第25話 友人としての決意と覚悟(2)

 アンリは静かになった鷹とその鷹を抱き留めているエリーヌを見つめていた。

 考え込むように顎に手を当てると、何やらぶつぶつと唱えだす。

 そうして彼はようやく口を開いた。


「エリーヌ」

「は、はい」

「ロラ、とは君にとってどんな存在だ」


 いつもの声色よりも低く、そしてひんやりとしたその声に彼女はびくりとした。

 彼女からの返答をじっと待つように鋭い視線をエリーヌに向ける。

 そのただならぬ雰囲気にルイスは声が出ず、思わずこの場から去りたいほどの緊迫感だった──


(ロラはどんな存在か……)


 彼女とは幼い頃より舞台に立つ戦友でもあり親友でもあった。

 家格も同じくらいであったが、エリーヌの家は一部新事業として革製品の生産と輸出をおこなっていたこともあり、家畜産業をおこなっていたロラの家と親しかった。

 好きになる服や好きな本もよく一緒になり、いわゆる趣味が一緒の友達でもあった。



『ねえ、エリーヌ! この服どう思う?』

『う~ん。可愛いけど、ちょっとロラには甘すぎじゃないかしら?』

『そうよね!? もうお父様ったらこんなフリフリの衣装ばかり着せたがるのよ!?』

『ふふ、うちも一緒』

『やっぱり!? おじさまもエリーヌに昔からそういう服着せたがるわよね!』

『可愛いのもいいけど……』

『そろそろ私たちも魅惑の大人の女性歌手になりたいわよね! ジュリア様みたいな!!』

『そうね、ジュリア様は憧れだわ……』

『一緒になりましょう。ジュリア様のような──』



「真紅のドレスが似合う歌手に……」


 赤い文字で危機を知らせる手紙を握り締めて、少し浅く息を吐く。


(彼女にあの日、声を失った日。いえ、それより前からきっと嫌われてた。はめられた。私は……そう、だから本当なら私は、文句を言いたい。昔のようになんでも言い合えたあの時のように、私はあなたへの言葉を伝える)


 おもむろに立ち上がった彼女はロザリアを呼び、動かなくなった鷹を預ける。


「ロザリア、この子を診てもらえるかしら」

「かしこまりました」

「アンリ様、私はロラを恨んでいました」

「……」

「よく思えば、ロラがあの晩、嘘の証言をして、毒を盛った罪を着せられたことで、私はアンリ様に出会えたといえます。しかし、私はまず聞きたい。本当に彼女が私をはめようとしたのか、もう親友でなくなったのか」


 アンリは目を細めて厳しい表情を見せたまま、エリーヌに近づく。

 そして彼女に問う。


「それでも助けたい?」


 彼女の表情から汲み取って、アンリは最終選択を迫る。

 本当に自分を傷つけた人間を救いたいのか、と──

 エリーヌは拳を握り締めて強く訴えた。


「助けたいです。どうか、どうか、この非力な私に力を貸していただけませんでしょうか」


 彼女は自分一人では助けられないことを重々承知していた。

 公爵夫人とはいえ第一王子であり、元婚約者であるゼシフィードに以前真っ向から挑んで負けている。

 だからこうして彼女は自分の無力さを自覚して、夫であるアンリに知恵を貸してもらえないかと頭を下げたのだ。


 彼女の覚悟の言葉を聞いて、ふうと息を吐く。


「じゃあ、可愛い甥っ子に少しお灸を据えることにするか」

「アンリ様……」

「あの地下室の入り口までの隠し通路がある」

「──っ!! それって」

「ああ、ルイス。お前も使ったことあるだろう? 私との悪戯の時に」


 エリーヌは少し首をかしげて二人の表情を交互に見つめている。


「王宮に昔住んでいた頃、子供たちで遊ぶ時の定番の鬼ごっこ。それをしている時に王宮内を巡りまくったからな」

「兄さんは一番あの隠し通路だらけの王宮を把握していましたね」


 王族でもある彼らは王宮に数年住んでいた時があった。

 その時の遊びといえば専ら大人たちに悪戯をする鬼ごっこ──

 エリーヌは納得したように一つ頷くと、アンリの瞳を見つめて真剣に聞いている。


(ああ、可愛い……そんな目で俺を見つめて、俺のこと尊敬したかな?)


 悲しいかな。

 エリーヌはただ、そうした過去も夫にはあったのだなあと考えながら見ているだけだった──




◆◇◆




 王宮の裏手に回り込んだエリーヌとアンリは、衛兵に見つからないように屈んで兵の動きを観察している。

 もうここに張り付いて数十分になっていたが、彼は動こうとしない。


「アンリ様、これは何か待っているのですか?」

「ああ、まあ見ててくれ」


 長時間屈んで足がしびれそうになってきたエリーヌが、足を組み替えたその時だった。

 衛兵たちが一斉にどこかに向かって走っていく。


「──っ!」

「ふふ、いまだにこの時間は変わってないか。この時間はね、騎士長への報告の時間なんだ。ほんの少しだけここに死角ができるんだ。いくよ!」

「は、はいっ!」


 走り出したアンリの後を追って、エリーヌも王宮内に足を踏み入れた。



 走った先には大きな丸い柱の建物があり、その階段を一気に地下へと下っていく。


「エリーヌ、下がっていて」

「はい」


 アンリは地下牢の入り口にいる衛兵に向かってゆったりと歩いていく。


「ん? 誰だ?」

「ゼシフィードだ、ロラの牢屋の鍵を開けろ」


 その瞬間、地下室の空気が一段と冷えた気がした。


(え……アンリ様、どういうことですか、それは? なぜゼシフィード様だと……)


「ふざけるな! なんだお前! 恐れ多くもゼシフィード様をかたるとは」

「おや、やはりダメか」


(いや、さすがにダメでしょう……)


 むしろなぜそのゼシフィードだと言い張ることができると思ったのか、エリーヌは夫の無謀な策に頭を抱える。


「では、これではどうか?」

「──っ! そ、それは王族第一級証……」


(第一級……!?)


 それは王族内の身分で最も上である国王と王妃に次ぐ身分証だった。

 アンリは若い頃の才覚、実績を評価されてその地位にいた。


「申し訳ございません!」


 衛兵は見るのは初めてであっただろう王族証に思わず後ずさる。


「さあ、ロラの牢屋を開けてくれるね?」

「も、もちろんでございます!」


(す、すごい……)


「ほら、行くよ」


 ぼうっとしてしまったエリーヌの手を引いてロラのもとに向かった。



「ロラっ!!」

「エ……エリーヌ……?」


 髪は乱れ、身体は痩せこけてその目はようやく光を受けている。

 その身体を支えてエリーヌは抱きしめた。


「ロラ、あなたに言いたいことも聞きたいこともある! でも、ここから逃げましょう。ゼシフィード様から」

「でも……」

「私はもう一度あなたときちんと話したい! 話させてほしい!」

「──っ!!」


 ロラはそっとエリーヌの頬に手をあてると、ふっと笑った。


「変わったわね、あなた」



 ロラを地下室から救出した二人はエマニュエル邸へと急ぎ戻った──





 数時間後にゼシフィードはこの事態を知ることとなった。


「アンリが来ただと!?」

「あ、は、はい! それでロラ様を連れて……」

「黙れっ!!」


 衛兵はゼシフィードの傍にいた兵に殴られて床に倒れる。


「ビズリーといい、アンリといい、私の邪魔をするのは許さん!」


 ゼシフィードはふと床に見覚えのあるネックレスが落ちているのに気づく。


「エリーヌの、だと……? ふ、ふふ……あははは! あいつら、絶対に許さない……」


 そのネックレスを彼は冷たい床に叩きつけた──

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