骨と底   1

 祖父の遺言にあった「遺骨は海に撒いて下さい」の一文のせいで、親族総出で「海」とは何か調べる羽目になった。

 大人たちは皆一様に「聞いたこともない」と鼻を鳴らし、老人たちは皆一様に「聞いたことはある」と曖昧に口にした。

 仮にも歴史ある家だというのに、一族は揃いも揃って面倒くさがりである。無論、自分もその一人だった。だらだらと続いた議論を横目に見ながら、早く帰りたいなと思っていた。

 そのうちにもう普通に埋葬すればいいだろうと誰かが言い出し、まあそれでいいかと誰かが頷いて、蜘蛛の子を散らすにしてはゆったりと、その日は皆が屋敷を後にした。お酒を飲んでいて帰れなくなった管理おじさんを乗せて帰る時、「時間返せよ…」という苛立った声を聴きながら、遺言はもう終わった事のように感じながら車を運転していた。

 にもかかわらずなぜか今、祖父の遺骨が入った白い円柱の容器が目の前にある。すぐ隣には綺麗な白い封筒が口を開けていた。

 眉間のしわが出来るのを感じながら、その原因を持ってきた張本人に目を向ける。小鉢さんはニコニコ笑いながら、給湯室のケトルを勝手に使って麦茶を入れていた。

「だって、水路くん長期休みでしょ?」

「小鉢さんもそうじゃないですか」

「学生の長期休みと社会人の長期休みとじゃ、わけが違うよ」

 小鉢さんは対面に座ると、入れた麦茶をズズズとすする。どうせ入れるなら、僕の分も入れて欲しかった。

「学生のお駄賃で5万円って割と大金じゃない?」

「金額の問題じゃないです」

「別にいつまでにやれって言わないんだし、受けてくれてもいいじゃない」

唇を尖らせながら目を細めてくる。眉間の皺が深くなるのがわかった。

「そんなこと言ったって、みんなが調べてもろくに情報が出てこないようなもの、学生が見つけられるわけがないでしょう」

「ああ、別に海を探してほしいわけじゃないよ」

「はい? じゃあなんでおじいちゃん持って来たんです」

「探してほしいんじゃなくて、作ってほしいんだ」

「より難しいじゃないですか」

 思わずソファの背もたれに倒れる。見つけられないものを、どうやって作るというのだ。意味が分かりません、という感情を最大限顔で表現していると、小鉢さんは表情を崩さないまま言った。

「一応海についてはわかってるんだ」

「え」

「昔の地球の表面に存在した、水分の膜だそうだよ」

 コップを机の端に置き、小鉢さんは持ってきていたバックパックをソファの脇から机の上に置いて開いた。バックパックには中身いっぱいに紙の束が押し込められていて、所々に付箋が張られたり、ステープラーでまとめられている。

「あれから調べたんだ、確認できた海に関する資料」

 多分関係ないのもたくさんあるけど、と注釈をいれて再びコップを手に取る。

「よく集めましたね」

「結構大変だったよ」

「…それで、そんな昔のもの、ものっていうか現象か環境か分からないですけど、そんなのどう作るんです」

「それを水路くんに調べてほしいんだ」

「いや絶対無理です。ていうか小鉢さんがやった方が早いですよ」

 目の前のちゃらんぽらんな男は、比喩抜きに自分の十倍以上の知識を持っている。そんな人がいるのに、わざわざ一学生の自分がひーこら言いながら調べる意味が分からない。

「ていうかこれ、いつの日本語ですか」

「前中期の日本語だね、前国語とも言う」

「ゴリゴリの専門知識じゃないですか、読めるわけないでしょ」

「大丈夫大丈夫、辞書貸してあげるから」

「無茶言わないでください」

 コンクリートブロックを思わせる辞書を差し出しながら、にこやかに笑う。この綺麗な顔が詐欺に手を出したら、一人で食うのに困らない程度には稼げそうだなと思った。

「それに水路くん、まだ期間研究の題材まだ決めてないんでしょう? 海について調べましたって言えば教授も納得してくれるよ」

「それは…」

 痛いところを突かれる。学校を卒業するための研究題材をまだ申請していない。

 正確には何度か出してみたものの、あまり芳しい答えをもらっていない。それどころか、遠回しに変えた方がいいよと言われてしまっている。まだ申請期限までは時間があるものの、申請を早く済ませれば済ませるほど、研究に割ける時間が増える。題材は早く決めてしまいたかったのは事実だった。

「別に百点満点の海を作れなんて言わないよ。海とはこういうものです、したがって、それをこういう形で再現しました、って言ってくれれば、みんな納得してくれる。水路くんはそれを丸々研究に使っていい」

「うんんん」

 正直な所、聞いている分には自分にとって悪くない条件に思えるし、別に受けてもいいとは思う。しかし、気持ち良くない。なんだかうまいように使われているように感じるからだ。

 小鉢さんも屋敷の人間の例にもれず面倒くさがり屋であるが、何の理由もなく面倒ごとを押し付ける人ではない、と思っている。何か、自分がこの話に関わるのに、納得できる理由が欲しかった。

僕は姿勢を起こし、眉間のしわを緩めながら言った。

「ちなみになんで僕なんですか」

「富爺さんと仲良かったじゃん」

「いや、そこまで仲良くなかったですけど」

「よく本棚のエロ本読んでなかった?」

「…なんのことですか。知らないです。あと官能小説はエロ本の括りじゃなくないですか?」

 唐突に一方的な暴露大会が始まってしまった。世界は残酷だった。

「そんなことはよくって、え、まじでそれだけで僕を選んだんですか」

「んん、一応あるけどねえ」

「それを教えてください。せめてそれがないとやる気になれません」

 自ずと身を乗り出す。それに気が付いて、気恥ずかしさから不自然に背筋を伸ばして居住まいを正した。小鉢さんと目が合った。

「そうだねえ」

 風通しの良い部屋なのに、妙に体が熱く感じる。机にコップを置く音が、部屋に大きく響いたような気がした。

「一つは、さっき言ったように長期休みで期間研究の題材を探してるって知ってたから。もう一つは水路くんに向いてると思ったから、だね」

「向いてる?」

 調べものをするのに向き不向きがあるのか。

「向き不向きはあると思うよ」

「心を読まないでください」

「ん? ああ、別に当てるつもりはなかったけどね」

 にこにこ顔を少し崩して、んふふと笑う。反比例してまた眉間にしわが出来る感覚がした。

「期待しているってことだよ」

「はあ」

「それでどうする? 受ける?」

 期待している。その言葉の真意は、お茶を啜るその顔からは読み取れなかった。でもなんとなく、もしもここで断っても小鉢さんはすんなり引き下がるんだろうなと思った。

「…もし、どうしても分からなかったり、行き詰まりしたら、相談してもいいですか」

「もちろん! 単純に私も興味あるしね、海」

 親指を立てられる。小鉢さんは同意のサインとしてこの動作をする。いつもは何も思わなかった親指の腹が、少しだけ頼もしく見えた。






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