第19話 『毒』公爵と呼ばれた彼
アンリは植物研究室にて、白い花を咲かせる植物の球根部分の実験をおこなっている最中であった。
球根部分の組織をつまみ、それを透明の液体に入れる。
その容器を振ると徐々に液体は赤紫へと変化していった。
「違う……」
目頭をつまんで目を閉じると、アンリは天井を仰いだ。
何度やっても思う通りの結果にならない──
アンリの目の端に青々とした葉を伸ばす植物が目に付く。
(ようやく蕾がついた……もう少しでこの花も咲くかもしれない)
長期間咲かなかった花にいよいよ蕾がついてきて、今朝方それに気づいたアンリは心を躍らせた。
彼の愛しい人──エリーヌを思わせるその花は少しずつではあるが、成長を見せている。
「アンリ様」
研究室の入り口の扉から中を伺うように遠慮がちに覗いているエリーヌは、彼と視線が合うとちょこんとお辞儀をした。
エリーヌの来訪で少々戸惑ったのか、テーブルの上の水をこぼしてしまう。
「ああっ!」
「わっ! 申し訳ございません! お手伝いします!!」
二人は急いでテーブルに巻かれた水を布でふき取っていく。
まだ少量の水であったために、すぐにテーブルは元通りになる。
「水、もう一度汲んできましょうか?」
「い、いや! 大丈夫! すぐには必要ないから」
「そうですか、かしこまりました」
もう一度小声でごめんなさいと謝る彼女に、アンリは首を振って大丈夫だと伝える。
ようやく少し落ち着いたところで、彼は疑問を投げかけた。
「そういえば、なぜここに?」
「あ……その、えっと……実は、先程ルイスさんに会って」
「──っ! ……なるほど。それで俺に聞きに来たってことか」
「はい」
ドレスの裾を握り締めて勇気を振り絞ると、勢いよく顔をあげてアンリをしっかりと見つめる。
「教えてください。あなたのこと、そしてエマニュエル家のこと」
アンリは少し沈黙した後、ソファの方へと向かうとテーブルに雑多に置かれているいくつもの本を重ねてまとめていく。
その本を自分の書斎机の上に移すと、エリーヌに向かっておいでと言って呼び寄せた。
「こっちで話そうか」
「はい」
軽く会釈をしてソファに腰かけると、その隣にアンリも座る。
普段の彼とはまた違う、整った顔立ち故にその真剣さ漂う様子がより緊張感を増していた。
エリーヌは自分から求めるのではなく、彼が話し始めるのをじっと待つ。
そうして時計の針がカチッと鳴った後、アンリは両手を絡めて膝に肘をついてその沈黙を破った。
「ルイスの部屋に行ったのかい?」
「はい、たまたま壁の扉を開けてしまい、入ってしまいました。申し訳ございません」
「いや、謝る必要はないよ。いずれ話そうと思っていた。遅くなってしまってごめん」
彼はエリーヌに膝を向けると、深々と謝罪をした。
「しばらく会っていないんだ。彼には。彼に合わせる顔がなくてね」
アンリはエリーヌの青い瞳を見つめると、少しだけ笑った。
「どこまで聞いたの?」
「ルイスさんの目の事。それから、ご両親の事。裏庭にあるお墓もご両親のものだって」
「そうか、あの子は君を信頼して話したんだね」
アンリは少し嬉しそうな表情を浮かべる。
その顔は家族を思いやる顔で、そして兄の顔のようにエリーヌには思えた。
『どうか兄さんを救ってください』
彼の懇願するような言葉が彼女の脳内に流れる。
(アンリ様はどう思っているのだろう)
彼から聞いた二人の過去、そしてエマニュエル家の過去をアンリはどう思っているのか。
そっと彼に尋ねてみた。
「アンリ様は自分のせいだとお思いですか?」
「……」
ストレート過ぎたように思えたが、彼には回りくどい言い方や詮索などは通じないと感じた。
アンリは一度天井を見上げた後、窓の外に見える彼らの両親の墓石を見つめる。
「父上と母上を殺したのは俺だよ」
「──っ!」
「殺した」という強い言葉にエリーヌは心が裂かれるような思いになる。
「俺は人を不幸にする。弟から目を奪い、両親を奪って。俺は家族を不幸にするんだ」
ルイスの言った通り彼が自分を責めていることを知って、エリーヌは唇を噛みしめる。
彼は苦悩するように頭を抱えると、かすれた声で言葉を続けた。
「『毒』を研究した。弟の世界から色が消えたあの日から。でも治す薬は見つからない。文献であの『毒』の効果を消すには、彼の目を治すには今の薬では無理だと」
「それで『毒』をずっと研究なさっているのですか?」
「ああ、自分で植物を育て、実験して、異国の植物の研究もした。それでもまだ見つからない。彼の画家になりたいという夢を奪ったのはこの俺だ。俺が必ず見つけなければ……」
アンリは早口で自分に言い聞かせるように語る。
(ああ、そうか。だからこの地方にいるんだ)
ここは王都とは違い植物の群生地としても有名であった。
歴史的に有名な数々の植物研究者たちがこの地域で育ち、研究を重ねた場所──
だから彼はこの場所にいて、この場所にこだわって離れない。
(過去が彼をこの土地に、そして『毒』に縛り付けている)
エリーヌは『毒』にからめとられた彼を見て、自分自身を重ね合わせた。
歌に縛られ、歌声を失って何者でもなくなった自分。
彼女は初めてそんな自分の事情を打ち明けてみたいと思った。
「アンリ様、私の話を聞いてくださいますか?」
「ん? ああ、もちろん」
「私は歌手でした。この家に来る前日にどうしてか気を失って、気がついたら歌声が出なくなっていたのです」
ディルヴァールの調書によって彼女が有名な歌手であることは知っていた。
それに先日の王宮夜会に行った際にどこかの貴族たちがエリーヌの良くない噂や歌声が出なくなったことを話しているのも耳にしている。
そうしてエリーヌは当時のことを思い出しながら語っていると、ふと今までの意識にはなかった記憶がよみがえってくる。
「そういえば……」
「どうしたの?」
「意識を失っていて起きた時に、甘い味がしたんです」
「甘い味……?」
「なんだかベリーの甘ったるい感じで……」
彼女の証言を聞いたアンリは顎に手を当てると、ぶつぶつと何か話しはじめた。
やがて何か思いついたように勢いよく顔をあげると、本棚のほうに急ぎ足で向かっていく。
上から二段目、三段目と本を指さしながら目的のものを探してせわしなく身体を動かしている。
「アンリ様……?」
やがて、四段目に差し掛かったその瞬間に、ある本を手に取ってページを何度もめくっていく。
数十ページめくったときに、彼の手が止まった。
「これだ……」
「え?」
アンリは持っていた本をエリーヌに見せると、文献のある場所を指さす。
そこにはかなり古い絵で植物が描かれており、エリーヌには読めない言語で何か文字がたくさん書かれていた。
「弟の目を調べている時に昔見た文献なんだけど、その時は気づかなかった。弟も毒草に触れたとき、ベリーの香りがしたと言っていたんだ」
「え!?」
「俺はそれを甘酸っぱい香りだと認識してしまった。しかし、違ったんだ。おそらくもっと甘い香りで酸味はないに等しいのかもしれない」
アンリは一つページをめくってある文字のところで指を指す。
「ここ、甘美な香りと記されている。もしかするとこれは甘い香りのことではないかと」
そこで二人は目を合わせる。
エリーヌは彼の言いたいことがわかった。
「俺はそもそも原因となった毒草を間違って認識していたかもしれない。それに……」
「はい、もしかして……」
二人は同じ想定を思い浮かべた。
(エリーヌが歌声を失った原因は毒草であり、その毒草はルイスが色を失ったものと同じかもしれない)
新たな希望が見えたアンリはすぐさま文献の読み込みを始めた。
エリーヌも共にその研究を手伝うことにした──
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