第17話 結婚祝い
※※※※
それから数日後、仕事から帰ると、いつも出迎えてくれるはずの敦さんが玄関にいなかった。
どうしたのかしら。まさか具合が悪くて倒れてたりしてないわよね、と私は慌ててリビングに向かった。
「あ、美香さん、お邪魔してます」
そこには敦さんの仕事仲間の日下部さんがソファーに座っていた。その横で、敦さんが険しい顔をしていた。
「あ、いらっしゃい。えっと?」
私はよくわからずにぽかんとしていると、敦さんが今私に気づいたようで、慌てて言った。
「美香さん、おかえりなさい。出迎えられなくてすみません」
「いいのよ、それは。でもどうしたの?」
「日下部のヤツが、帰ってくれなくて。追い出す説得してたらこんな時間に」
「日下部さんお仕事でいらっしゃったんでしょ?追い出さなくても」
前に急な仕事が入ってしまった事を私が責めたことをまだ気にしているのかしら。あれは残業を納得させるための口実だったから気にしないでほしいんだけど。私がそう思って言うと、日下部さんは笑顔で首を横に振った。
「今日は仕事で来たんじゃないんだよ。これどうぞ」
そう言って、日下部さん『結婚祝い』と書かれた白い封筒を取り出して私に差し出した。
「本当に結婚してたなんて全然知らなかったから、遅くなってごめんね」
「まあ、そんな。別に大丈夫なんですよ。きっと敦さんがちゃんと言わなかったんですよね」
「言ってましたよ。日下部が勝手に嘘だと思ってただけですよ」
「嘘だとは思ってなかったさ。妄想だと思ってたんだ」
「かえって失礼だろ。用事が終わったら帰れよ」
「敦さん、失礼じゃない」
さすがに私は注意する。敦さんはブスッと膨れた。日下部さんはその様子を見てケラケラと笑っている。
「石川には言ったんだけど、よかったら一緒にお祝いさせてほしいなと思って、ご馳走持ってきたんだ。ほら」
そう言って、日下部さんは大きな樽を見せた。
「ワァ!鮨角のお寿司!!」
私は樽の中身を見て思わず感嘆の声を上げた。
「美香さんがお寿司好きだって聞いて」
「何でお前が美香さんの好物知ってんだよ!」
敦さんは日下部さんに食って掛かった。日下部さんは呆れたように言った。
「お前たまに自分で仕事中こぼしてたじゃないか。奥さんが寿司好きなんだよなぁとか、この仕事が無くなったら寿司屋で働こうかなとか……」
「そんなこと言ってたか?」
「言ってた言ってた。まあ、その時は寿司好きな二次元キャラでもいるんだろうと思ってたけどな」
「くそ、無意識に美香さんの個人情報を漏洩させていたとは……」
敦さんは悔しそうに唇をかんだ。そして、ふと私の顔を見ると、大きなため息をついて言った。
「美香さんが凄くキラキラした顔をしているから、仕方ないから日下部も一緒してもいい」
え?そんなに私キラキラした顔をしてた?恥ずかしくなって思わず顔を伏せた。
「やったぜ。酒も買ってあるからな」
日下部さんは滞在を許可されると、意気揚々と我が物顔で食器を並べ始めた。
「だいたいな、石川とは長い付き合いだけど、ほとんど自分の事言わないから謎が多すぎるんだよ」
酒も入り、日下部さんは陽気に話をしていた。はじめこそ不機嫌そうにしていた敦さんだったが、次第にリラックスした表情になっていった。何だかんだで二人共仲がいいのだろう。
「普通さあ、結婚したなら友達にくらい奥さんの顔見せるだろう?なのにこいつは、『何でお前に見せなきゃいけないんだ?自慢するために結婚したんじゃない』んだとよ!絶対に結婚は妄想だと思うだろこれは!なあ」
日下部さんは、同意を求めてくるが、私は曖昧に頷くことしかできなかった。まあ、敦さんらしいというかなんというか。
「何もおかしいことはない。正論だ」
敦さんは飄々とした顔で言う。
「ていうか、お前、何回も仕事でうちに来てたのに、結婚は妄想だと思ってたのか?どう見ても二人分のものばかりだろうが」
敦さんは、ペアの食器を指さして指摘した。日下部さんは肩をすくめた。
「うん、だから凝った設定だなあと哀れんでたよ」
「失礼な」
「ほら、たまに仕事中電話しに行くだろう?奥さんが心配だとか言ってさ。あれだって、なんか録音してるキャラのセリフ音声とか聞きに行ってるのかと思ってたよ」
「お前、僕をどんなやつだと思ってたんだよ……」
二人の会話を聞きながら、私はドキリとした。
「ねえ、確かにたまに電話くれるけど、あれって何で電話くれるの?心配だからっていうのはどういう事?」
私は何気ない風を装いながら、しかし内心バクバクしながら聞いた。これは、チャンスだわ。突然の電話のタイミングを知れるチャンス。
私の問いかけに、敦さんは優しい顔で私の頭を撫でて言った。
「お弁当に、美香さんの嫌いなものを入れた時」
「……は?」
私より先に、日下部さんがぽかんとして聞き返した。
「心配って、まさか奥さんがちゃんと弁当残さず食べれまちゅかって心配なのか?」
「違うよ。馬鹿にすんな。美香さんの午後の業務のテンションに響いてないか心配で電話してるんだ。声で大体の機嫌はわかるから」
「おー……そう、かあ」
日下部さんは呆れたように頷いた。
意外な理由に、私も一瞬言葉を失った。しかし、思い返してみれば、確かに私の好きでないトマト系の味付けのものが弁当に入っている日は、電話がかかってきていた気がする。お仕事大丈夫かな?元気にやってる?とか何気ない電話が。
なるほど。なるほど……。
「美香さん、結構過保護に愛されてんだねぇ」
日下部さんが呆れたように言うので、「自覚はありますね」と私は微笑んでみせた。
その後日下部さんは、食事を終えるとあっさりと素直に帰って行った。
「本当に、結婚したの信じてなかったのね」
私が笑いながら言うと、敦さんも笑った。
「本当に、失礼なヤツでしょう。妄想なはずないのに」
「私の事、誰にも紹介してくれないの?」
少し私はいじけたように言った。すると、敦さんは驚いたような顔になった。
「どうして美香さんを他の人なんかに見せなきゃいけないんですか」
「見せたくないの?」
「見せたくないです。僕だけの美香さんです」
敦さんは真面目な顔だ。わたしはそんな敦さんにねだるように言った。
「私は紹介してほしいな。だって、私は敦さんをちゃんと自慢してるわ。雪華さんにも、イケメンでしょうって自慢したし、敦さんの作ったお弁当だって、自慢げに見せながら食べてるのよ」
敦さんは気まずそうな顔を浮かべた。つい最近雪華さんの件で、すこーしだけ責めたせいで、雪華さんの名前を出すと少しバツが悪そうにしてしまう。それでも、私の言葉に少しだけ嬉しそうな感情を出したのを私は見逃さなかった。
「僕を自慢してるんですか?」
「そうよ。だからね」
私はドキドキをなんとか抑え込みながら敦さんに言った。
「心配なんて、しなくて大丈夫よ。確かにたまに嫌いなものが入っていても、敦さんが作ってくれたお弁当を食べて、午後の仕事に悪い影響があることなんてあるはず無いんだから」
そうよ。だからね。
「敦さんのお仕事中なのに、わざわざ私に電話してくれなくても大丈夫よ」
一応、日中の突然の電話対策を打てたかしら。
私は心の中で呟いた。
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