六話
青くて丸い瞳は鋭くつり上がり、こちらを真っ直ぐ睨みつける。胸ぐらを掴む手はピクリとも動かない。まるで僕の言葉を待っているようだ。
何か、何か喋らなきゃ……。
「なんで……僕が男だと分かったの?」
「簡単よ。私、音の聞き分けには自信があるから」
彼女の口角が上がる。自身の能力にプライドがあるのか、得意げな笑みを浮かべている。
「確かに声や見た目だけでは分からない。フローラ先輩の幻想魔法は、完璧だから」
「だったら、どうして――」
「でも、私の耳は誤魔化せない。なんかおかしいと思ったのよ。あんたの鼓動、呼吸音、その他諸々全ての音が、男の人間の物と一致するから!」
高い声が、僕の耳をキンキンと刺激する。胸ぐらを掴む手に力が込められ、息が苦しくなる。
「フローラは……僕を……助けてくれた」
「はぁ?」
「命を……救ってくれて……声も……取り戻してくれた」
取り戻したばかりの声を絞り出す。これは本当だ。
出来損ないの喉を、幻想で補ってくれた。この世界で生きる意味を見失っていた僕に、目標を与えてくれた。彼女に食べてもらうという、歪なものではあるが。
「……分かったわ」
胸ぐらの圧力が緩む。助かったと思った、その瞬間。僕は彼女に背負われ、投げるように地面へと叩きつけられた。
「ぐっ……」
背中に強い衝撃を感じ、声が漏れる。頭上では、コラリーが悲しげな表情でこちらを見下ろしていた。
「過去にも一度、同じような事があった。フローラ先輩は、優しいから。でも私、もうあの人の悲しむ顔を見たくないの」
彼女の指が空をなぞる。何か魔法を使おうとしているみたいだ。僕の勘が、身の危険を察知する。
……殺される。
「先輩の頼みを無下にするようで、申し訳ないけれど。あんたはフローラ先輩にとって、危険な存在。ここで死んで――」
「待って……!」
言葉を遮るように、少しだけ大きな声を出した。彼女の手が止まる。首を傾げながら、こちらの様子を伺っている。
「フローラは……僕の喉に力が宿っていると言っていた。君、音魔法の使い手なんでしょ? 僕の歌声、確かめたくないの?」
駄目元で、フローラの言葉を借りる。この子は彼女に懐いているみたいだから、その言葉を疑うような事はしたくないだろう。
そしてコラリーの言動から、『音』に対する並外れた知識や好奇心が浮き彫りになっている。きっと僕の誘いに乗ってくれる筈。
「ふーん。あんた、人間の分際で、随分と生意気な事を言うじゃない」
案の定、腕組みをして何かを考え込んでいる。
「……良いわ、試してやろうじゃないの」
そう言うと、彼女はピアノへ歩み寄り、静かに腰掛けた。
「今から私が、一分間音楽を奏でるから。あんたの歌で、私の音を彩ってみなさい」
「……歌詞は?」
「ない。自分で考えなさい。思いつかなければハミングでも良いから、とにかく声を当ててみて」
「ぶっつけ本番だと難しいから、一回通しで演奏してみてよ」
「……まぁ、それくらい良いけど」
やや不満そうな返事をしながら、コラリーはピアノの演奏を開始した。
優しい旋律。悲しげな雰囲気の中に、どこか心を支えてくれる強さのような物を感じる。まるで流れる水のように、一つ一つの音が滑らかに繋がっていく。
それは耳当たりが良く、ずっと聞いていたくなるような音楽だった。
やがて演奏が終わり、彼女は名残惜しそうに鍵盤から手を離す。
「……さ、次が本番だから」
こちらをジロリと睨む。先程までの優しい演奏からは想像できないくらい、彼女の視線は痛かった。
今までずっと、すぐにでも死にたいと思っていた。でも今は違う。フローラに食べられるまで、僕は死ぬわけにはいかない。だから……。
深呼吸をする。喉や顔の筋肉を軽くマッサージし、緊張をほぐす。
……大丈夫。歌うのは久しぶりだけど。昔はこんな場面、山ほど経験したじゃないか。
やってやる。僕の歌声で、彼女を圧倒してみせる。そう心に決めた。
「いつでも、良いよ」
彼女は小さく舌打ちをした後、再び演奏を開始した。
久しぶりだから、思うような声が出ない。おまけに歌詞が無いから、余計に歌いにくい。
それでも、悲しげな曲の雰囲気に合わせ、言葉にならない音を発声し続けた。
コラリーは演奏を辞めない。僕の歌声が気に食わなければ、ものの数秒で中断させられると思っていたが。むしろ後半にかけて、徐々に熱が入っているようだった。
彼女につられて、徐々に気分が乗って来た。後半に差し掛かり、曲の雰囲気も盛り上がる。サビのような部分。ここぞとばかりに、僕は歌声に気持ちを込める。
負の感情に包まれた僕にとって、この曲の悲しげな雰囲気は感情を乗せやすかった。そして真っ暗な心に差し込んだ一筋の光、フローラという存在。一瞬だけ見せてくれた笑顔が、頭の中に映像として浮かび上がる。
彼女へ抱く感情が、アクセントとして歌声に深みを与えてくれた。
やがて曲は終わり、部屋は沈黙に包まれる。久々に全力で歌った為か、異様に息が弾んでいる。感情の赴くままに発声したから、音程も掴みにくかったし、リズムもいまいちだった。
こんな歌い方、本当は良くない。
僕の元へ、演奏を終えたコラリーがゆっくり近寄る。険しい表情をしているが、どういう訳か、視線を合わせてくれない。
「……良かったわよ」
「えっ?」
「ご、合格だって言ってんの! 一回で聞き取りなさいよ、バカ!!」
こちらをキッと睨みつけるコラリー。しかしその頬は、心なしか赤く染まっているようだった。
「元々、命を奪うつもりなんてなかったから! ただ、あんたの力を試したかっただけ。……悪かったわね」
もじもじとした態度で、目を伏せながら話す。僕は返す言葉が見つからなかった。沈黙の時間が流れていく。
「な、何ぼけっと突っ立ってんの!? さっさと練習、始めるわよ! ……お祭り、台無しにしたら許さないんだからね」
コラリーは、顔を隠すようにくるりと振り向き、再びピアノと向かい合うように腰掛けた。
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