約束の宴 03 —悪戯—







 ——それから一時間後。


 部屋の中には呆れた顔で説教している誠司と、しょぼくれた様子ですっかり小さくなってしまっているレザリアの姿があった。


「——まあ、つまりだ、レザリア君。それぞれの愛の形を私は否定するつもりはないよ。ただね、そこに相手を思いやる気持ちがなければそれは愛ではない。ただ、自己欲求を満たしているだけに過ぎないと思うがね」


「……そ、そんな。わ、私とリナは、ゆ、友……いえ……はいぃ……」


 ——先程からこんな調子である。


 なんとかレザリアを振り解き風呂から上がった莉奈は、誠司の誤解を解く為に『レザリア被害者の会』を結成し、誠司に切々と訴えかけた。


 元々、レザリアの莉奈に対する態度に思うところのあった誠司はすぐに理解してくれ、「一回私から話してみようか」とレザリアを座らせた。


 ただ、少し釘を刺してくれればとの莉奈の思惑とは裏腹に、なんだか愛だの恋だのという話になってしまっている。隣で聞いてる莉奈も次第に居たたまれなくなってしまっていた。小っ恥ずかしい。



「——と、いう訳でだ莉奈。君もレザリア君の頭を気軽に撫でない様に——」


 その言葉を聞き、レザリアがガバッと立ち上がる。


 二人の視線を集めた彼女は、悲しそうな表情で何か言いたそうに口を開きかけるが、観念したのか力なく座り直す。


「うん、分かったよ。私もレザリアの頭、撫でない様に気をつける——」


 再びレザリアがガバッと立ち上がる。


 彼女は今にも泣き出しそうな顔で莉奈を見つめるが、やがてうな垂れて椅子に座り直す。その様子を見た誠司は、やれやれとため息をついた。


「——さて、莉奈。この様にレザリア君も反省している様だ。許しやってくれるかな」


「うん、まあ、許すも何も私は誤解を解きたかっただけだし。裸で抱きつくのさえやめて貰えれば……」


 そう言って莉奈はレザリアをチラッとみる。莉奈の言葉を聞いた彼女の顔が、みるみる明るくなっていくのが分かった。


「で、では抱きつく事自体は大丈夫なんですねっ!?」


 指を組み合わせ目をキラキラさせるレザリア。これは懲りてないな、と二人は目を合わせる。


 何か言おうと誠司は再び口を開きかけるが、それに先んじて莉奈がフォローに入った。


「ん。いいよ別に。下心はないんでしょ? だったら私達、友達だもんね」


「……はい! 私の、大事な、友達です!」


 すっかり元気を取り戻したレザリアは、莉奈に抱きつこうと腰を浮かしかけるが——今度は自制心が働いた様だ。可愛らしい咳払いをして、椅子に座り直す。


「……すいません。どうやら初めての温泉で気分が高揚してしまった様です。今後はこの様な事の無きよう、気をつけますゆえ……」


「うむ。特に明日は酒が入る。充分、気をつけてくれたまえよ」


 そうなのだ。ようやく引っ越しが落ち着いたという事で、明日の夜は以前に話が出たエルフ達との酒盛りがあるのだ。


 先日、月の集落を襲った『人身売買』事件。それが片付いたら旨い酒を飲もうと、誠司は提案していた。エルフ達はその酒盛りをとても楽しみにしていた。


「はい、大丈夫です! リナも明日はお酒、飲めるんですよね?」


「うん、明日が初めて。楽しみだなあ」


 そう、莉奈は今月、二十歳の誕生日を迎えていた。なりたてホヤホヤだ。この世界では「子供は飲むな」程度の飲酒制限しかないが、元の世界の法律に合わせて我慢していたのだ。


 この家に物資を運んでくれているノクスが泊まる時、誠司とノクスが楽しそうに酒を酌み交わす姿に莉奈は憧れていた。


 だが、同席している莉奈にノクスが酒を勧めてきても——



「なあ、リナちゃん。別にいいんじゃないか? 十九ぐらいの年齢なら、この世界じゃ皆んな飲んでるぜ。なあ、セイジ」


「私は何も言わんよ、この件に関しては。この世界に合わせるもよし、元の世界のルールに合わせるもよし、だ」


「うーん、飲んでみたいけどねえ……うん、やっぱ二十歳まで我慢するよ」



 ——憧れはあれど、この様に我慢してきたのだ。それが明日解禁される。


 初めての飲酒、私こそ気をつけて飲まないと——莉奈は気を引き締めるのだった。





 その時ガチャリと部屋のドアが開いた。


 誠司のずぶ濡れになった作務衣さむえを洗濯し、干し終えたヘザーが帰ってきたのだ。その姿を認めた誠司が、ヘザーをねぎらう。


「ありがとう、ヘザー。毎度すまないね」


「お気になさらずに……まったく、いつになったら治るんでしょうね」


 ヘザーは深くため息をつき、空いている椅子に腰掛ける。いや、今回に関しては完全なライラの自爆であるのだが。


「セイジ。今日の昼ノクスさんがいらして、お願いしていたエールと葡萄ぶどう酒を二樽ずつ持ってきてくれました——」


 エルフ達の手伝いで莉奈は会っていないが、今日は週一でノクスが来る日だ。泊まっていかないという事は、まだ忙しくしているのだろう。


 ひと月程前に現れた『厄災』。


 人身売買の件に加え、サランディアに現れた『厄災』の件の事もあり、国の重鎮であるノクスも色々と大変なのだ。


 そのせいで結局、先月莉奈達はノクスの家に挨拶に行けなかった。今月サランディアに滞在する時に伺う予定だ。


 続けて、ヘザーはテーブルの上に何かを差し出した。


「——あと、こちらがこの家宛ての手紙です」


 誠司の前に差し出される三通の手紙。誠司はその差し出し人を確認し、戸棚にペーパーナイフを取りに行く為に立ち上がる。


「へえ、手紙なんて珍しいじゃん。誠司さん、何処から?」


 莉奈の問いに、誠司は引き出しを漁りながら答える。


「ああ、君は私の妻——エリスが『西の魔女』と呼ばれていた事は知っていたかな」


「うん、確かレザリアが前に言っていたよね」


 そう言って莉奈がレザリアを見ると、レザリアは神妙に頷いた。


 かつて誠司と共に『厄災』を滅ぼした西の魔女——その彼女は、もういない。


「……あー、ちょっと待ってくれ。確かここにあったと思うんだが……なあ、ヘザー。ペーパーナイフの場所何処だっけ」


 誠司はヘザーに助けを求めようと振り向こうとしたその瞬間、ヘザーは手紙の上に素早くペーパーナイフを置く。そして、澄まし顔で誠司に言ってのけた。


「こちらにあるのがお探しの物では?」


 莉奈は驚いた。ヘザーがこんな悪戯いたずらをするのは滅多にないからだ。


 だが、誠司はそんなヘザーに怒るどころか優しい口調で尋ねる。


「やったな?」


「何の事でしょう?」


 相変わらず澄まし顔で答えるヘザーに苦笑いしながら、誠司は席に戻ってきた。


 だが、莉奈は気付く。そんな誠司の表情に、寂しさの感情が入り混じっている事に——。


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