第2話




 私が久に桜山高校に行ってほしくなかった個人的な理由については、お集まりいただいた皆さまの中にノンフィクションを書いてくださった毎朝新聞社の記者の方もいらっしゃいますので既にお分かりになる方もいらっしゃるかと思います。三十年前、私は妹をある事件で亡くしております。


「一条美穂ちゃん連れ去り事件」は当時全国的にも大々的に取り上げられた事件であったのでご記憶にある方も多いのではないのでしょうか? 


 三十年前、七歳の私の妹、美穂は何者かに連れさられ三日後変わり果てた姿で見つかりました。


 事件当時私は十二歳でした。あの日、私は妹と二人で自転車に乗って自宅から少し離れた市立図書館へ行きました。夏休みがもうすぐ終わるところでした。早起きをして行っていたラジオ体操もお盆がはじまる前にはなくなって、子ども会でおこなわれたキャンプや、納涼祭などのイベントも終わり、楽しみにしていた花火大会や家族旅行も終えて、私も妹も夏休みのお楽しみが全部終わってしまって寂しい気持ちと退屈した気持ちと、もうすぐ始業式の日が来る、なんとなく憂鬱な気持ちをやり過ごすために、二人で図書館へ行ったのです。


 私は自宅から図書館までの道のりが私はとても好きでした。今は道路が拡張されていて様変わりしておりますが、当時はあの川沿いは片側がサイクリングロードになっていて、生い茂った街路樹と川から吹く風で夏でも涼しかった。美穂と一緒に自転車をこぐのはいい気分転換にもなりました。


「お姉ちゃん、待ってー!」


 いつも美穂は途中で私のこぐスピードに追いつけなくなりました。美穂は自転車に乗れるようになったばかりでしたので、それも当然です。そこで、もうあと一息で図書館だけれど、私は近くにあるお稲荷さんの赤い提灯の下で美穂が私に追いつくのを待ちました。


 私と妹は姉妹きょうだいげんかも沢山したかもしれませんが、私は美穂がとても可愛くて仕方がありませんでした。本当に可愛い、性格も愛らしい子でした。

現在は私が医院長をしておりまして、名前も一条レディースクリニックと改めさせて頂きましたが、私たちの家は父が一代で築いた、産婦人科医院で、母はそこで看護師をしておりました。


 両親はとても忙しく、寂しい思いもしましたが、この街ではお産と言えば一条産婦人科と言っていただけるほどの評判は幼いながらにも誇りを抱いておりました。誇りだけでは寂しさはどうすることもできないものですが、私たち姉妹は幼い時からお互いを頼みにしていた部分があったと思います。美穂がいなかったら、どんなに寂しい子ども時代だったでしょう? 


 あの日、図書館から忽然こつぜんと美穂が消えてしまった時の私の気持ちは三十年たった今も上手く言い表すことができません。


 図書館は現在、他の場所に移転していますが、今もあの旧市立図書館の建物の近くを通ると体が固まってしまったり、十二歳の私が美穂を探して名前を叫びながら走り惑った時の記憶がフラッシュバックしたりします。


 あの日、二人で行った図書館で私はお気に入りの本の続編を見つけて舞い上がっていました。当時とても人気のあった作品で、なかなか借りられなかったのでとても嬉しかったのです。そして、よせばいいのに、私はその本を数ページ読んでしまいました。


「お姉ちゃん! まだ?」


 もう帰るつもりでいた美穂からそう言われるのは当然でした。


「ごめん。もうちょっとだけ。きりのいいところまで読みたい」


「もう。この前もお姉ちゃん、そう言っておやつの時間に間に合わなかった」


 そう言って美穂が頬を膨らませて怒ってみせても、待ってくれることを私は知っていました。私は時々美穂の様子を伺いながら、児童文学や絵本が多く置いてある子ども用のカラフルな閲覧室で木製の小さな椅子に座って、時々顔を上げて美穂の様子を伺いながら、楽しみにしていた続きに目を走らせました。美穂は自分が借りた本を入れた手提げかばんを私の側に置きました。忙しい母が私と美穂のために作ってくれたお揃いの手提げでした。十二歳の私でも幼くないように気を遣って赤と青と黄色の大柄のブロックチェックの生地で作られた手提げは私と美穂のお気に入りでした。


 美穂は本棚から本棚へまるで一人でかくれんぼをしているようでした。時どき私に「まだ?」と口の形だけで催促してみて、私が首を振ると大袈裟にため息をついて肩をすくめてみせました。美穂らしいとてもかわいらしい仕草でした。


 過去に戻れるならと何度考えたか分かりません。戻れたなら私はあの本をすぐに閉じて美穂と帰ったでしょう。きりのいいところで本を閉じた時、美穂は私の側にいませんでした。

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