第二話『僕は今日もその報告を聞く』

「……はい、それじゃあ今日はここまで。課題の提出期限を忘れないようにな」


 低いけれどよく通る先生の声が響いて、今日も一日が終わりを告げる。部活にバイトに友人との会話など、クラスメイト達がそれぞれの目的のために立ち上がる中、僕はいの一番に学校を後にしようとナップサックを背負っていた。


 別に部活に所属しているわけではないし、信二を除けば一緒に帰るような関係性の友達がいるわけでもない。その信二も今日は部活動日和だろうから、誰よりも早く教室を抜け出す僕を呼び止める人はいなかった。自分のやりたいことをやりたいようにやれるという点では、しがらみが少ないというのは本当にありがたいことだ。


 階段を早足で下って下駄箱を抜けて、まだ人気の少ない校門をくぐって学校の外に出る。そうするなり僕はズボンのポケットに忍ばせていたスマホを取り出して、一件だけ来ていたメッセージに対して返事を打った。


『先生、今日の授業はもう終わりましたか?』という、メッセージのやり取りとしてはかなり淡白な一文。だが、それはここ二日ぐらい僕がずっと待ちかねていたものでもある。フリック操作に何度かつまずきながら『今終わりました、通話もいけます』と送り返すと、それに既読が付くのとほぼ同時にスマートフォンが小刻みに振動し始めた。


 まるで僕が学校を出るのを携帯を握り締めながら待ちかねていたかのようなタイミングだが、あの人だったらそれぐらいはするだろう。そんなことを思いながら通話ボタンを押して、僕は耳元に携帯を持ち上げた。


「……はい、もしもし」


『はい、学校お疲れ様です。……早速本題に移りますが、音声等大丈夫ですか?』


 軽く挨拶をすると、とても厳格そうな低い男性の声が聞こえてくる。知り合ってからかれこれ二年近くは経っているはずなのだが、この人の硬い口調は一向に崩れる様子を見せない。……まあ、僕たちの関係性を思えばそれも納得の話なんだけど。


「はい、大丈夫です。……それで、結果は?」


『はい、今しがた私の方に通達されてきました。……売り出していくには少し力不足であるというのが、編集部の方々が出した結論のようです』


「……そう、ですか。――氷室ひむろさん、他にどんな評価があったかとか聞けたりします?」


 できる限り気落ちしていることを悟られないようにしながら、僕は通話相手の氷室さんに再度質問を投げかける。その内側ではいろんな言葉が荒れ狂っていたけれど、今はまだそれを表に出すわけにはいかなかった。


『はい、同封の書類に確か寸評があったかと。……少しだけお待ちください』


 そんな僕の内心を知ってか知らずか――知らないでいてくれると個人的には気が楽なのだけれど――氷室さんは口調を変えることなく応じて、その後通話口からガサゴソと封筒を探るような音が聞こえてくる。その中でもひときわ大きいガサリという音が聞こえたのち、氷室さんの声がまた耳元で聞こえた。


『――『面白いがパンチに欠ける』『優等生的なまとまりはあるが、もう少し爆発力が欲しい』『もっともっとキャラのエゴを見せてほしい』――大体皆様言っていることは同じですね。高い実力があることは否定しませんが、『赤糸あかし 不切きれずの新作』として売り出すにしてはインパクトが足りないとの判断です』


「……なるほど。ずいぶんと高く、編集部の方々は僕を買ってくださっているんですね」


 褒めているのか貶しているのかよく分からない評価にため息を一つ付いて、僕は自嘲気味に呟く。評価が高いことはありがたいが、それが本来の僕の実力から離れて行くことはよくないことだ。……評価という影法師だけが独り歩きしても、僕が大きくなれるわけじゃないんだから。


『赤糸先生はまだ高校生ですし、これからレーベルを背負っていく作家として大きくなっていた抱かなければいけませんからね。……いささか過酷なことではありますが、これも貴方が望んだことの一つかと』


「そう、ですか。……いや、そうですよね」


 氷室さんが発した言葉をぼんやりと受け入れかけて、それに気づいた僕は首を大きく横に振る。近くに人が居れば突然の奇行だと思われるだろうが、学校から一歩抜ければそこはもう閑静な住宅街だ。幸い人通りもないし、車などが通ってくる気配もない。――その静かさが、僕は嫌いではなかった。


「『もっともっと大きな作家になる』ってあの時決めたのは僕なんですから。……それを叶えるためにみんな尽力してくれているのに、僕ばかりが弱気になってどうするんだ」


『ええ、その意気です。……勘違いしないように言いますが、誰も貴方を評価していないなんてことはないのですから』


 まとわりつく弱気を振り払おうと語気を強める僕の背中を押すように、氷室さんはそんな言葉をかけてくれる。厳格な仕事人間ではあるが、決して冷たいわけじゃないのだ。……ラノベ作家としての僕を誰よりも見てくれているのは、間違いなく氷室さんだった。


「氷室さん、次の会議はどこですか。……それまでに、一本確実に仕上げて見せます」


『……現実的なところで言えば、六月の中旬ごろでしょうか。今からゼロから作り上げるとなるとずいぶんタイトなスケジュールになりますが、行けますか?』


「行けます。……行って、僕が立ち止まっていないことを証明しなくちゃ」


 少しだけ心配するような様子を見せた氷室さんに即答して、僕はカレンダーのアプリを開く。僕に与えられた時間は一か月と少し、だけど大丈夫なはずだ。……少し前から、このあたりでの完成を見据えた作品だって書き始めている。


『そうですか。それでは、また何か行き詰ったことがあったら連絡してください。……少しでも伝えることを怠ると、貴方はすぐ自分が孤独であると錯覚してしまいそうですから』


「はい、肝に銘じておきます。……それでは、また」


 氷室さんの忠告に頷いて、僕は電話を切る。……そうして完全に一人になった瞬間、押さえつけていた無念が一気に口からこぼれだしてきた。


「……またダメ、か。……ごめんな、メリル。ユーリエも、頑張ってくれたのに」


 主人公とその相棒の名前を呼んで、僕はまたしても通らなかったという事実を再度噛み締める。赤糸不切が一つの物語を完結させてからそろそろ一年が経つが、新しい物語が本になる気配はまだまだ見えてこない。……そのことを自覚すると、背筋に冷たい感覚が走った。


――いろいろな巡り会わせにも助けられて、僕は高校に上がらずして作家デビューを果たした。だが、中学生ラノベ作家という栄光も今となっては過去の話。周囲にその秘密を打ち明けることもできないまま、僕は今も足掻き続けている。……だけど、足掻き続けて居られるだけ僕はまだ幸福なのだろう。


 だけど、その幸福だっていつまで続くかは分かったものではない。このままの日々が続けば、赤糸不切としての僕は少しずつ忘れられていく。たとえ誰かに感動を与えられていたのだとしても、それはきっと薄れていく。……なにも残せなければ、少しずつ僕の付けた足跡は遠く、そしてぼやけたものになっていく。――想像するだけで、それはとても恐ろしいことで。


「……これじゃだめだな、僕」


 昼に信二と交わした会話がまだ残っていることもあってか、普段はあまり顔を出してこないはずの嫌な感覚がどんどんと大きくなっていく。それをどうにか振り払いたくて、僕は足を最寄り駅とは違う方に向けた。――『今日は少し遅くなるかも』なんてメッセージを、母親の携帯に送りながら。

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