#5 「魔法少女の“先輩”として」
「……わかりました。こんな私ですが、やらせてください」
遥を見据えて。
今度こそ差し伸べられた手を取ると、衿華は立ち上がった。
今はずっと温もっていて、震えも収まりつつある手のひら。
衿華の不安がだいぶ抜けているのは読み取れた——けれど、安心感の次に押し寄せてきたのは多少の気恥ずかしさだった。
二人して立ったまま、手を繋いだまま、衿華はずっと遥を見つめている。
どうにも、手を離すタイミングが掴めなくて、半ば棒立ち状態になっていた時だった。
「お取り込み中のとこ、失礼するけど——って……あなたたち——この短時間で何が——」
マキが控え室に入ってきた。そして、ものの数秒でフリーズした。
「ち、違うんですっ! マキさん、そういうわけじゃ……」
「……ふーん。まあ、仲睦まじいのは結構なこと、だけど……」
遥による必死の弁解もさらっとあしらわれ、それでも最終的には納得したかのように一人勝手にマキはうんうんと頷いた。
「まあ、いいわ。何があったかは触れないでおいてあげる。それで、あなたたちも遅くまで残っていてお腹空いたでしょう? これ、まかない。もうすぐ店、閉めちゃうから食べたら早いところ帰っちゃいなさいね」
ベンチの上、コトンと置かれた二つのオムライス。
湯気が立っているのを見るに作りたてらしい、それを置き、そそくさとマキは部屋から出ていった。
「……はは」
どちらともなく、笑みが溢れる。
先ほどまでの気恥ずかしさも、気まずさもどこへやら。
手は繋がったまま、お互いにひとしきり笑った後、
「ちょうどタイミングぴったり、でしたね」
「……ええ。準備は万全、ということですか」
意を決したようにそう口にすると衿華は手を離した。
そのまま、シワが付いたスカートを整え、リボンを結び直すと、お辞儀——ではなく、その場で一度ターンしてみせた。
優雅に一歩、舞った黒髪の艶やかさに目を奪われてしまう。やはり整った所作だ。
そして、再び遥の方を向いた時、衿華の表情はずっと綻んでいた。
「それでは、始めるしかありませんね。——“魔法少女”を」
◇ ◇ ◇
◇ ◇
◇
二つのオムライス、それを前に衿華は緊張したような面持ちで頷いた。
「……大変、遅くなってしまいましたが——私が、お相手させていただきます」
そうだ、彼女は今対峙している。
“魔法少女”として、ではなく“魔法少女”になるために。頬を紅潮させ、震える手でステッキを握り締めながらも、その場に立っている。
「——“ヴィエルジュノワール”、です」
けれど、その声音までは震えていなかった。
玲瓏と紡がれたその名前、一転、こわばっていた彼女の表情が変わった。
「——黒夜よ、闇をもって、光と成せ」
何も、引き締まったとかそういうわけじゃない。
むしろその逆だ。
掲げられたステッキ、はためくスカート、艶めいた髪の漆黒。
一瞬、それに目を奪われて。
けれど、次の瞬間には一点、遥の視界は絞られた。
——華やぐような笑顔。
いつもの引き締まった表情とは違う、子供みたいな無邪気な笑顔。
この時間が、楽しい。“魔法少女”であることが、好きだ──と。
いとも簡単に衿華の思いは通じた。何もかもが遥と変わらなかったから。
子供の頃、テレビの前でやった魔法少女ごっこ。思い返せばそんな前からずっと変わらなかった“好き”。
もう高校生だから折り合いをつけなきゃ、とか。
男の子だからわきまえなきゃ、とか。
悩みは絶えない。一人でバイトに向かう時とか、寝る前とか、つい深く考えてしまう。
それでも、ここにいる時は——“魔法少女”である時だけは“自分”が“自分”じゃないから。そんなものとは無縁でいられるのだ。
屈託のない“好き”が宿った笑顔。
スポットライトの代わりに窓から差し込む月明かりがそれを照らす。
その表情と向き合って。
不意にとくん、と一際強い拍動が胸を走ったのを覚えた。
熱だ、それも胸を焦がすぐらいに強い。それが伝播したのだ。
「——“ノワール・ノクターン”」
遥の真正面にあったオムライス、それに向けられたステッキから真紅が飛沫する。
おかたい先輩、一人の女の子、そしてもう一つ。
対峙したこと。それによって自分を縛る肩書きから解き放たれて、衿華は勝ち得た。
もう一つの名前を得て、“変身”した。
——“魔法少女・ヴィエルジュノワール”として。
◇ ◇ ◇
◇ ◇
◇
「……美味しい、です」
一口、掬ったオムライス。
それを口に運んで数瞬、衿華は頬を綻ばせた。
「マキさんの料理、絶品なんです。結構な頻度でまかない出ますから、楽しみにしててください」
ふわふわ、半熟の卵黄。チキンライスに混ざった具は細かく刻まれており、かと言って歯応えは失っておらず噛むたびに小気味よい音が立つ。
両者ともよく絡んで程よく調和している。まかないとは言いつつも、店で出るものと大して変わらない。美味しい。
空腹なのも相まって手を休めることなく、二人とも無言でオムライスを口に運び続けていた時だった。
「……その……口を開けて頂けますか?」
「……は?」
不意に衿華がそう言った。
思わず、釣られるままに遥は口を開けてしまって。
「は、はい……あーん」
気づけば、すぐそこに衿華の顔があった。
赤らんだ顔、滲んだ多少の恥じらい、瞳が潤んでいるのは先ほどまで泣いていたからだろうか——なんて、冷静に考えている場合でもなく。
そんな彼女が、遥の目の前にスプーンを差し出してきて——つまるところ、あーんを……。
「ちょっ、衿華さんっ!? 何を——っ!?」
「……え? えーっと……その、ここまでやるのがコンセプトカフェ、ではないのですか……?」
飛び退いた遥の表情に、そういうわけではないことに気がついたのだろうか。
尻すぼみになる声、少し赤らむ——どころではなく、もう衿華の顔は真っ赤に染まっていた。
「……もしかして、衿華さんって結構天然、ですか……?」
「……自分でもよくわかりませんが……可能性としては無きにしもあらず、かもしれません」
伏し目がちに、それに恥じらいも含んだ表情で衿華は視線を逸らす。
これもまた、遥が初めて見る表情だった。
とはいえ、意外と自分のことすらよくわからない、きっと人はそんなものだ。
なぜそれが“好き“なのか言語化するのは難しくて、憧れなんて言ったらもっと抽象的なもので。
それでも、欲しいと願う一片の想いが自分の中にあることだけはわかるから、理由すら知らないままでも、それを手に入れるためにもがいている。
ともすれば、人のことなんてもっとわからないに決まっているし、ましてや自分の持ってるイメージを他人に押し付けるのはおこがましいことに違いない。
先輩、生徒会長、魔法少女。そんな肩書きはさておいて。
ちょっと大胆で、天然で、それでもどこか澄ました女の子——衿華を前にして、遥は嘆息した。
◇ ◇ ◇
「今日はありがとうございました。それでは、お先に失礼させていただきます」
着替えるのは衿華が帰ってから。
それまでの時間を潰すように遥は掃き掃除をしていた。
とはいえ、給料も出なければ床はとうに杏が掃除してしまっている。
そんな、ただ“魔法少女“の正体を隠すためだけの作業をしていた矢先、部屋を立ち去ろうとする衿華を前にして。
ふと、言葉が口をついて出た。
「……あの、夜道、暗くて、それにわかりづらいので。駅まで送ります」
◇ ◇ ◇
「その……着替えない、のですね」
制服、肩にかけられた学校指定のバッグ、染まっていない真っ黒な髪。
そんな当たり前の女子高生の出立ちでいる衿華の隣で、遥は随分と浮いてしまっていた。
「……一応、まだ仕事、残っているので。終わるまでは着替えないようにしているんです」
「さすが、ブラン先輩は就業意識が高いのですね」
純白のウィッグに、街中を歩く分にはあまりにも浮いてしまう漆黒のロリータ。
口から出まかせを吐いたにも拘らず、それを衿華が信じてくれたこと。それから、周囲が暗くてあまり目立たなかったこと。
辛うじて救いはあったけれど、だとしても恥ずかしいものだった。
「……それでは、ボクはこの辺りで。後は駅まで一本道ですので、すぐに着くと思います。それでは」
そして、十字路。
この先を曲がって駅まで辿り着いてしまえば流石に人通りは増えるし、周囲も明るくなってしまう。
ヴィエルジュブランとしていられるのはここまでが限界だったから。
捲し立てたのち、そのまま店に戻ろうとして。
「待って、ください」
その時、衿華が腕を掴んだ。
遥を引き止めるように、彼女はそう口にした。
「今日、色々とご迷惑をおかけしてしまって——その上、こんな遅い時間まで付き合って頂いて、本当にありがとうございました。それで——もし、あなたが、こんな私に愛想を尽かしていないのなら……」
腕を引く力が強まる。
釣られて、視線が衿華の方へ移ってしまう。
瞳を伏せて、それから、殊勝な態度で。それでも、覚悟を決めたかのように首を振ると衿華は、
「——明日からも、よろしくお願いしますっ」
はっきりと言葉を継いだ。
「……そういうことなら、もちろんです。というか、こちらこそ。“ノワール”に相応しい教育係であれるように、精一杯、頑張らせてください」
元より、愛想を尽かすなど少しも考えられなかった。
むしろ殻を破った“ノワール”なら、すぐに教えることも無くなるんじゃないか——なんて、考えていたぐらいだ。
「……安心しました。同世代の女の子同士で、ここまで頼れる人ができたの、初めてで。だから——嬉しいですっ」
安心したからだろうか、衿華が屈託のない笑顔を浮かべていた反面、その言葉は遥にとって先ほどの不意打ちオムライスよりずっと堪えるものだった。
「それではまた——ブラン先輩」
魔法少女の正体は秘密である。
そんなヴィエルジュブランの正体を、衿華はまだ知らない。
「……僕が、先輩の先輩、か……」
数を減らした街灯、薄暗くて、まだ先を捉えきれない裏路地の真ん中。
互いにワケアリなまま、“好き”と向き合うバイト事情。
そこにどんな日々が待っているかはまだわからなかったけれど。
「……まずは、帰らなきゃな」
閉店してしまったら、荷物が置き去りになってしまうから——取り敢えず、目の前のことから片付けなければ。
ほんの薄暗い路地、その先でまだ明かりを灯す"バイト先"に向かって、遥は駆け出した。
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