第2話 はじめてのしゅじゅつ
初めての手術は、栗須が3歳か4歳の頃です。
正直ほとんど覚えてません。そこに至る経緯もよく知りません。
特に興味もなかったので、両親に詳しく聞いたこともありません。
唯一覚えてるのは麻酔前、大泣きに泣いてたこと。
子供にとって、白衣をまとったお医者さんは、ある意味恐怖の代名詞。怖かったんだと思います。
勿論、幼児ですので全身麻酔でした。
とまあ、ここまでだとよくある子供の手術体験なのですが。
両親によると栗須の症状、実は「誤診」だったそうです。
確認したら、何も問題なかったとのこと。
はい。意味もなくお腹を切られただけでした。
父は激怒、母は大泣き。お医者さんは平謝り。
ですが今と違い、世の中がそんなに複雑ではなかったからか。
両親がそういうことが嫌いな人だったからか。
裁判や賠償金といった話にはならなかったそうです。
ただ意味もなく怖い思いをして、お腹を切られただけ。
栗須のお腹には、その時の傷がまだ立派に残ってます。
戦績0勝1敗。
それから時は流れ。
栗須も19歳になりました。
それまで特に大きな病気もしませんでした。ですがやんちゃでしたので、怪我は絶えず親に心配ばかりかけていました。
お風呂屋さんで走ってガラス戸にダイブ、目の上を2針縫ったり。
自転車でこけて、ブレーキが太腿に突き刺さって2針縫ったり。
廃ビルで遊んでいて落下し、腕を骨折したり。
草むらに落ちていたガラスで掌を切って3針縫ったり。
まあ、昭和の子供あるあるだったと思います(笑)。
親への反発から、大学受験をやめて社会人に。
ホテルでウエイターをやってました。
その頃の自分は、「幸せになる為に必要なのはお金だ」と信じてました。それが高じてバイトを掛け持ちし、12時間労働に勤しんでました。
立ち仕事の12時間は、怠け者の栗須にはきつかったのでしょう。
体調不良に悩まされることとなりました。
病院に行くとお医者さんから「手術せんとあかんね」とあっさり言われ。
病名を聞くと、3歳の時に「何もなかった」と言われていたものでした。
あれ?
と言うことは、やっぱりあったの?
頭にいくつもの「?」を抱えながら、手術を了承。
この時の手術は無事成功し、今現在も再発していません。
これで1勝1敗。
ですが入院により解雇されてしまい、それから何か月か無職生活を堪能することとなりました。
20歳になって。
3度目の手術がやってきました。
違和感を感じ病院に行ったのですが、手術だねと言われ、「じゃあやります」と即答。
その病院。その手術では西日本でトップクラスと言われてました。
診察してくれた先生も、その分野では有名な人だったそうです。
この人が執刀してくれるのなら安心だ、そう思い迎えた当日。
あれ?
あれれれ?
なんで先生、腕組んで笑ってるの?
それでその……先生の隣で緊張してる若い人。なんでそんなに怖い顔してるの?
そんなことを思いながらの下半身麻酔。
全裸って本当、無力感の塊になるんです。
不安と恐怖で、声も出なくなります。
横向きで体を丸め、背骨に麻酔の注射をぶっ刺され。
仰向けになるともう、何も考えられなくなりました。
いや、ひとつだけ。
そこの若い人。兄ちゃん先生。なんでメス持ってるの?
先生? おっちゃん先生?
手術前、その兄ちゃん先生が栗須に話しかけてきました。
「これが初手術なんです。よろしく」
いやいやいやいや、聞いてないから。
大体そういうこと、今言うのやめてくれない?
安心して手術、任せられないじゃない。
どうやら栗須は、初オペの生贄にされたようでした。
隣でおっちゃん先生が指示を出す。その指示に従い、青い顔のまま栗須の体を切り刻んでいく。
「バイタル下がってます」
不安からか恐怖からか、血圧が急激に下がりました。
兄ちゃん先生の指が体内に入っていくのが、麻酔してても鈍く感じられて。
しかもおっちゃん先生、看護婦さん。
高校野球の話をしてるし。
寒い。怖い。
看護婦さんが栗須の上半身に毛布をかけ、「心配しなくていいですよ。大丈夫、安心して」と笑顔で声掛け。
いやいやいやいや、その前に高校野球の話をやめてって。
それから兄ちゃん先生。いい加減その怖い顔やめて。
そんなこんなを思いながらも手術は続いて。
そして。
栗須の手術エピソード、最大の山場がやってきました。
高校野球の話で盛り上がっていたおっちゃん先生が、突如発した言葉。
「あーお前、何やってんねん! そこ切ったらあかんやないか!」
はい。絶望って、こんな近くにあったんですね。
これほどの絶望、その後の人生を振り返ってもなかったと思います。
「え? え? す、すいません」
いやいやいやいや、すいませんじゃないから! これ、栗須の体ですから!
謝るのは先生にじゃないでしょ!
この時ほど、全身麻酔にしてほしかったと思ったことはありません。
「バイタル下がってます!」
再び下がっていく血圧。看護婦さんが、毛布の上から体をさすってくれる。
「大丈夫ですか? 心配ないですからね」
いやいやいやいや。それ、何の根拠?
何が大丈夫なの?
はっきり聞いたよ? 切ったらあかんとこ切ったって。
そんな栗須の絶望をよそに、おっちゃん先生が大きなため息を吐きながら放った一言。
「……しゃあない、ほんだらここをこうして、ほんでこうしろ」
しゃあないって……もうちょっと言葉選んでよ。
好きにして。もうどうなってもいいよ。
悟りにも似た境地でそう思い、全てを諦めました。
リアルで「まな板の上の鯉」になる日が来るとは、思ってもみませんでした。
結果的には、手術は成功でした。
現在も後遺症はなし。
でも、そういう問題じゃないと思いません?
何の説明もなく新人のモルモットにされて、おっちゃん先生はずっと高校野球の話。
切っては駄目なところを切られて。
こんなことなら、もっと規模の小さい病院に行けばよかった。
そうすれば「はじめてのしゅじゅつ」みたいな番組に出演することもなかったのではないでしょうか。
そう思います。
この日を境にして、栗須の中で「病院を信じてはいけない」との思いが強く強くなっていきました。
手術は成功しましたが、栗須の中での戦績は、これで1勝2敗となりました。
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