7.逆賊董卓

「ぎゃ? 逆賊とは? 現皇帝の劉協陛下を擁し、この中華の政を司っている、董卓様が? 逆賊であるとは? どのようなことですかな、王允殿?!」


 王允の別宅で、王允が突然放った。『逆賊董卓』の文言。それを聞いたとき、呂布は明らかに狼狽した。

 王允は、凄まじい怒りを瞳に据え。その光で以って呂布の瞳に視線を射込んだ。


「お考え下され、呂布将軍。最近の廟堂の衰えの様を!! 天下の力ある者は、もはや皇帝劉協様に力はないと。そのような、大逆の言を喋々と弄し!! あの逆賊董卓が握っている、仮初の現象面の力に媚びを売る!! その力を産む、不朽の基は。高祖劉邦様が築き、累代漢室があればこそ、受け継がれて来たと言うのに!! あの董卓が逆賊であるわけは!! 本来崇じるべき、尊するべき皇帝陛下を蔑ろにし、富や権力や兵権を、全て己の下に集めて思いのままにしているところにある!! 何らかの野心が無ければ、このような専横は行わぬ!! このような不敬を行わせて置いて。この王允や何顒殿、更には劉協様の義父である、伏完様も。廟堂の祖先の霊に申し訳が立たぬと、歯を食いしばり枕を濡らす毎日でござる!!」


 静かな、凄まじき激昂の様を見せる、王允に。戦度胸は並ぶもの無き呂布と言えど、気圧されるのであった。


「そ、それはよくわかり申した……。確かに、董卓様は。やがて自分が皇帝になるのだと。大っぴらには言わないものの、我ら董卓様の臣下は皆思って……。そこに将来の栄達を期待していることは、確かであるのですが……」

「今すぐ!! 董卓を見限るのです!! 呂布将軍!! 貴方は、董卓に見いだされたとはいえ、官位を降したのは、漢の皇帝劉協様!! あの董卓は破滅いたしますぞ、遠からずと! 今まで、漢の皇位を横奪しようとして、一時成功したように見えても。その身を全うしたものは居りませぬ!! 漢帝国が興ってより400年。一度一人の例外もなく、反逆の徒は身を捕縛され、処刑されているのですから!!」

「お、おお⁉」

「我ら漢朝の臣は!! 漢室の再興を為す計画を練っていて!! 実行する段階にまで迫っておりますが……! 実行を行うには、董卓が邪魔で! 董卓を除くには、力が足りぬ!! そのようなジレンマに苛まれております!! そこで、私は。呂将軍、貴方を見込んで、願いがあります。また、これは。あの悪逆董卓にその身を穢され奪われた!! 我が娘同然の貂蝉の為でもあります! なにとぞ、呂将軍に漢の将軍としての誇りあるなら!! また、あの貂蝉を哀れと思われるなら!! 我らの同志となり、あの悪逆董卓を除き!! 貂蝉を娶ってくださって、またまた! 健全清風を取り戻した朝野の発展を共に支え、実りを享受しようではないですか!!」


 呂布の目が光った。彼とて、もう限界だったのだ。愛しき貂蝉、愛しき貂蝉。董卓が生きているうちは表すことができないために、呂布の中で押し殺されていた、留恋の思いが。

 貂蝉の養父である、王允の口から。


『董卓を殺して、呂将軍が貂蝉を娶ってくれ』


 という言葉を受ける事によって、見事に再燃した。


   * * *


「貂蝉……。董卓様はいずこに?」


 呂布がある日やっと。董卓の下に出仕してきたの。この時は董卓は外出して相国府には居ないで。

 董卓の部屋に、私だけがいた。


「ああ……!! 呂将軍!! 愛しゅうございました、やっとこうして二人きりで……」


 私は、満面に喜色を作って。呂布に抱き着いた。


「お、おい、貂蝉!! このようなところを、董卓様に見つかったら……!」


 焦る呂布だけど、ここは仕留めないといけないから。私は離れなかった。


「今日は何の心配もいりません。董卓様は、御母公といっしょに。先祖の霊を祀りに、郊外の寺院まで出ておりますから」


 私はそう言って、呂布の頭を掻い込んで。自分の胸の間に収めたのよ。

 私って巨乳だから。


「ちょ、貂蝉……。お前はおしとやかに見えて、ひどく積極的だな……!」


 呂布は、私の抱擁を受けて。ひどく幸せそうな顔をしたけど、また意外の念に打たれてる感じなのよね。


「貴方がいらっしゃる日が。貴方と二人きりで居られる日が! どれだけ貴重だと思われるのですか♡」


 そういって、私は。呂布の手を引いて、董卓のベッドの方に連れて行き。

 着物の帯をほどいて、自分の裸身を見せて。

 呂布を誘惑した。


「う……お……ぉ!!」


 押し殺した声ながら。呂布は吼えた。

 そして、私を抱きすくめ、自分の着物の帯を解き。


 ひと時の、二人だけの時間。私と呂布は肌を重ねた。


   * * *


「呂将軍……。お父様からの文で知りましたわ。王允様からの文で」

「……何をだ?」


 董卓のベッドで、枕を並べながら呂布と私は睦み合っている。


「とうとう、呂布様は。この私の処女を奪い穢し、また漢の皇室にも不義理極まりないあの逆賊董卓を。誅罰してくださるつもりになったと」

「ああ。そうだな。お前は素晴らしい女だ。この漢の飛将軍たる呂布が。あのような老賊にまんまと転がされて、いつまでも言う事を聞くはずが無かろう。王允殿との計画も立った。あとは、実行を為すだけだ」

「ああ……。ああ……!! やっと! やっと!! 呂将軍の愛を受ける事が出来ます!! 貂蝉は嬉しいです!! どうぞ、愛人たちの末席にでもお加え下さい!」

「愛人……? 何を言う貂蝉?! 俺はお前を正妻として迎えるつもりで……!」

「なりません。それはなりません呂将軍! 私は、わたくしは!! すでに董卓によって穢された身です! いわば女として最も大切な宝を失った抜け殻のようなもの。呂将軍の恩情で、私はまだ愛していただけますが……。それでもわたくしは引け目を感じるのです……!」


 淑女モード乱舞!! こういうのが好きだろう、というよりは。

 おそらく、董卓に処女を奪われた、美姫麗姫たちの怨念がそう言わせるのであろう言葉に、私は身を任せた。


 そうだ、この時代のこの中華。

 権力争い、戦争の理。

 金銭富力、政治の駆け引き。

 その中で、いい家に産まれた美姫たちは男の都合で嫁がされ、また。

 人質として愛のない婚姻関係を結ばされたり。


 とにかく、とにかく。

 美しいということが、麗しいということが。

 悲劇しか招かないような、世の中。


 その悲劇の世の中の中で、女が為すことと言ったら。

 男を手玉に取り、己の欲を満たすくらいの、憂さの晴らしようしか。

 無かったのかもしれない。


 女はいつだって、男を。

 怒りと戦乱と獰猛さと凶悪さに。

 染まる事しかできない、哀しい生き物を。


 救いたいと願っているのに、こいつらは。


 男どもは、余計な野心を振りかざして、太平の世に乱を起こす。


 だから、だ。私はだからやる気になった。

 漢朝400年、不朽の基。それが大きく揺らぐ、最後の漢皇帝劉協。

 この劉協の御代を生きることで。


 いつの時代にも自由に生まれることができる、この天女の私が。

 何事かを為せるのではないかと、思ったから。


 平和を望むだけではない。

 生き甲斐の為に、人を殺す。


 そのような世の、起こり始め。


 後の世に言う、『三国争覇』の時代に入る、前兆の出来事。


 董卓による、摂政。その終焉から始まる。

 実力重視の、男の争いの時代。


 その口火を切ったのが、他の誰でも。英雄でも勇士でも壮士でもなく。


 一舞妓であったことで、男どもに女の価値を知らしめられると。


 思ったから。


 董卓が死ぬことにより、全てが白日の下になり。

 私は罪を問われ罰を受けるだろう。

 呂布と王允様が庇ってはくれるだろうが、私の気持ちが済まない。


 この私は、陰謀に身を投じた。

 その私を、董卓と呂布は愛した。私が仕組んだ愛の罠ではあるけれど。


 愛を罠として使った以上、女は、人は。

 生きている限り、決して。

 愛を語ってはならない。愛を享受してはならない。


 生まれ変わり、転生をして。魂を浄め切って後。

 また愛する人に出会うまで。

 愛の清潔さを守らなくてはならないのだと。


 私は思う。


 さあ、始まる。私の仕掛けた罠が。

 動き始める。

 私の仮初の生の終わりも。近づいてきた。

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