5.家臣二人
「もう泣くなよ、呂布……。私の秘蔵の酒を飲ませてやってるのだから……」
「悔しい……!! こんなことがあるか李儒!! 元々あの貂蝉は、王允殿が董卓様よりも先に俺にくれると言った娘!! なのに、後から董卓様が……!!」
さて、李儒の屋敷。李儒は、本来そこまで呂布とは親交を持ちたいとは思っていないのだが、自分の主董卓の今後に関わるとなれば話は別。珍しく呂布を自宅に招いて、彼の気を晴らすべく饗応していた。
「……それなのだがな、呂布よ。その王允殿は非常に怪しいぞ。私はそう思うのだ」
「……何がだ? 李儒?」
「ああ。よく考えてみろ。王允殿の朝廷での位階はなんだ?」
「司徒だろう? 三公の」
「そうだ。相国である、董太師のすぐ下の三公だ。奴が野心を持っているとしたら?」
「野心だと?」
「そうだ。王允の奴は、表向きは。皇帝劉協派の急先鋒だが。何故だか、この度は董太師に媚びてきた。まあ、言ってしまうとな。皇帝劉協の為に、董太師を除き。その後の丞相の座を欲しているのではないかと。思えなくもない」
「あんな青ビョウタンの文官がか?」
「舐めたものではないぞ、呂布。文官の欲というものは、普段運動で発散されていないだけに、溜り溜まって凄まじい濃度になっていることもあるものだ」
「それで? 頭の悪い俺には、李儒、貴様の言っていることがよくわからんのだが? 王允はどうやって。董卓様を除こうとしていると?」
「わからんか? 簡単な話だ。呂布、お前はあの貂蝉が好きだろう?」
「うむ」
「そして、あの貂蝉は。董太師の懐にも飛び込んでしまっている」
「……それは、あの弱い女の身の貂蝉は。董卓さまに求められては断れなかったからだろう」
「甘いな、呂布。あの女はそんなタマではないぞ。董太師と呂布、お前をな。手玉に取って、相討ちさせようと王允が送り込んできた毒婦。私にはそう思える」
「りっ!! 李儒っ!!」
呂布は、愛しい想いを抱き続けている貂蝉が、毒婦呼ばわりされたことに激昂し。李儒に殴りかからんばかりになる。
だが、李儒は。あくまで冷静であった。
「あの女。貂蝉が毒婦でないなら。呂布よ、お前を愛しいといった上で、董太師の閨に入って。なおかつお前の顔を見て話すなどという、恥知らずな事は出来ぬはず。漢の伝統の、いや、中華の伝統の。女たる道、婦道とはそのようなもののはずだ」
この当時の中華における、女性の倫理観を説く李儒であった。
「……そうかも……しれぬが。だが、あの貂蝉は……。貂蝉は俺の事を……」
「おいおい、当代一の人気武将でもあるお前が。何を血迷って一人の女に。女なんぞ、天下を手に入れればいくらでもいるぞ。それこそ、あんなケチな小娘、貂蝉などにこだわる必要もないような、豪奢な美女も。幾らでもいる」
「俺は……。笑ってくれ、李儒。もう、あの娘でないと駄目なのだ……」
「ちっ……。あの女、我が漢の飛将軍たる呂布に。呪術でも掛けおったかよ……!」
「だが、しかし、だがなのだ!! 董卓様に対して逆らって、生きながらえるほどの力は。俺にはない」
「おい、呂布。滅多なことを考えるな!! 王允の手に乗っているのと同じことだぞ!!」
手の平で強く卓を叩き。呂布の目を醒まそうとする李儒。それを受けて、呂布は少しだけ冷静さを取り戻した。
「そうか……。そうだな。怪しいといえば、あの貂蝉も確かに怪しい所が多い。よく忠言してくれた、李儒。俺も、あの女には距離を取り。気を付けて行こう」
「そうだ、呂布よ。いま、董太師とその配下の我々は、この世の春と言っていいものを享受している。その春が爛漫となって、千代八千代まで続くようにしていくのが、我々の為でもあり、董太師の為でもある。お前が暴走して、その春を終わらせれば。お前は董太師の配下全てを敵に回すことになるぞ。無論、この私もその際はお前の敵に回ることになる」
「……李儒。知略無双のお前を敵に回して。生き抜けると思うほどには、俺は単細胞ではない」
「そうだ。それでいいんだ、呂布。行こう、ここは長安、漢の都。女を探せばより取り見取りだ。憂さを晴らせる女が、きっと見つかるぜ」
李儒はそう言って、呂布を連れ出して。
繁華な長安の街の歓楽街に繰り出すのであった。
* * *
「呂将軍。どうしたのです? 最近はお姿を見せて下さらなくて……」
さて、私が王允様から受けたミッションの。片方のキーマンの呂布が、暫くの謹慎からやっと復帰して、董卓の居室の警護に戻った。
私のテンプテーションの重ねがけをしないと、魅惑効果が解けてしまうから。
私は、董卓が昼寝をしている間に、壁で仕切られた隣の部屋で、呂布に色仕掛けをしていたんだけど。
「フン!! この売女め!! もうだまされんぞ!!」
ああ? 何キレてんだ? このバカ呂布。失礼な言葉を、この天女貂蝉様に叩きつけてきたんだよな!!
「わたくしが? 呂将軍を騙す……? なんで? 何故?! そのような酷いことを仰るのです!!」
いや、口から喋々。私もよくセリフ出るわ。まあ、現在絶賛お騙し中なんだけど。
「ちょっと考えればわかるぞ!! 貴様は、中華の婦道に悖る毒婦に違いない!! この呂布との約束が反故になったのをいいことに、董卓様に取り入り!! 良い待遇を受け、それであるのに!! この呂布の逞しさにも色目を使っているのか、そのような媚態媚言を弄して、この呂布をも自分の男としようとする!! とんでもない女もいたものだ!! そのような可憐な見た目をしつつ、化物か貴様は!!」
おっぷ。これは、一発でわかる。
李儒の入れ知恵だな。
私を怒らせて、本性を見極めてこいとでも言われないと、この悪罵は出てこない。
「? ……よく、わかりました。呂布将軍は、この貂蝉を疎ましいと思い。この私にもう近づいては欲しくないと望む。で、あれば」
さて、やるか。
私は、袖にしまっていた小刀を取り出して鞘払い。
自分の胸に突き立てようとした。
「ばっ!! ばかものっ!!」
おお、すっごい勢いで、私の手を払って。その私の自害行動を阻む呂布。
「馬鹿者っ!! なぜ、自害などをしようとするかっ!!」
「思い残すことが無くなったからです。私の初めては、董卓様に奪われ。想いを残していた、呂布様からも嫌われる。で、あれば。この私にもう生き甲斐など。残ってはいませんから。死なせて下さらない?」
私は、手を払われて。取り落した小刀をまた拾おうとする。
「止めぬかっ!! 貂蝉、お前は、王允殿の指図で!! この呂布と董卓様を仲違いさせるために遣わされた女ではなかったのか?! 目的を達さぬうちに死ぬつもりかっ?!」
「バカ言わないでください、呂布様!! このわたくしが、そのような下品な女にお見えですか? それこそ女の誇りに関わること。おどきなさい、呂布奉先!! この貂蝉は、生きてそのような誹りを受けるのならば!! 自ら命を絶って、魂の清浄を守り抜きますっ!!」
私と、呂布がそう言い争っていると。
あの李儒が部屋に入ってきた。
「呂布。死なせてやれ。その貂蝉をな。喋々と口が回りすぎる。死にたくないに違いない」
ほおー? 言うじゃないか? 李儒君。
見てろよ、この貂蝉様のクソ度胸。
私は、董卓の腹心中の腹心であるために、この董卓の居室ですら帯剣を許されている、李儒に歩み寄り。
その腰の剣を引き抜き。
「李儒様。剣をお借りします。この貂蝉、疑惑を晴らし王允様に迷惑がかかること。防ぎたく思いますので」
そういって、李儒の剣を自分の喉元に当て。
一気に押し込もうとした!!
けど!!
「ばっ!! 馬鹿なっ!! 呂布っ!! 貂蝉を止めろっ!!」
李儒の焦った声が、響き渡る。
「お、おうっ!!」
呂布が、私に当身を喰らわせて、気絶させようとする。
「……冗談ではない……。董太師の寵姫が、私の剣で自害したとなど。董太師に知られたら、この私の身もただではすまぬわ……」
そんな李儒の声が、気を失いかけた私の耳に響いた。
舐めるな、この貂蝉様を。
依頼主は、死んでも守るのだ。
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