないはず。なのに、『過失で人を殺した』と言った。姫様にその殺人を『過失』だと思わせるのは誰なの? あの男本人しかいないでしょう。彼は自分のしたことが分かっていて、姫様に偽りの情報を伝えた」

「もしあんたが言ったように、彼は私たちの言葉が分かっていても『分からないふり』をしていたら……それはもう、明らかに自分の『無知』を利用して、意図的に同情を買こうとしている。たとえ奴隷の運命はどんな悲しいものであっても、私はそのよう謀り深い殺人犯を許せない」


「確かに、彼はただのかわいそうな奴隷とは思えない。残念なこと、単純でお人好しの姫様は今も騙されたまま」

 ウィルフリードは鼻で笑った。私よりも早くその奴隷のことに気付いたかもしれない。

「……単純な人は単純じゃない人を見抜けない。お人好しの姫様は人を疑うことができないでしょう」

「あの姫様は、『最高の作品』だ。彼女は優しくて『単純』でいられる限り、高貴な身分、裕福な生活、奇跡のような力、人々の信頼、そして忠誠な仲間、すべてを手に入れるだろう」

 ウィルフリードの口調はまた変わった。

 その話の意味が分からない。

 姫様は幸運とでも言いたいの?

「姫様のことに詳しいの?」

「彼女の父のことは知らない?」

「カルロス公爵? もちろん知っているよ。スパンニア帝国の最も重要な貴族の一人、海軍の有力者。公爵がいるから、姫様は何も考えなくても幸せを得られると言いたい?」

 ウィルフリードに説明を求めたら、彼は形だけの笑顔を見せた。

「童話の中にしか存在しない、永遠の白いキャンパスより、お嬢さんのような個性的な絵が好きなんだ」

 ……

 話題をそらすための戯言か。

 その態度に気にくわないけど、姫様のことと別に、もっと気になることがある。

 ここで彼の望み通り、話題を変えてあげよう。

「あんたの好みはともかく、あの卑劣な計画はまだやるつもり?」

「やめる理由でもありますか? 舞台はもうできたし、派手に上演しましょう」

 いたずら成功を期待する表情だ。

 乗客たちの神経を休ませるつもりはないようだ。

 この人、本当に、人間としての良心はないかも。

「でも、私のせいで姫様はかなり落ち込んでいる。もう私を部屋に入れてくれないかもしれない」

「そんなことはないと思います。あの姫様だったら、むしろ、あなたとじっくり話し合いたいと考えているのでしょう」

「……」

 幸運な姫様にもなにか不幸なことがあるとしたら、この人に狙われたくらいでしょう。


 ***

「なぜだ!? なぜ犯人を尋問させてもらえないんだ!」 

 殺人事件はいったん落着と思ったら、また騒がしい声がした。 

「奴は潜り込んだ犯罪者たちと関係あるかもしれない! 真の探偵というものは、どんな細かいところも見逃すわけにはいかないんだ!」

「わかったわかった、正義の探偵坊や、今日はもうお、や、す、み!」

「寝れるだけでも喜べ、俺たちは徹夜で働かなきゃなんないんだ」

「お願いだから、勘弁してくれよ……」

 船員たちはやる気のない声で騒がしい少年をあしらった。

「へぇ、ずいぶん元気のようですね」

 意味不明な微笑みを顔に浮かべながら、ウィルフリードは少年の方向に目を向けた。

「?」

 不意に、ドレスが軽く引っ張られた。

「お姉ちゃん、あそこのお兄ちゃんはどうしたの? うるさいよ。マリちゃん、お母さんが見つからないの」

 ピンクな洋服を着ている可愛い女の子だ。女の子は不安そうな顔で少年のいる方向を指さした。

「心配しないで、レディー」

 ウィルフリードは女の子に優しく微笑んだ。

「お兄さんはすぐ黙らせてあげます」

 !

 いきなり、異常な寒さが背筋を走った。

 夜風、当たりすぎる、かな……

「どうする、つもり……?」

 ウィルフリードは懐から、親指の大きさのガラス瓶を取り出した。

「先ほど貴女のおもてなしに使ったものです。百倍の量で、来週まで黙らせてあげます」

 そう言いながら、彼は再び少年の方向に目を向けて、意味不明な微笑を口元に……

「お姉ちゃん……」

 小さな手はまた私のドレスを引っ張った。

「あのオジサンも、怖いよ……」

「大丈夫、お姉さんが見張ってあげるわ。さあ、お母さんのところに戻りましょう」

 今にも泣き出す女の子を抱き上げて、船室の扉に向かった。

 ある意味で、あの探偵の少年もかなり不幸なものだ。

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