第18話 夢先案内人
ここは夢である。
ならば目の前で起こっている現象も、現実ではないのだろう。人々はみな、長襟巻に包まれた三橋と一花の前を素通りしながら、血眼になってマレビトである女ふたりを捜している。
三橋は痛む頭をこらえて、前をゆく翁面の男の背中を追いかける。背後には一花が引き続きぴったりと三橋にくっつくようについてくる。
「イッカちゃん、疲れてない?」
「ウン」
「えっと、すみません。まだお名前うかがってなかったですけど。お兄さん、さっきの質問答えていただけます?」
語尾が尖る。
しかし翁面の男はゆったりとした口調を崩さず、言った。
「はて、なんでしたか」
「あそこに居続けるのが良くないというのは肌で理解しました。あと聞きたいことは──いっぱいあるけど──そもそも彼らの目的と、マレビト信仰との関係について。ご存知ですよね?」
「はて──」
男は濁す。
三橋は舌打ちした。短気である。刑事故か、いや単なる性格か。
面の下でちいさくクックッと笑う男は、やがて村の外れにある神社へとふたりを連れてきた。村内の喧騒はどこへやら、荘厳な静謐さで満たされている。
文化史学科出身者らしく、神社建築に興味を惹かれる三橋とは対照的に、一花は神社背後にそびえる山を凝視したまま固まってしまった。彼女の五感がなにを捉えたかは分かるまい。
鳥居をくぐり、石畳を進み、本殿へ。
しかし本殿に見えたそれは棟門であり、本坪鈴の奥には円形を描いた白砂の庭が広がる。なるほど、背後の山が御神体ということか──と、三橋は唸った。
となれば山中は禁足地。
男は本坪鈴を避けて棟門を通り、そのままズカズカと白砂の庭へと踏み入った。本来ならここから立入が禁じられてもおかしくない。
「ち、ちょっと」
「こちらですよ。おいでなさい」
「────」
三橋と一花は互いに顔を見合わせる。
ここでもたつくのは時間の無駄である。三橋はいま一度長襟巻を一花と自身の首に巻き直し、そろりと白砂の庭へと一歩足を踏み入れた。
──空気。が
「ちがうでしょう」
前をゆく男が言う。
声色にはわずかに愉快さが含まれる。
男はつづけた。
「お察しの通り、ここから先は神々の住まいです。粗相なさらぬよう」
「ソソウ」
一花はつぶやいた。
とはなんだ、と言いたげな声である。
「その襟巻を身に着けているうちは、お喋りしても構いません。決して、外しませんように」
「貴方はいったい何ですか」
「はて、質問が多い娘だ。──」
男は白砂の庭の中心に鎮座する大きな
「お座んなさい」
「正気?」
「ですとも。さあ」
「わーい」
と、一花が上機嫌に男のとなりへ腰掛ける。長襟巻でひとくくりにされている三橋も、ともに座らぬわけにもいかない。しぶしぶ一花に並んで腰を下ろした。
禁足地に座する磐座といえば、神々が占める座とされたり、むしろ岩そのものが御神体であったり──いずれにしろこうして座ること自体が粗相であろうが、男が気にするようすはない。
「さあて」
と言うや、男は面の下の唇をにんまりと持ち上げて、腕を広げた。
「此の
※
この祭の起源は、人草にしてみればずいぶんと古い。
山に還りし祖霊を鎮め、敬い、加護をもらうための祈りを込めた祭礼をはじめたのです。時とともに、人草たちが祭礼に乗せる情は変容し、やがては緒結び神楽なる演舞を舞うようになった。
『緒を結ぶ先で、祖霊がいずれふたたびこの地に生まれ戻らんことを』
と、祈りを乗せたものです。
その祈りが山神に届いたとき、稀に祖霊が山から下界へ下り来ることがあるという。彼らは山中で踊り、歌い、ひとときの郷愁をたのしみ──子々孫々の安寧と平穏をもたらしてくれるのだそうな。
ええ、そうです。
それが来迎祭。伝承程度のお話ですがね。
はて。
ところで、ひとつ目の問いはなんであったか。
嗚呼そう。先ほどの惑えし人草の目的でしたな。ならば答えは易きもの。
鎮魂祭の演舞巫女探しですよ。
そうでしょうな。本来ならば十前後の少女から選ばれるもの。しかしそれも、仕方ない。
なぜなら村に年若い娘がおらなんだ。
ふむ──。
理由はひとつ。年若い娘を持つ親がみな娘たちを外へ出してしまうからです。
いいえ。演舞巫女に選ばれしことは栄誉なこととされております。が、それ以上に愛しき我が子を失うてはたまらんという親心でしょうな。
──『神隠し』。
そうです。ここ数十年、村では祭礼の巫女をつとめた少女がときおり神隠しに遭うという。
毎度起こるわけではないにせよ、神隠しが起きる際はきまって緒結び神楽のあと、舞台の袖に巫女が引っ込んだのをさいごにぱったりとすがたを消してしまう。神に貰われたとしてよろこぶ親もいるにはいるが、ほとんどの親は辛抱の日々となる。
そんな前例を見てきたものだから、娘を持つ親はやがて、幼い娘たちを村の外へ奉公に出すようになったのです。それなりに大きくなればもう演舞巫女の対象とはみなされぬ。──
ええ。
村内に巫女がおらねば、村外に頼るしかあるまいと、ゆえにあの人草たちは訪れるマレビトに目を光らせておったのですよ。するとどうしたことか。突如若い娘が──現れたではないか。
ねえ、一花さん。
器はわずかに過ぎたるものですが、その魂は清らかな少女そのもの。草々はそれをいち早く見抜いたのでしょう。荒ぶる山神を前にしても演舞巫女に相応しいと。
これはふたつ目の問いにも通ずる。
仰るとおりこの村はもともとマレビト信仰とやらが根深くある。いつしか、村内で巫女を選定するよりも外からやってきたマレビトが緖結び神楽を舞うことで、よりいっそう常世との結びつきが強固になると考えるようになった。
緖結び神楽は祭の要、なくすわけにはいきますまい。
ですからあのように躍起になって器候補を探しておるのですよ。このまま逃げられたらば、演舞巫女不在のままに祭りが始まってしまいますから。
はい?
おや、ふふふ。
綾乃さんはかしこい。
──この世界について、貴女は仮りそめだと思われるのですね。
遅かれ早かれ気付くことではあったが。
仮りそめの世界。
そうかもしれぬ。
先ほど申し上げました、これは夢だと。
そう、夢なのですよ。
私は──夢先案内人のようなものなのです。ただ、なんの目的もなくこのようなことをしているわけではない。ええ、私にも一応果たさねばならぬ使命はあります。
あまり他言することでもあるまい。が、綾乃さんはそれだと納得されぬようですから──ひとつだけ。
とある娘の御霊を還す。
これが私の役目です。
娘。
娘は──いま一度、神楽を舞う時を望んでいる。
────。
ええ、そうですよ一花さん。
貴女にしかできないことだ。
如何されよう。
その器、貸すことは出来ますまいか?
*
僕が道を作ってやる──。
という宣言ののち、恭太郎は勇ましく部屋の出入口へ向かった。いまだ文机に彫られた文字を眺めていた景一もあわてて立ち上がる。
「これからどうする」
「合流する」
「だからどうやって」
「どうって──ここから出ればすぐにかち合うだろ」
「?」
「僕が言ってるのは将臣たちの方だよ、ケイさん」
恭太郎が呆れたようにつぶやく。
曰く、向こうも探索に一区切りついたのだという。いったいこの静謐な世界のなかでどんな音や声が聞こえているのやら、景一には見当もつかない。ひとまずここは彼の言うとおりに動くが吉だ、と景一があとに続く。が、カオリは部屋の真ん中で立ち尽くしたまま動かない。
「カオリちゃん?」
「──鎮魂祭をするの。山神様がお気に召したらば、かならず道はひらかれる」
「タマフリサイをするったって──なぁ」
おもわず眉が下がる。
廃村同然となったこの村で、いまさら祭をおこなえと言われても無理な話である。
「たしかタマフリサイの目玉は演舞なのだろ。演舞巫女がいなくちゃ話に」
「巫女はいる」
カオリはピシャリと言った。
哀しげに自身の足元へ目線を落としてから、ゆっくりと恭太郎を見る。
「あの器なら──きっと繋げてくれる」
「────」
景一はおもわず恭太郎を見た。
彼もまた、不服そうな顔で景一を見る。が、まもなくパッと背後の廊下へ顔を出した。景一には聞こえなかったが、彼の耳は人の気配を捉えたようだ。
「将臣たちがこの家に入ってきたぞ」
「おまえの耳って、いったいどうなっとるんだろうなぁ」
つられて廊下を覗く。
かすかに床の軋む音が聞こえた気もする。
「まあ、とりあえず向こうの話を聞くのが先決かもしれんな。──」
言いながら恭太郎を見ようと背後を仰ぎ見たとき、部屋の違和感に気がついた。
「あれ?」
つい今までいたカオリが、いない。
部屋の出入口はひとつ。
しかしそこは自分が立ち塞がっていたため、横をすり抜ける事もできないはずだ。音もなく、忽然と消えた。少女を目でさがす。
どうしたの、と恭太郎がわざとらしく聞いてきた。
「どうもこうも、カオリちゃん──」
「まさかケイさん」
声色に嘲りが混じる。
「あの子がフツーの娘だと思っていたの? ほんとうに?」
「ど、どういうことだよ」
「だとしたら、アンタにイッカは重荷になるかもしれないぜ」
恭太郎は景一に呆れた顔を見せた。
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