雨女 〜文披31題〜

尾八原ジュージ

Day1 傘

 私が勤めている塾では、誰かの使い古しらしい色褪せた赤い傘を、置き傘として貸し出している。

 ところが塾生たちはほとんどそれを使わない。雨の日に傘を忘れても、走って外に飛び出していく。

「あれ、使わない方がいいよ」

 生徒たちの間でそう言い伝えられているらしい。

「だってさ、先生。覗かれるんだもん」

 塾生の一人がそう教えてくれた。

 彼女はこの塾に通い始めて間もない頃、一度だけ例の置き傘を借りたことがあるという。雨が降る中、傘をさして一人で歩いていると、突然髪の長い女が、ひょこっと傘の内側を覗き込んできた。

 思わず「きゃっ」と声を上げ、その拍子に傘を取り落としてしまう。その瞬間、女の顔は消えた。

 辺りを見回しても人気はなかった。塾生は慌てて傘を閉じると、その足で塾に引き返し、傘立てに傘を戻したという。

「自分が濡れちゃうのに、わざわざ返しにきたの?」

 そう尋ねると、彼女は唇を尖らせた。

「だって持ってるのも嫌だけど、その辺に捨てても祟られそうじゃん。何でかわかんないけど、そのときは絶対傘のせいで覗かれたと思ったんだよね」

 その塾生によれば、女に覗き込まれた子どもは他にもいるらしい。だから彼らの間では「あの傘を借りるな」という注意喚起が、大真面目になされていたのだろう。

 ところが、不思議と講師や事務員が使うときには覗かれないせいか、置き傘は捨てられず、ずっと傘立ての中に入っていた。実は私も興味本位で一度だけ借りてみたことがあるのだが、おかしなことは何もなかった。


 昨日は雨が降った。例の傘は、どうも誰かが借りていったらしい。

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