お使い③



 大人でも湖に入れば、最悪溺死する場合があり、湖の入水は基本禁じられている。そういえばリエトが湖に入った理由を知らない。知らない事だらけだと気付くが、抑々何でも話し合える間柄ではないのだから当たり前、とベルティーナは薬剤師の家の前で抱き。頭からリエトを一旦消して目の前に集中した。

 丸い鋼に目と口が描かれ、あっかんべえをしている舌のドアノックを叩くとすぐに開いた。中から出て来たのは妙齢の女性。濃い茶色のボサボサ髪を一つに纏めており、服装はとても綺麗だった。ベルティーナが声を発する前に「イナンナから聞いてるよ、入りな」と中に通された。



「イナンナから頼まれている精神安定剤はこれだよ」



 見せられたのはガラス瓶に入れられた濃い緑色の薬。見るからに苦そうで飲む気が失せる。



「この精神安定剤を飲ませれば、魅了を解いた人の精神を壊さずに済むのですか?」

「ああ。但し、長期間掛けられた奴には効かない。心の奥底まで浸蝕されると生半可な方法では精神は壊れたままとなる」

「その言い方だと、他に方法はあるように聞こえますが」

「要は本人の精神力に掛かっているのさ」

「精神力……」



 その者の精神力が強く、頑丈であれば魅了によって心の深層部分まで浸蝕されても奇跡的に復活出来る可能性がある。けれど殆どの場合、深層部分にまで魅了が染まっているのなら正常な精神を保っている者は皆無と言っていい。

 結局のところ、魅了を解いて精神を正常に戻せるのは日数が短い者のみ。

 両親の魅了を解いて正常な精神に戻すのはほぼ絶望的。話を聞いたベルティーナは幾分か考え込んだ後、分かりましたと薬剤師から薬を受け取った。



「ところでお前さん、アンナローロ公爵のお嬢かい?」

「父を知っているのですか?」

「ああ。十八年前くらいだったかな、イナンナからわしの事を聞いて王都から態々やって来てね」



 十八年前、母は双子の姉妹を出産し、内最初に産まれた女の子は既に死んでいて、後から産まれた女の子は死の淵を彷徨うも奇跡的に回復した。

 出産時の無理と娘を一人亡くしてしまったショックから、産後の経過が悪く精神的に参っていた母と体が弱くすぐに体調を崩すベルティーナと名付けられた娘を助けたい一心で父はイナンナの知り合いである薬剤師の許を訪れた。

 妻と娘を健康にする薬を作ってほしいと追い出す前から泣かれてしまい渋々作ったと語られた。


 自分に産まれてすぐ亡くなった双子の姉がいたと初めて聞かされ、更に父が自分の為に自ら薬剤師の許を訪れ泣き付いた等と。信じられない話ばかりで瞳が揺らいだ。



「お前さんが信じようが信じまいが事実さ」

「……父が変わってしまったのは、魅了のせいなのですか?」

「あたしは貴族の世界に興味はないから、深くは知らない。けどイナンナからはよく話をされていてね。そのお陰で妙な貴族の客を覚えちまったよ」

「妙な貴族?」



 誰かと訊ねるとその名を聞いて戦慄した。

 薬剤師が出したのはモルディオ公爵ルイジだった。

 何を求めに来たかと言えば、彼は避妊薬を欲していると。



「確か、男性用だったかな」

「男性用?」



 ベルティーナはてっきり叔母アニエスに使う物だと予想した。薬剤師から出た言葉に強い疑問を持つ。

 確かに男性用の避妊薬だったと答えられ、益々疑問が強くなった。

 二人はお礼を述べて店を出た。薬はアルジェントに持ってもらいながら、使用方法について考えた。



「叔母様……じゃ、ないわね。叔母様は女性だもの」

「自分に使う為?」

「どうしてよ、それだと子供が作れな……あ」



 ある考えが浮かび、背筋が寒くなった。



「叔母様が……お父様との子を作る為に……?」

「……逆だったりして」

「え」

「アンナローロ公爵の子をモルディオ夫人が孕まない為の」

「お、お父様に!?」



 アルジェントの予想外な考えは、避妊薬をルイジではなく父クロウに使ったとなる。



「だって、ベルティーナとクラリッサの年齢差を考えようよ。二人は二歳差で、アンナローロ公爵夫妻はベルティーナが産まれて以降は子を作っていないじゃないか」



 薬剤師の話が事実なら、二度目の妊娠で双子を授かり、双子の内一人は死亡、出産を終えた妻の容態が悪いとなれば、三度目の妊娠は躊躇する。

 それはきっとアニエスの耳にも入り、アニエスの耳に入ればルイジの耳にも入る。

 妻が実兄と仲睦まじくするのは良くても、子作りについては反対だったのなら、クロウに何らかの方法で避妊薬を仕込みアニエスが孕まないよう細工するのは造作もない。

 避妊薬の仕込み方法だって、アニエスに健康に良いお茶だと言ってクロウに飲ませればいいだけ。

 そうなればクラリッサは父と叔母兄妹の子ではなく、モルディオ公爵夫妻の子となる。



「アルジェントの考えが当たっていたら……む、無理よ、信じられない」

「あくまで予想だから何とも言えないけど……。優しい見た目に反して、モルディオ公爵の中身は正常者では太刀打ち出来そうにないかもね」

「どうやって相手をするのよ」

「頭の中を空っぽにするか、それとも相手と同じように気が触れれば良いのかも」

「お断りよ」



 精神を狂わせてまで真っ向から相手をしても此方に返還される利益は果たしてどの程度か。立ち向かえば大きなダメージを受けるのは此方側。ルイジに触れるのは一番最後にしましょうとし、まずは精神安定剤を入手したとイナンナに連絡をするのが先。

 アルジェントに頼み、大聖堂にいるイナンナ宛で魔法の光によって生み出された伝書鳩を飛ばしてもらったのだった。



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