第10話 宿と買い物

 フィーネの定宿はギルドから歩いて十分ほどの場所にあった。冒険者向けに手広く商売をしているようで、一階には宿泊客じゃなくても利用できる食堂と、ちょっとした道具屋もあるみたいだ。


「すみませーん」

「はいはーい。ちょっと待ってくださいね」


 カウンターから奥に向かって声をかけると、女性の声で返答があった。少し待っていると、エプロンを着た年配の女性が姿を現す。


「あれ、フィーネちゃん。どうしたんだい?」


 フィーネはすでに顔を覚えられているようで、女性は親しげにフィーネの名前を呼んだ。


「おばさん、忙しいところごめんね。私の友達がこの宿にしばらく泊まりたいんだけど、部屋って空いてる?」

「エリクです」

 

 女性の視線が俺に映ったので挨拶をすると、女性は宿帳をペラペラと捲ってから頷いた。


「一人部屋でいいんだよね?」

「はい」

「それならちょうどフィーネの隣が今朝空いたんだ。そこでいいかい?」

「おおっ、タイミング良いね。エリク、そこで良い?」

「もちろん」


 俺が頷くと、女性は宿帳に俺の名前を書き込んだ。そして部屋の鍵や宿の使い方が書かれた紙などを準備してくれる。


「エリクはテイマーじゃないのかい? もし魔物がいるなら魔物用の小屋も貸し出せるけど。手のひらに乗るサイズの小型の魔物以外は、小屋を使ってもらうようにしてるんだ」

「俺はテイマーじゃないから大丈夫です」

「了解だよ。じゃあ料金は……」


 それから俺はとりあえず一週間分の宿代を支払い、部屋に案内してもらうことになった。食事は朝と夕付きで、一階にある食堂で日替わりのメニューを無料でもらえるらしい。


「ここの食堂のご飯は美味しいんだよ」

「それは楽しみだな」

「うちの人が料理人なんだ。毎日張り切ってるから楽しみにしてやっておくれ。――はい着いたよ、ここがエリクの部屋だね」


 部屋は三階のようで、階段を登ってすぐの場所に位置していた。一つの階に部屋が六つもあるので、かなり大きな宿屋みたいだ。


「使い方とか分からないことがあったら気軽に声をかけてくれたらいいよ。今の時点で質問はあるかい?」

「いえ、大丈夫です」

「じゃあごゆっくり。夕食の時間が始まるまでは……あと二時間ぐらいだよ」


 女性は最後にそう言い残すと、忙しそうに階段を下りていった。それを見送ってから部屋の中を覗いてみると、部屋は予想以上に綺麗で広かった。


「今まで暮らしてた部屋より断然いいよ」

「良かったね。数週間暮らしてるけど、かなり居心地良いよ」

『僕はそこのテーブルの上が定位置なんだ』


 フィーネの肩の上にいるラトが、ベッド脇にある小さなテーブルを指差した。


「あのテーブルにラト用の小さなベッドを置いてるの。本当はリルンも一緒に部屋に入れたら良いんだけど、意外とそういう宿屋は少なくて」

「いくらテイムされてるからって言っても、どこにでも入れるわけじゃないもんな」

「そうなの。ほとんどないけど、たまに入れないお店もあるよ。特に食堂とかかな」

「それは寂しいな」


 でも入店を断りたい人の心境も分かるから、そこは受け入れるしかないんだろう。テイムされてるとは言っても魔物は魔物だからな。


「これから二時間はどうする?」


 少しだけ暗い雰囲気になってしまったのを切り替えるように、フィーネが明るい声音でそう聞いた。俺はそれに乗って、努めて明るい声を出す。


「そうだな……さっきの道具屋を見てみたいかも。まだまだ足りないものがたくさんあるんだ」

「買い物だね。私も一緒に行って良い?」

「もちろん。できれば冒険者として必要なものを教えて欲しい」

「それなら任せて!」


 フィーネはやる気十分な様子で拳を握りしめると、楽しそうに階段へと向かった。


 宿の一階にある道具屋は予想以上に広かった。入り口は狭いけど、中は広い作りみたいだ。


「エリクってその鞄の中身しか持ってないんだよね?」

「うん。ほぼ何も持ってないに等しいかな。錬金に使うすり鉢とか余計なものは入ってるんだけど」


 鞄を広げて見せると、フィーネはその中身に微苦笑を浮かべてから、指折り必要なものを数えた。


「まず下着と着替えは絶対に必要だよね。布も何枚かは欲しいかな。後は洗濯をした時に使うロープも。それから採取したものを入れる袋ももう少し数があったほうが便利だよ。後は……食料を入れるための袋は他と分けたほうが良くて、水袋も必要だよね」


 予想以上に必要なものが多いな……これは鞄を二つに分けたほうが良いかもしれない。


「鞄って宿に置いて出かけられるのか?」

「うん。基本的には問題ないよ。私も一つ大きな鞄を持ってて、いつも宿に置いてるから。ただ貴重品は持ち歩くのが基本かな」


 じゃあこの鞄は常に持ち歩くものにして、もう一つ大きめのリュックでも買うか。俺は錬金道具も買い揃えたいと思ってるし、絶対この鞄には入りきらない。


「まずは鞄から選ぶことにする」

「了解! 私も使い良さそうなやつを選ぶよ」


 それから俺は初期投資ということで合計金額には目を瞑り、必要なものを全て購入した。これで問題なく冒険者としてやっていけるけど、その代わりにお金はかなりカツカツだ。


「フィーネ、明日からはさっそく依頼を受けよう……」

「もちろん。昇格試験を受けるにも依頼達成の実績が必要だし、頑張って仕事をしようね」

「ああ、めちゃくちゃ頑張るよ。剣も買いたいし錬金道具も買いたいし、しばらくは金欠に喘ぐことになりそうだ」

「ふふっ、それは仕方ないね」


 剣が手に入るまではとにかく基礎鍛錬だな。リルンが手伝ってくれるって話だし……倒れないように頑張ろう。


「そういえば、フィーネは何か武器とか使うのか?」

「もちろん。私はナイフだよ。二本持ちで戦うの」

「え、めちゃくちゃカッコいいな」


 二本を同時に操れるとか、相当な熟練度がないと無理だろう。俺も負けちゃいられないな。


 俺は明日から頑張ろうと決意を固めつつ、まずは腹ごしらえだと、美味しい匂いの発信源である食堂に向かった。

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