未練を咲かせて
北極星
一
「よく燃える……」
眼下に見える光景を女は感情が全く籠ってない口調で呟いた。城の終わりを告げる炎が天にも届かん勢いで燃えている。溜息を付くと青から茜に変化している空を見上げる。
燃え盛る城を眺めながら女は一人、城内で起こっている略奪を思い浮かべる。
兵は戦利品が欲しいため、城内にある財産、人を奪い、売り払うことで食い扶持を稼ぐ。収穫出来ない分を補い、戦の間にくすぶっていた欲を女によって発散するのだ。攻められる側にとって実に理不尽極まりないことだ。
特に、乱世の中で女は道具にしか過ぎない。家の大事に口を挟むようなことなど滅多に許されない。
応仁の乱以降、突入した戦国時代は女にとって理不尽な押し付け以外のなにものでもなかった。
政略故に愛してもいない男性の下に嫁げと言われ、その家と実家の仲が悪くなれば簡単に離縁させられ、また別の家に嫁がされる。潰れた家の者に関しては路頭に迷い、残党狩りの慰み者になるか、誰にも知られずに野垂れ死ぬしか道は無い。
不快だった。城内で起きている惨状を思い浮かべるだけで吐き気をもよおす。女の背後に更なる不快感を覚える原因の一端の醜い獣がぞろぞろと集まってきている。背中越しでも分かる程、欲情の気を隠そうともしない。ざっと、五つはいるだろうか。仕方ないと溜め息をつくと女は振り返る。
獣達に視線を合わせた途端、下品な笑いが獣達から発せられる。女はますます不快感を覚えた。表情で気色悪いと訴えたにもかかわらず、獣達は更に近付いて来る。
「やっぱり、良い女だなぁ……」
先頭に立っていた獣、敗れて逃走しているはずの軍の兵が女を見る。欲情しきった目で笑い、釣られて後ろの四人の兵も同じような笑みを浮かべる。
「そんな嫌そうな顔をしても無駄だ」
女は背中まで伸びている髪の毛や女性ならではの胸の膨らみを鎧兜や鎖帷子で誤魔化さずに堂々と戦場の近くに立っている。恨むなら女と分かる格好でそこにいた己を恨め。そう言いたげな男達は更に笑みを深め、少しずつ距離を縮めてくる。おそらく敵の兵だろう。自分を慰み者にし、売って金を欲しているのが見え見えだ。
生死が隣り合わせの戦場で兵は常に緊張感を持っていなければならない。決して生半可なものではない。それから解放された時、男である兵達は必ず欲に駆られ、女を求めずにはいられなくなる。手がもう少しで届きそうな所まで詰め寄られても女は微動だにしない。それが逃れることへの諦めに見えたのだろうか。一番前にいた濃い髭面の兵が女に覆い被さろうと飛びかかってくる。
「ぎゃあぁぁ!?」
「消えろ……下衆が……」
まず一人、喉元に短刀を突き立てる。他の男達が突然のことに驚いている間に女はそれを隙と見て短刀を次々と彼等に突き立てる。
「たわいない……」
四人を斬り捨て、一番後ろにいる最後の兵を見る。体をそちらに向けると兵はとうとう悲鳴を上げながら逃走を試みる。しかし、女はそれよりも早く動いていた。
「真に恐ろしいのは人間の欲望……」
短刀を大きく開いた袖の中にしまう。何度、心中で囁いた言葉だろう。幾度、静かに声にした言葉だろう。数えるのも馬鹿馬鹿しい。他愛もないことを思ったと女は小さく溜め息をつくと五つの屍に目もくれずに立ち去った。
戦の終焉を見届けると女は自身が住む城へと戻った。既に夕闇が空を支配し、廊下を歩いていると女中達の夕餉の支度を急いでいる声が聞こえてくる。
実に平和だ。先日までの喧騒がまるで夢のようだ。頭を垂れてくる女は帰還すると浴びた返り血を流す。戦の結果を伝える為、主の元へと向かう。
「旦那様。ただいま戻りました」
「入るが良い」
襖を開けると男が布団から半身を起こして出迎えた。
「北信州への潜入ご苦労。御館様も巷に広がるものよりも確かな情報が得られたと大層お喜びであった」
「有り難く。されど、それは旦那様が御館様に私ごときを推挙して下さったが故」
「いや。それは違う……全てお前の功だ」
温和な笑みを浮かべて男は書状を女へと渡す。書状の内容は確かに女のことを称え、また、何かしらの褒美を取らせると認められている。
「お前には真に迷惑をかけるな。千代……」
望月千代はまた始まったと呆れながらも平静を装って顔を上げ、信頼の話に耳を傾ける。早く終われと千代の特徴であるつり目が少し険しくなる。
甲斐の大名、武田信玄の弟、信繁の息子として生まれた信頼は信州侵出を図る信玄の政略によって平安時代より続く名家、信州望月家を継いだ。生来、身体の弱く、戦に出ることもままならず、実際には望月家に追い出された形だと千代は思っていた。
「仮にも武田宗家一族たる私がこの有り様では……父上にも申し訳が立たぬ」
「お気になさらず。ゆるゆると療養致さば、また戦場に立てるようになるでしょう。それだけで御館様はご満足致しますかと」
今にも泣きそうな顔で申し訳なさを表しているのに対し、千代の口調は感情がほとんどこもっていない。政略結婚で、男嫌いな彼女にとって病弱な信頼には同情も出来ず、ただ哀れだなという思いしか湧いてこない。女同様、病弱な男ほど差別的な目で見られる者はいないため、信頼の立場というのは武田の中でも微妙なものだ。
「否、お前には女子らしく生きて欲しいと思っておるのに……望月家の名声を保つが為にお前に辛い目を……」
咳込んだため、言葉が途切れる。心配しなければならないと千代は近寄って背中をさすり、ゆっくり横にさせる。
「御身に障ります。それ以上は喋ってはなりませぬ」
「すまぬ。気遣い出来るお前に武人の真似事を……」
「もうよいと申しております」
語気を強めるとようやく信頼も黙ってようやく体を寝かせた。御家と自分のことを思ってのことだというのは分かっている。しかし、男に言われたことと飽きるほど聞いた台詞に辟易としてしまう。
気付かれないよう静かに息を吐くと立ち上がる。襖を開閉し、誰も周りにいないことを確認すると安堵の息を大きく吐いた。
何もされずに良かった、と。
千代は常に信頼を疑っていた。婚姻して一年程経っている為、信頼の人となりは理解している。常に温厚で誰にでも気遣いが出来る信頼だが、本当は自分のことを、子を成すが為の道具と思っていて、押し倒したいという欲を抑えているかもしれない。元気であれば他の者達と同様に尊大に振る舞っていたかもしれない。
疑えばきりが無いが、子供の頃から周りに強欲な男ばかりの環境にいた千代はどうしても信頼への疑心を拭い切れなかった。
一応、信頼のことを他の男よりはましな方だと思っていた。仮にも夫婦になった為に生じる贔屓目かもしれない。
実際、望月家周辺の国衆の男達にはろくな奴がいない。いっそのこと信頼が死んだらこちらの息子と再縁しないかと言ってくる輩もいる。千代の心情など、一切考えられていない。それに比べたら人畜無害な信頼の方が傍にいて、まだ安心出来る。
かつて母は乱世に生きる女として確固たる地位にいる男に愛され、子を成し、その行く末を見守るのは実に素晴らしいことだと語っていた。しかし、待っていたのは母が語ってくれた生活とは違い、ろくなものではなかった。
千代の場合、時期も立場も悪かった。影で動く者は敗北者に属していた女に対する容赦ない略奪や人身売買、落ち武者達の慰み者への末路をよく知っている。欲望に狂った男の目を今まで数多く見てきた。思い出すだけでも悪寒が走り、鳥肌が立つ。特に夫の首の前で兵達に犯されている女を見た時は吐き気を覚えた。その時は怒りのあまり、偵察の任務を忘れて兵達を斬り捨てた。さらに助けようとした女が既に放心状態で救いようがなくなっていたのがさらに怒りの炎に油を注いだ。生きる気力を無くした者を殺さなければならない無念がさらに男への憎しみへとなった。
自ずと拳を握っていた。食い込む爪にも気付かずに蘇る記憶に対して意味の無い怒りを覚える。いつの間にか廊下で立ち尽くしていた千代を我に返らせたのは女中の声だった。
「奥方様。いつまでこちらに立ち尽くしているので?」
慌てて顔を上げると心臓の高鳴りを静めながら声のした方に振り返る。
「いや……何だ。蓮か……」
声の主を見た途端、千代は安堵した。蓮は信頼と千代の世話を務めている上級の女中で、二人のことをよく知っている。
いつも聞いている声にさえ動揺する程、気が回っていなかったことに奥歯を噛み締めたくなる。
「奥方様。私でございましたから良かったものを、他の者にそのようなお姿を見せてはなりませぬ」
「案ずるな。私とて場所においては心得ておる」
「そのお言葉、そのままお返し致します。私とて奥方様のことは心得ております。今も昔も」
千代はからかわれたことに怒りを抱いて蓮を睨んだ。だが、構わずに彼女は言葉を繋ぐ。
「そろそろ、殿方にも慣れて下さらないとお付きの者としては困るのでございますが」
「分かっている。しかし……」
生来抱いてきた偏見とはなかなか変えることは出来ない。蓮は小さく溜息つき、周りを確認するとこちらに近付いてきた。
「いい加減、過去の事は忘れること」
城主の細君と女中とは思えない親しげな口調で囁いてくる。
「頼むから」
互いに同じ里で育った二人は幼馴染の間柄で、誰もいない所では蓮も敬語を捨てる。
糸くずが付いていたとわざとらしく言うと静かに離れ、去って行った。
千代は小さく唸って蓮の背中を眺める。怒りは消え、脳裏に残るのは蓮の真剣な表情。望月家のことを思うのならばと本当なら蓮は言いたかったはずだ。いい加減に男嫌いも控えなければ、望月家は途絶えてしまう。
誰にも聞こえないよう小さく溜め息をつくと蓮と反対の方へと足を踏み出す。早く世継ぎを生まなければならない。しかし、覚悟を決めようにも決められない。また、信頼の容態も芳しくない。
いっそのこと養子でもどこかから招こうかと考え、信頼とも相談したことがあったが、年配の家臣達がうるさい。まだ信頼は二十になって間もないのだからこれから元気になると無責任なことを主張して反対してくる。女をただ慰み者、能の無い道具として扱っているのを幾度となく目撃している千代にとって家臣達の言葉は塵以下の価値の為、聞き入れるまでもない。
時間は待ってくれない。薬師によると信頼はもって後二、三年ぐらいだろうと言っていた。家中の混乱を防ぐ為、まだ家臣達に言っていない。しかし、事情を説明しなければ家臣達は納得しないだろう。
圧し掛かる面倒事が千代の肩をする。病床の信頼に代わって命を下し、望月家を実質、指揮している生活に不満がある訳ではない。むしろ、面白さを感じていた。当主の奥方故に当然のことだが、女として男を表立って跪かせている。
女が表に立つことがめったに許されない時勢で、自分が望月家を統べている。実に愉快だ。当初は言伝役とはいえ、他の者に任せるべきと反発もあった。時間と共に声は無くなってきたが、千代の行っていることを知っているのはごく一握りの人だけ。知らない者達の不満は心中でくすぶっているだろう。
それをいい気味だと思っている千代自身もいるが、自分の問題と御家の問題は別である。部屋で落ち着いて考えをまとめる為、真っ暗な廊下を急ぐ。
千代が信玄に呼ばれたのはそれから三ヶ月程後のことであった。
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