おまけ

おまけ 月が綺麗ですね

 アンリの執務室の裏口──つまり裏庭への扉付近に、小さなベンチを作っていた。

 元々は何もなかった場所なのだが、この日のためにエリーヌがロザリアに相談して作ったのだ。

 そのベンチに腰かけてそわそわと楽しみそうに待つこと数十分。

 扉を開ける音がした。


「エリーヌ?」

「あ、アンリ様! こちらです」


 立ち上がってお辞儀をしながらこちらへと呼ぶと、アンリはエリーヌの隣に腰かける。

 本当はくっついて座りたかったのだが、あるものが邪魔をして隣に座れない。


「エリーヌ」

「はい、なんでしょうか」

「このトレイに乗ったグラスの水と、ニョッキはなんだ?」


 実はこれは水でもニョッキでもないのだが、そのものを知らない、見たこともないアンリにはそう見えて仕方がない。

 エリーヌはその間違いを嘲笑うことなく、純粋に彼を可愛いなと思いながら白く丸い物体が刺さった串を手にとってアンリに見せる。


「実はこれはある東国の国の菓子で、『だんご』というそうなのです」

「だんご……?」

「ええ、よかったら……」


 彼女はアンリの口元にだんごを差し出すと、少しだけためらわれた様子で恐る恐るアンリが口にした。


「あ、甘いのか……!」

「はい、私があまり甘いのが得意ではないので、控え目ですが、素敵な食感ではありませんか?!」

「ああ、甘いのもいいがこのもちもちとした感じがいいな。ほら、エリーヌも」

「んぐっ!」


 美味しさの共有をしたいタイプのアンリはすぐさま皿にあったもう一本の串をとって、彼女の口にほおりこむ。

 もぐもぐとしてなかなか言葉を発せないエリーヌを、嬉しそうに少々変態気味に見つめている。

 ようやく飲み込んだ彼女は抗議した。


「そんなにまじまじ見ないでください!」

「え~だってハムスターみたいにもぐもぐしてるエリーヌも可愛いじゃん」

「その、最近、か、可愛いって言いすぎてませんか?」

「え? いや、別に今まではの……」


 脳内で言っていた──と口走りそうになったが、以前変人だと言われたことを思い出し、今度は変態とい割れるのではないかと思い、口をつぐんだ。

 咳払いをして少し目を逸らすと、ぼそりと呟いた。


「だって、可愛いんだもん」

「──っ!!」


 好きとようやくいってくれた彼が、ことあるごとに毎日毎日自分を「可愛い」と言ってくれる。

 やはり少しまだ慣れない、むずむずとした感覚が拭えずにエリーヌは照れ隠しのように「水」を勧めた。


「ア、アンリ様! これどうぞ!!」

「んっ!! ……ごほっ! にがっ!!」


 その反応にしまったとばかりに口に手を当ててあたふたする。

 エリーヌが渡したその「水」は彼女自身が用意しただんごに合う酒だったのだ。


「すみません! それお水じゃなくてお、お酒なんです!」

「酒!? これが!?」

「ええ、お米で作った東国のお酒で、そこの方々はこれで晩酌をするのだそうです」

「はあ……ワインみたいなものか。かなり度数ないか、これ」

「そうなんですか?」


 その瞬間アンリの脳内にいた悪魔が囁いた。


(これでエリーヌを酔わせれば、さらに可愛いエリーヌが……)


 そう考えた自分の邪な心にふるふると頭を振って拒否する。

 彼は必死に脳内で「悪」と闘っている。


「アンリ様?」

「いや、なんでもない。でもなんで東国の食べ物に飲み物なんだ?」

「舞台で一度訪れたことがあって、その時に教えていただいたんです。この時期に皆さん、月を見てこうしてゆっくりするのだそうですよ」

「月を?」

「はい、あいにく満月の日はダンスパーティーでしたから、今日にしました」


 そう言って二人は静かに月に目を移す。

 先程顔を歪めた酒に手を伸ばして飲んでみる。

 段々涼しくなってきた夜風が二人を静かに撫でていく──


「いいものかもしれないね。こうした静かな夜も」

「ええ」

「このベンチも料理も酒も、用意してくれたのか?」

「はい、ジュリア様が先日のお詫びにとくださったものの中にあって……。ベンチは町のグリードさんにお願いしました」


 大工屋であるグリードに依頼をして昼間つくり上げてもらった。

 エリーヌもすこしだけ手伝ったのだが、やはり素人には木を切ることも組み立てることもうまくいかない。


「ルイスさんの地下室を作ったのもグリードさんだと聞きました」

「そう、父の時からよくお世話になっててね。家の家具もいくつか仕立ててもらった」

「そうだったんですね」


 月をぼんやりと眺める彼の手に、自らの手を重ねる。

 二人は目を合わせることなく、手で会話していく。

 愛おしそうに絡められた右手と左手は、強く結ばれる。



 エリーヌはちらりとアンリの横顔を見ると、あまりの美しく綺麗な表情に心を奪われる。

 そして、さっと目を逸らした彼女は自分の足に視線を移しながら、消え入るような声で言った。


「……月が綺麗ですね」

「え?」

「い、いえ! なんでもありません! お酒つぎましょうか!!」

「あ、ああ」


 その意味をきっとアンリは気づかないだろうと、そう思いながら顔を赤くする。

 しかし、数日後に東国に興味を持ったアンリが調べている最中、秋も終わりを告げた頃にその言葉を知った。


 今度は彼からの「月が綺麗ですね」口撃を受けるのだが、「今日は月は出てません!!」と屋敷に響き渡ったらしい──

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