流星群の下であたなを見つけた

天瀬智

第一話

 小学生の頃、学校行事でプラネタリウム『ペルセウス流星群を見よう』というイベントに参加した。

 だけど、星を見ることの、しかも映像として映し出された偽物のそれに、何が楽しいのか分からなかった私は、開始早々に眠ってしまった。

 起きたときには上映は終わっていて、真っ暗な世界は光に照らされ、少なからず幻想的だなとは思っていた世界は、無骨な現実に戻っていた。

 生徒のほとんどが立ち上がって外に出て行くなか、遅れた私は慌てて立ち上がろうとし、そして隣でまだ座っているクラスメイトに気づいた。


「星野さん、もう終わって――」


 私と同じで寝起きなのかと思っていた私は、呼びかけようとし――その手を止めた。

 星野さんは、泣いていた。

 声を上げることもなく、自分で泣いていることにすら気づいていないような、そんな静かな涙だった。


「どうして……」


 その泣き方が、あまりに現実離れしていたせいか、私は思わず声をかけてしまった。


「どうして、泣いてるの?」


 その声が届いたのか、星野さんがわずかに私を視界にとらえる。

 だけど、それは一瞬で、星野さんの視線は、もう投影が終わった白いスクリーンに向けられていた。


「……そこにいるの」

「誰が?」


 星野さんが右手を上へと伸ばす。

 投影されていた、星に向けて。


「お父さんと、お母さんが」


 それから、私――綾織姫子あやおりひめこは、星野夜空ほしのよぞらから目が離せなくなった。

 ……色んな意味で。


            ※


 高校生になった夜空は、いつもひとりでいる。

 ぼーっとして、ハブられているわけでも、コミュ障なわけでもない。

 空を見上げている――それが、日課だからだ。

 そんな夜空に話かけて、それでいて反応を示してくれるのは、私くらいだ。


「夜空」

「……姫ちゃん」


 窓際の席で腕を枕にして、顔を窓の方にして横になっていた夜空が、顔を上げて私の方を見てくれる。


「もう下校の時間だよ。帰ろ」

「……うん」


 セミロングのまっすぐな黒髪をさらさらと揺らしながら立ち上がり、机にかけたリュックを背負って帰る準備を終えた夜空の手を掴み、私は引っ張るようにして教室を出た。


            ※


 夜空の両親が亡くなったのは、プラネタリウムでの出会いから、ひと月前のことだった。

 夜空の両親は星――天体観測が好きで知り合い、結婚した仲で、そんな二人の間に産まれた夜空は、苗字が『星野』ということもあり、『夜空』というまるで創作キャラクターのような名前をつけられた。

 まぁ、私も人のことは言えない。

 なにせ、苗字が『綾織』で、カワイイ名前にしたいと頭を捻った両親から捻り出されたのが『姫子』で、しかも綾織の『織』と姫子の『姫』で、『織姫』。

 これはもう、狙っているとしか思えない。

 ……まぁ、カワイイからいいんだけどね。

 実際、私は自分でも自分をカワイイと思っている。

 天パの髪をワンサイドポニーにして、毛先をさりげなく胸の前に流す髪型は、それだけで他の女子たちとは違う見た目になれる。

 だけど、ワンサイドポニーにしているのは、もっと他の理由があるからだ。

 それは、寝転がって星を見るとき、結び目が頭の後ろにあると痛いから。

 私は、夜空の星を見上げる行動に度々付き合っている。

 だから、かわいく、それでいて実用的な髪が、今のこれなのだ。

 夜空の両親は、夜空との天体観測――流星群を観察する約束をして、その日、祖父母が営む喫茶店で待っていた夜空を迎えに行く道中に交通事故で亡くなった。

 父親は即死で、母親の方は病院で治療を受けていたが、内臓の損傷が激しすぎたため、数時間後には息を引き取ったらしい。

 そこで、祖父母に連れてこられた夜空は、母親から最期の言葉を訊いた。


 ――ごめんね、夜空。

 ――お母さんもお父さんも、星になって、夜空のことを見てるから。

 ――だから……


 それ以来、祖父母に引き取られた夜空は、暇があれば空を見上げるようになった。


「ほら、ちゃんと前みて歩いてよ、夜空」

「あっ、ごめんね。姫ちゃん」


 田んぼ道の脇を歩いていたら、腕を引っ張られるものだから反射的に引っ張り返して見たら、夜空が脇の小さな用水路に落ちそうになっていた。


「まったく、夜空は私がいないと家にも帰れないんじゃない?」

「そんなことないよ。星を頼りに方角を定めれば――」

「まだ星なんて出てないじゃない」

「姫ちゃんには見えない? 私には見えるよ」

「あんたが言うと、冗談じゃないから怖いのよねぇ」


 なんだかんだ言いながら、私が手を離すことはないし、夜空が拒むこともない。

 私が、離したくないから。

 だって、この手を離したら、夜空は連れていかれてしまう。

 夜空が呼んでいるというあの空の向こう――お父さんとお母さんがいるところへ。


            ※


 私と夜空は部活には所属しておらず、夜空の祖父母が営んでいる喫茶店でアルバイトをしている。

 そのアルバイトが終わると、私は夜空といつものところへ向かう。


「夜空、ほら、早く行くよ。間に合わなくなっちゃう」

「う、うん」


 頷きながらも、夜空は見上げた顔を下げようとはしない。

 だから、私は手を繋ぎ、引っ張る。

 着いたのは、駅前横の商業施設の最上階にあるプラネタリウムだ。

 そこは、私と夜空が知り合った場所。


「うわぁ、ギリギリだぁ」

「急いで、姫ちゃん」

「あんたが遅らせてるんでしょ!」


 夜空の手を引っ張り、いつもの受付のお姉さんといつものやり取りをして、チケットを購入する。

 小学生のときに座った席と同じ場所に座り、私はぜぇはぁと肩で息をしながら、ようやく落ち着くことができた。


「はぁはぁ、疲れた……」

「お疲れさま、姫ちゃん」

「ホントに疲れたわよ」

「はい」


 手渡されたステンレスボトルを受け取り、フタを開けて飲む。


「はぁ~、夜空のおじいちゃんが淹れたアイスコーヒーはやっぱサイコーだね」

「これからもよろしくって言ってた」

「はは、りょーかい」


 笑って見せたが、夜空は多分アルバイトのことだと思っているだろう。

 だけど、私には分かる。

 二人は、夜空のことを頼むと言っているのだ。

 二人が夜空にアルバイトをさせているのは、プラネタリウムが始まるまでの時間を潰させるためで、入場料を自分で稼がせるためと夜空に言っているのは建前だ。

 夜空はいつも空を見上げているから、どこへ歩くか分かったもんじゃない。

 何かに集中させれば空を見上げることもないが、夜空はほとんどのことに興味を示さないから、夜空に言葉を届かせることのできる人物が、何かを与えるしかない。

 投映時間が始まり、真っ暗になる。

 内容は、流星群だ。

 女性のやさしい声が、まるで物語のように解説を紡いでいく。

 だけど、夜空の耳には、その声も届いていないだろう。

 今の夜空の心は、ここにはない。

 投映された流れ星に引っ張られ、持っていかれてしまっているから。

 だから、私は手を伸ばし、夜空の手を掴む。

 戻ってきてと――願うように、乞うように、祈りながら……。


「姫ちゃん、痛い」

「お帰り、夜空」

「……ただいま?」


 投映が終わり、現実が戻ってくる。

 夜空のいつもの第一声で、私は自分でも驚くくらいに安心する。

 強く握っているのはわざとで、戻ってきて最初に私を見てほしいから。


「明日だね」

「うん」


 手を繋ぎながら、二人で真っ白なスクリーンを見上げる。


「また、一緒にいってもいい?」

「いいよ、姫ちゃんなら」


 お盆になると、先祖代々の墓に、墓参りに行く。

 だけど、夜空は、両親の墓には行かない。

 お母さんとお父さんが、星になっていると信じているから。

 だから、夜空は空を見上げ続ける。

 あの日、一緒に見ようと約束した、流星群を見逃さないために。

 それは夜空にとっての、両親との再会を意味するから。

 その日が、今年もまた来る。

 夜空の両親が亡くなってから八年。

 この七年間、夜空の両親の命日の夜に流星群は現れていない。

 だけど、今年は違う。

 夜空が両親と約束した流星群は、八年周期で公転する彗星が母体となっている。

 つまり、今年、その彗星が最接近することになっているのだ。

 そうだとしても、見られるかどうかなんて分からない。

 よほど有名な流星群でもなければ、見逃すことも多い。

 だから、夜空はずっと空を見上げている。

 たった一瞬の出会い――両親との再会を、逃さないために。


「迎えに行くね」

「うん」


 明日は、夜空の両親の命日だ。

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