第46話 夜の帳に君の隣

 本日三度目の自習時間は何事もなく終わりを告げた。


 こんなにあっさりと流してしまうのも、本当に何も特筆するような出来事がなかったからだ。


 合同クラスの相手であるDクラスには知り合いは一人もいないし、課題をできるだけ持ち帰りたくないクラス連中の空気も相まって問題集を進める手は軽快だった。


 おかげで現代文と英語に関しては課題範囲まで攻略済みだ。


 これも一人で黙々と勉強ができた成果と考えると、悲しいかな、なぜか心がチクリと痛む。


「屋凪」


 自室へと戻り荷物を置くと、不意に背中越しに俺の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。


「ん、滝川か」

「よう」


 そこにいたのは相も変わらず整った顔面が特徴的な我がクラスの中心人物である滝川奏太だ。そう言えば滝川も同じ部屋だったな。


 我が2-Cの男子生徒は3グループの部屋にそれぞれ分かれていて、俺と滝川はその三番目の部屋に割り振られていた。


 このグループには間島もいて、他にも4人の生徒がこの合宿で同じ部屋で布団を並べて寝ることになっている。


「どうかしたのか?」

「あぁいや、せっかくだからこの後の夕食、一緒にどうかって」


 ……マジか。俺はいま猛烈に感動している。高校に入学してから苦節14か月。こうして誰かに食事に誘ってもらえることは屋凪緑郎史上初めての出来事だからだ。


 でも待てよ、もしかしてボッチの俺に優しい滝川は嫌々声をかけてくれたんじゃないのか? それだったら滝川に申し訳ない。こいつだってこいつなりの都合ってのがあるだろうし。


 気持ちは嬉しい。是非ともご一緒させてもらいたい。でも本当にいいのだろうか。俺が邪魔になったりしないだろうか。


 こ、困ったぞ……。俺は果たしてどうすればいいんだ。


「ど、どうした屋凪?」

「いや悪い、ちょっと心が感動と動揺で関が原になってて」

「意味が分かんねぇよ」


 誘って貰えた嬉しさと、俺が席を共にしていいのかという葛藤で心がバグり散らかしている。


 そんな俺の動揺を察してか、滝川は「同じ部屋なんだし、たかがクラスメイトと飯食うだけだろ」とだけ気軽に答えてくれた。イケメンはこんな時でもイケメンだ。ありがとう滝川。


 そんな誘いを受けて十数分後、合宿施設の食堂には滝川が声をかけたのだろう同じ部屋の連中が集まっていた。


 顔と名前は知っていてもあまり言葉を交わしたことがなかった連中だ。まぁ、そうなってしまったのも俺があまり積極的にコミュニケーションを取らなかったことが原因なのだが。


 ちなみに間島をはじめとしたほかの連中はまた別のコミュニティで夕食を共にしているらしい。


「屋凪はもっと気軽に声かけてった方がいいぜ?」


 そう口にするのは軽薄な口調と癖毛の茶髪が特徴の本庄ほんじょうだ。教室内でも挨拶程度で声を掛け合うことはこれまであったが、こうして面と向かって話をするのは初めてのことだった。


「いや、苦手なんだよ、人とコミュニケーション取るのが」

「あんだけいい女侍らせといてよく言うぜ。俺ら一般モブに対しての嫌味かってのっ!」


 語彙は不満タラタラだが、口調に嫌な印象がないのが心地よかった。


「奏太もそう思うだろ?」

「いや、まぁ……屋凪が無理してやることではないんじゃないか?」


 さすがイケメン。こういうフォローもありがたい。


「でもすごいよねぇ屋凪君。僕だったらああいう人たちとはうまく喋れないから」


 そう口にするのは文学少年の日浦ひうらだ。休み時間はよく自分の席で文庫本を読んでいる奴で、小柄な体躯と目深な前髪のせいであまり目立つ印象の生徒ではない。だけどいざこうして言葉を交わしてみると俺と違って言葉をかけるのに物おじしない奴だということが分かった。


「ああいう人たちって……」

「どういう表現して良いかわかんなくて。みんな可愛い人たちだし。でもその中に交じっている屋凪君も……なんかすごいよね」


 日浦が言い淀んだのも納得だ。青ヶ峰高校選りすぐりの美少女たちが俺の席に一堂に会しているのは最近は慣れ気味の2-Cの生徒たちからしても異常な光景だろう。


 その中に一人混じった俺が異物に思えてしまうのも何も間違ったことじゃない。


「俺があそこにいるのはたまたまなんだよ……」

「たまたまでなんでああなるんだよ」


 ゴシップ好きの三流コメンテーターよろしく面白おかしく事情を話してもいいのだが、生憎とこの場には話の当事者である滝川がいる。


「そのうち話すよ。悪いな」


 そんな滝川に気を使って、俺は本庄へと小さく詫びを入れた。


「まぁ、可愛いってだけなら他のクラスにもいっぱいいるけどな。ほらあそこ――」


 そう言って本庄の視線が食堂内の一角を捉えた。


 そこにいたのは三人ほどの女子グル―プ。その中でも一人だけ、やたらと目立つ容姿の女の子が柔和な笑みを浮かべていた。他の二人には申し訳ないが、確かにあの子は飛びぬけて可愛い。


 高貴さ、とでもいうのだろうか。お嬢とはまた違った優雅な雰囲気を纏っている。


「本庄は知ってるのか?」

「知ってるも何も、青ヶ峰の女の子のことはこの本庄データベースに全てインプット済みだ」


 だいぶ痛いことを口にしてるはずなのに、コンコンと自らの頭を小突いて見せる本庄はなぜか得意げだった。


 ってかなんだそれ。ラノベやギャルゲーにたまに出てくるお助けキャラかなんかかよ。もし俺がラブコメの主人公だったりしたら、もしかしたら本庄の助けを借りるなんて展開があったのかもしれない。


「本庄くんがアレなのはアレだけど、彼女を知らない屋凪君も大概だね……。あの人は2-Aの真白ましろさんだよ」


 クラスメイトをアレ呼ばわりしながらも日浦が丁寧に捕捉をしてくれた。


「真白さん……彼女がそうなのか」


 そんな珍しい苗字、同じ学校に二人と居るはずもない。間違いない、あの子が真白聖羅ましろせいら。お嬢の想い人である小田切の今の恋人だ。


 お嬢に近しい人間としては少し複雑な気分だが、なるほど、確かに小田切に似合いそうな気の強そうな女の子だ。


「ちなみにその本庄データベースとやらにはどんな子が入ってるんだ?」

「よく聞いてくれた、他にはだな――」


 それから本庄の提供してくれた青ヶ峰女子データをもとに俺たちのテーブルはそこそこに盛り上がった。驚いたのはこの本庄という男、同じクラスの二年生だけじゃなく先輩や後輩のデータまで随分詳しくインプットしている。


 かなり面白く話してくれるもんだから、知らない女の子の話のはずなのに随分と聞き入ってしまった。


 とまぁこうして俺は林間学校らしく級友たちとの交流をかなり楽しむことになったのだが、事はそんな夕食も終えて風呂上がりに外の空気を吸いに出かけたところで起きるのである。


「男の子ってほんっとーにああいう下世話な話が好きだよねぇ」


 合宿所内の熱気から離れて一人夕涼みがてら外のベンチで風に当たっていると、不意に隣に誰かが座る気配がした。


 お風呂上りなのだろうか。シャンプーの甘い香りが俺の鼻腔をくすぐった。


「……こんなところでどーしたんだよ、ヒメ」


 満足に乾かさずに来たのだろうか。しっとりと濡れた髪を首にかけたタオルで拭いながら、呆れ声で彼女は言葉をつづける。


「どーしたもこーしたも、部屋に帰る途中に見つけちゃったから」

「女子用の風呂ってそこそこ遠いはずだけど」


 事前に渡されていた栞で建物の構造はある程度把握済みだ。この場所にいる俺を見つけるには少々ヒメの言い訳は苦しい。


「……そういうこと何で言っちゃうかなー」

「悪かったって」

「逃げてきたんだよ。ミーちゃんが部屋でコイバナとか始めちゃったから。こっこやノンちゃんたちもノリノリだしさぁ」


 ミーちゃんってのは以前ヒメの話に出てきたことがあったな。未だに誰のことか分からないけど。ちなみにこっこやノンちゃんに関しては全く存じ上げない。多分話の流れからして、同じクラスの誰かのことではあるんだろうけど。


「いやぁ気まずい気まずい」


 失恋して間もないヒメに確かにその話題はヘビーが過ぎる。ミーちゃんも悪気があったわけじゃないんだろうけど、なんというか間が悪かった。


「だからさ、あの子たちの話がひと段落着くまで、私はここでほとぼりを冷まそうかと」

「女子のコイバナが冷める日ってあるのかね」

「……ふっ、確かに」


 気づけばすっかり日は落ちていて、遠くの山の向こう側ではぼんやりと夕焼けの残り香が空を照らしていた。


 思えば、ヒメとこうして二人っきりなのは随分と久しぶりのような気がした。


「ロク君、せっかくだし少し話そうよ」


 言いたいことがあったはずだった。これまでのこと、これからのこと。なのになぜだかヒメの笑顔を見ているといつの間にかそんなことはどうでもよくなってしまった。


「……そうだな」 


 さて、時間が許す限り、俺は彼女と何を話そうか。

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