第26話 ベルウエザー夫妻、動く

「ほう。これが旧教会か」


「知らなかったわ。こんな山の中に、こんな場所があるなんて」


  枯草のみが蔓延る崖っぷち付近では、ベルウエザー夫妻のささやき声は嫌に大きく響いた。


「シャルの、腕輪の反応は?」


「間違いないわ。あの中よ」


 マリーナがちらりと確認して、懐にしまい込んだ懐中時計のようなもの。それは、追跡装置とでもいうべき魔道具で、令嬢の腕輪に組み込まれた魔石の位置を捉えることができるらしい。


 実際に役に立つとは考えていなかっただろうが、腕輪の製作者が、やや規格外の令嬢のことを案じて、ついでに付加してくれた機能だそうだ。

 備えあれば、憂いなし、ということだろうか?

 最初、マリーナからそんなことができると聞いたときは、アルフォンソもエクセルもびっくりしたが。


 ベルウエザー領では、同様の仕掛けを子供に持たせることは珍しくないそうである。さすが、魔道具のメッカと呼ばれる地だ。


 ベルウエザー夫妻とエクセルの眼下には、沈みつつある夕日に照らされて廃墟がぽつんと立っていた。


 教会関係者の間で、旧教会あるいは教会跡と呼ばれている場所。はるか昔、この国に最初にたどり着いた『大いなる教会』の信者たちが築いたとされる教会。

 現在では大陸最大の宗教である『教会』も、当時は、異教徒として迫害を受けたこともあったらしい。そのためか、それは山々に囲まれたくぼ地にひっそりと建っていた。


 司祭長によると、50年ほど前に市街地に新たに教会が立てられたため、今ではほとんど使用されていない。当時の祭壇や聖女像が内部に残されているため、教会関係者内では、博物館的な役割を果たしているそうだ。

 もっとも、最近はわざわざこんな僻地まで足を延ばそうとする熱心な信者はめったにいないとか。


 夜半に突然訪ねてきたベルウエザー夫妻と皇子らに詰問され、司祭長が、困惑しつつも、というより殺気立った様子に圧倒されて、この場所について知っている限りのことを教えてくれた。 

 実直な老司祭長は、新入り聖女のレダに関しては、ごく一般的な情報以外、何も持っていなかったが。


 礼拝堂がある正面側がどうか定かではないが、旧教会の裏口側は、塗料も剥がれ、レンガもところどころ抜け落ち、長い間放置されてきたように見える。


「じゃ、行くか」


 そのまま特攻しようとするクレインの腕を、呼吸を何とか整えようと努めていたエクセルがしがみ付くようにして引き留めた。


「ちょっと、・・・お待ち・・・ください・・・ベルウエザー卿」


「どうした、副団長エクセル殿。顔色が悪いが」 


 息も絶え絶えなエクセルと違って、大剣を背に、大きな袋を担いだクレインは全くの平常運転だ。


「まだ体がきついか?気付け薬なら、まだあるぞ。飲むか?」


「いえ。あれは、もう十分」


 エクセルは首を思いっきり振って断る。


 マリーナお手製の気付け薬は、本当にとてつもなく苦かったが、その効果は甚大だった。眠り香の後遺症は、もはやほとんど感じられない。なんとか、この無謀ともいうべき強行軍に付いてこれたのは、ひとえに彼女の薬のおかげだ。それにしても・・・


 化け物か、こいつ。

 エクセルは心の中で毒づいた。

 旧教会への正規の道をあえて通らずに、草が生い茂り、岩がゴロゴロした獣道を駆け抜け、さらに裏側の崖をよじ登ってここまで来たのだ。敵に気配を気取らせないため、己の足のみでほぼ半日かけて。

 息ひとつ切らさない方が異常だ。


「あなた、くれぐれも慎重に。シャルの命がかかっているかもしれないのですから」


 マリーナがきわめて冷静に、夫に言葉をかけた。


 ちなみに、マリーナも夫同様、全く疲れた様子はない。彼女は、猛然と走り抜ける夫の手に引かれて、自らの足を使うこともなく、まさしく宙を滑走してきたのだ。

 飛翔術の応用だとかで、自らの身体を30センチほど地から浮かせて。

 ごくわずかの魔力しか使わないので、燃費がいいだけでなく、探知魔法にもまず引っかからない術だそうだ。


「私が様子を見てくるわ。ここでおとなしく待っていて」


 マリーナは、止める間もなく、崖をふわりと飛び降りた。華奢な身体が猛スピードで廃墟へ向かうのを、エクセルは、なすすべもなく見守る。


「なんか、すごい奥方ですね」


 思わず漏れた本音に、クレインは照れくさそうに頬を掻いた。


「マリーナほどの戦士は、どこにもいないさ」


 奥方に戦士って誉め言葉か?いや、そうなんだろうな。この男にとっては。

 誇らしげな、そのくせちょっと心配そうな横顔を見ながら、エクセルは思った。


 レダは、あの女は、ベルウエザー夫妻を完全に見誤っていた。彼女はわかっていなかったのだ。娘の命がかかっていても、いや、かかっているからこそ、じっと待っている二人ではないことを。敵に回せばどれほど厄介な相手かということも。

 彼女は、まさか、自分とアルとの『密会』の最中に、両親そろって娘の救出を敢行するとは、思いもよらないに違いない。


 二人からこの申し出を聞かされたときのアルフォンソの渋面が思い出された。

 『待っていてほしい、自分の命に代えても助けるから』と誓ったアルフォンソに、マリーナははっきりきっぱり言ってのけたのだ。

 娘は、シャルは、あなたが犠牲になっても喜ばないと。娘も皇子も二人とも無事でなくてはダメなのだと。

 シャルが皇子との結婚を前向きに考えると宣言した以上は。


 マリーナの姿が裏口から中へ消えてしばらくして・・・


 再び、裏口から現れたマリーナが、手招きした。


「行くぞ、副団長殿」


 猛然と崖を下りだした巨体を、エクセルは慌てて追いかけた。


*  *  *  *  *


「こっちよ」


 マリーナがささやいた。


 ほの暗い廊下を浮遊するマリーナに導かれて、クレインもエクセルも音を発てないよう細心の注意を払って進む。

 朽ちた木材と埃の入り混じった饐えた匂いの漂う中、ともすれば軋む腐りかけた床を早足で。奥でぽつんと点った灯りを目指して。


 突き当り、倉庫のような部屋まで来て、マリーナが止まった。


「十中八九、ここだと思うんだけど」


 彼らが目指してきた灯りは、その部屋の入り口を照らす照明だった。骨董的な価値がありそうなランプ型照明は、ちらちらとした炎で、その部屋の扉あたりを照らしている。その扉の真正面で出入り口を塞ぐようにずり落ちているのは・・あれは、もしかして・・・男か?見張りか?

 マリーナが、脱力しきった男の顔をそっと灯りの方に向けた。

 ケイン!

 エクセルは上がりかけた声を何とか飲み込んだ。


「ごめんなさい。邪魔だったから。手っ取り早く感電させたの。命に別状ないから安心して」


 マリーナが、小声で謝罪らしきことを言った。


「確か、黒騎士団の術師の方よね?正気には見えなかったから、ファレル殿と同じ術にやられたのだと思う」


 クレインがケインの身体を片手でひょいと脇にどけた。担いだ荷物を静かに下ろすと、左手で背中にたすき掛けにした鞘から大剣を抜いて、マリーナを見た。その右手がドアノブにかかった。


 マリーナが頷いた。


 大型のネコ科の獣のしなやかな動きで、クレインは部屋に飛び込んだ。 


* * * * *


 シャルはいつもの夢を見ていた。ここ数か月、何度も繰り返し見ていた切ない夢。誰かが、大切な誰かが、泣き叫んでいるのに、何もできないでいる、そんな夢。


 けれど、なぜか、今回の夢はいつものそれとは違っていた。

 声だけでなく、彼女の姿が『見えた』のだ。


「どうして、私の力は、こんな時に、役立たずなの。こんな力なければよかった。この力がなかったら、あなたがこんな目にあうことなんか、なかったのに」


 つややかな長い銀の髪。額にはめられた銀のサークレット。

 琥珀色の瞳が今は涙で濡れている。

 絶望にゆがめられ、それでもなお美しい少女の泣き顔。


「逝かないで。一人にしないで。ゾーン。ゾーベルフェルン」


 そうだ。自分の名前は最後に残された者ゾーベルフェルン。『銀の聖女リーシャ』の守護竜。この地に生まれた最後の黒竜。


 夢の中では、確かにシャルは竜だった。


 泣いているのはリーシャだ。何よりも愛しいリーシャルーダ。大切な養い子。


「なぜ、こんなひどいことを。私は王妃の座なんか望んでいない。『聖女』になんかなりたくなかった。私はゾーンと平和に暮らせればそれでよかったのに」


 よかった。彼女は無事だ。自分は彼女を守りきったのだ。魔王亡き後、彼女を異物として排除しようとする人間たちから。


 彼女の額のサークレットにひびが入り、真っ二つに割れて滑り落ちた。

 サークレットの下から現れたのは、人外の血の証。小さな銀色の二つの角だった。






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