第23話・・・榎屡氣_『御十家』_取引・・・

 亜氣羽が「ババ様」と呼ぶと、その老婆が「これっ」と咎め声を上げた。

「普段はいいが、初めて顔を合わせた者の前で〝ババ様〟と呼ぶのはよしとくれ」

 その老婆は改めて湊を視界に収め、親しみ深いようで何を考えているかわからない微笑で名乗った。

榎屡氣かるけと言う。……周りにワシのことを伝える時は、是非その名で頼む」

 ババ様こと榎屡氣を見詰めながら、湊は冷や汗を掻いた。

(……万全な状態でも勝てるかわからないのに……『鬼尤羅化ルオ・イニシエート』と『理界踏破オーバー・ロジック』の反動でかなり消耗した今じゃ……逃げることはできても、勝てはしないな)

 湊にはわかる。

 この榎屡氣という老婆の、計り知れない実力が。

(それに何より俺と相性悪いのが……この榎屡氣って人、心がほぼ読めないッ)

 そう。

 湊の強さの源の一つである『超過演算デモンズ・サイト』がほとんど通じないのだ。

(全く効かないわけじゃないけど……読めても表層。『完偽生動フェイク・ナチュラル』で仮面を貼り付けてるわけじゃない。言わば完璧過ぎるポーカーフェイス。

 ……『指定破狂区域ハザード・エリア』の鬼獣の中には人間の微かな挙動に反応するものもいる。そんな鬼獣の野生の勘に対抗すべく身に着けた、〝鉄壁不動の佇まい〟ってところかな? ……こういうのを老獪っていうんだろうねぇ)

 湊に取って非常に相性が悪い相手だ。

 気を引き締めつつ、湊は榎屡氣に問うた。

「周りにワシのことを伝える時は……って、言っていいんですか? 貴女達のこと。外界の人間に干渉されるのは嫌なのでは?」

「もちろん嫌さ。でも今回はうちの亜氣羽がなにかと迷惑かけたんだろう? それなのに強引に口封じするほど面の皮は厚くないさ。………それに、」

 榎屡氣は、続けて述べた。


「仮にワシのことを知っても、どうすることもできないからね」


 榎屡氣の僅かしか読み取れない表層に、ありったけの自信が見て取れた。

(……『慟魔の大森林』の奥深くに来ることなんてできない。………そう言いたいわけね)

「ワシ等の情報と、その『源貴片オリハルコン』…『恐凶命晶ラスティ・ハーツ』と命名しているんだが、それを差し出すから勘弁してほしい」

 湊がまだ亜氣羽から奪った源貴片オリハルコンを指す。

 勘弁、と言っているが、それで手を打てと言外に圧を掛けている。

「さて」

 榎屡氣は湊の返事を待たず、湊へ背を向けて振り向き、気絶して亜氣羽に抱えられている雛菊へ腕を伸ばした。

 するとローブの袖からがにょろにょろと現れた。


 ……赤黒い角を生やす、蛇だ。

 

 榎屡氣が伸ばした腕の延長線上へいる雛菊へその蛇は近寄り、ガブッと手の甲を噛んだ。

(………まあ、『鬼獣使士ブルート・テイマー』でも不思議はないよな)

 湊が心中でそんな嘆息をついていると、噛まれた雛菊が一度痙攣してハッと起き上がった。

「ひな姉…大丈夫?」

「え、ええ…」

 雛菊は湊に叩かれた後ろ首を摩りながら、自分で歩空法フロート・アーツで立ち上がる。

 そして榎屡氣の向こうにいる湊の姿を捉えて「ッッ!」と警戒と怯えが混ざった表情を浮かべた。

「おやおや、すっかり怯えてしまってまぁ」

 榎屡氣がくつくつと笑いながら湊に向き直る。

「でもこればっかりは仕方ないねぇ。……雛菊が倒されるところは見ていたんだがワシも何をされているかわからなかったから」

(……いや、少なくとも視線は感じなかった。蛇のピット器官を介して探知していたのか、それとも榎屡氣さんの探知能力がそもそも高いのか…)

 湊がそう分析していると、榎屡氣が目を細めて。

「だが、このワシを前にしてそう簡単に使える代物ではないと見た。………雛菊、もう一度このまま転移法ワープ・アーツを落ち着いて使いなさい」

 雛菊が「はい」と返事をするのを聞きながら、湊は(……ご名答)と心の声を上げた。

 湊の『誘靡イザナミ』を使えばもう一度転移を防ぐことはできるかもしれない。

 しかしその後亜氣羽・雛菊・榎屡氣の三人を一気に制圧しようとしても、榎屡氣に防衛されてしまう。ただでさえ著しく消耗した湊が理界踏破オーバー・ロジックを連続行使した後に勝てる相手ではない。

(……でも、このまま逃すわけにはいかないよなぁ)

「………榎屡氣さん。もう少しお話しませんか?」

「悪いね。ワシ等のことは諦めてくれ。さっき雛菊が言った通り、何か訳ありである主のことを吹聴するつもりはない。……だから、諦めてくれ」

 取り付く島もない榎屡氣に、湊が告げた。




「そう言わないで下さい。榎屡氣さん。…………………いや、それとも阿座見野暮菓あざみの くれかさんと呼んだ方がいいですか?」




「ッッッッ!!?」


 その時、初めて榎屡氣が動揺を見せた。



 阿座見野家。……『指定破狂区域ハザード・エリア』の探索を専門とする、『御十家』の一角である。



 湊は榎屡氣ではなく背後の亜氣羽と雛菊の反応を見て「ふーん」と呟く。

「雛菊さんは知っているけど、亜氣羽さんは知らなかったみたいですね」

「…………お主」

 一切の余裕が消えた榎屡氣だが、そこに怒気や嫌忌の感情はない。

 湊を見定めんとする冷静さは健在だ。

「なぜ、それを?」

「俺、結構記憶力いいんですよ。……各組織のには、大体目を通しているんです。……もちろん、『御十家』も。

 それに自分で言うのも恥ずかしいんですけど、俺頭良いからその人がどういう感じに老化するかも高い精度でわかっちゃうんです」

 驚愕が滲み出てた榎屡氣に、湊は更に告げた。


「まあそれでも最初はわからなかったですけどね。………なんせ、こっちの世界に残った貴女の写真は、の頃のものでしたから」


「………」

 何も言わない榎屡氣に、湊が述べる。

「もう80年も前になりますかね。当時24歳だった阿座見野家頭首の孫娘、阿座見野篠羽あざみの しのはが2歳だった娘と共に事件。

 俺は資料でしか知らないんですけど、確かあの事件はとある裏組織が『指定破狂区域ハザード・エリア』の情報を得る為に阿座見野家頭首が溺愛していた孫娘を攫って人質を取り、阿座見野家はしっかり情報を渡したが、篠羽とその娘の暮菓は戻ってこなかった、と。

 ……つまり、別に『指定破狂区域ハザード・エリア』の探索中に行方不明になったわけじゃないはずなんですけど……、それなのに貴女はこうして『慟魔の大森林』を根城にしている。……これは一体どういうことなんですかね?」

 湊は平静を装いながら述べているが、湊にしては少し動悸が増している。

 自分が生まれる何十年も前の、上層組織なら行方不明事件だ。そこまで詳しく調べていなかったとはいえ、湊も死んだものだと思っていた。

「………ふむ」

 顔付きが変わった榎屡氣が一歩前に出る。まるで湊に立ちはだかるように。

「久しぶりにワシ自ら外界に出たかと思えばこのような異常才児に遭遇するとはねぇ。………それで、だからどうした?」

 榎屡氣がメデューサの如き石化でもされんかとする威圧を放つ。

「想像を膨らませるのは自由。ワシはそれに関して肯定も反論もしない。証左も何もない。……それで何ができる?」

「それじゃあ、」

 間髪入れず、湊が答えた。


「貴女達のことを阿座見野家に伝えてもいいんですね?」


「?」

 頭上に疑問符を浮かべた榎屡氣に、湊が続けて。

「『慟魔の大森林』の奥にはなんと数人の人間が生活していた! しかもその長は名家『御十家』の一角、阿座見野家の直系だった! 80年も前に行方不明となっていた子供が生きていた! ………貴女達の知らないところで、持て囃されるでしょうね」

「だから、それがどうした」

 榎屡氣がぴしゃりと切る。

「ワシ等の知らないところで何を言われようと、一切気にしないと  」


「そして、一番持て囃され、英雄扱いされるのが………貴女の母親、阿座見野篠羽しのはさんです」


「……ッ」

 榎屡氣が眉を微かにぴくりと震えさせる。

 湊はその微かな反応をしっかり観察しつつ、演技がかった仕草で続ける。

「経緯はわかりませんが、当時二歳だった貴女が状況打破できるはずもない。となると必然的に今はもう亡くなっているであろう貴女の母親、篠羽に焦点が向く。………『参禍惨域スリー・ヘルネス』と呼ばれるほど過酷な『指定破狂区域ハザード・エリア』で生き延びた古き血族の武勇伝。阿座見野家もこれほどドラマチックな話は代々的に公表するでしょうね。そうすれば世界中に阿座見野篠羽の名前が轟く。もちろん、榎屡氣・暮菓さん、雛菊さん、亜氣羽さん、貴女達の名も。証左なんて状況証拠で十分です。……なんせんですから」

 名家の業の深さを、湊が更に詳細に説明していく。

「………『ワシ等の知らないところで何を言われようと気にしない』、そう仰いましたね。……本当に、マジで、色々言われますよ? 阿座見野篠羽はどう生き延びたか? 逃げ道は『慟魔の大森林』しかなかったのか? そもそも逃げ道が『慟魔の大森林』しかない状況だからこそ逃げられたのか?〝歪み〟だらけの環境でどう生き延びたのか? まだ成人していた篠羽はともかく、乳幼児だった暮菓はどう生き延びたのか? 何十年も『指定破狂区域ハザード・エリア』で生活していたということは暮菓は『洸血気オーブ・エナジー』に対して耐性があるのか? 暮菓の血液は特殊な免疫力を持つのではないか? 雛菊と亜氣羽はどこから来たのか? 捨て子か? ………もしかしたら暮菓が誘拐した可能性もあるのか…?」

 後半、湊は敢えて印象の悪い仮の話を口にした。

 榎屡氣も小手先のテクニックだとわかっているが、そういう良からぬ噂話をする連中も湧いてくるだろうと想像して、機嫌を少し悪くしているようだ。

 ちなみに亜氣羽と雛菊も表情を少し歪ませて不服さを露わにしている。

「人間はわからないことに対して無限に想像力を膨らませられます。………貴女達や、篠羽さんの尊厳なんて気にせず、なんでも噂します。……それでもいいんですか?」

 聞きながら、湊は僅かに読める榎屡氣の表情から、少しでも多くの情報を入手せんと集中力を高めた。

《………やっぱり榎屡氣さん、

 ちらっと、湊が一瞬雛菊の表情を読み取った。

(〝自分達を助けられなかった無力な本家に対する恨み〟か〝誘拐事件は一部自演で、自分達を裏切り見捨てた本家に対する恨み〟か。榎屡氣さんの表情からじゃわからなかったけど、……雛菊さんからなら読めた。答えは後者……少なくとも当時の阿座見野家は篠羽さんと榎屡氣暮菓さんを見捨てたってことか。………え~、当時の阿座見野家頭首は篠羽さんを溺愛してたんじゃなかったの…?

 ……『御十家』の中でも阿座見野家はあまり注視してなかったけど………少し情報を集めた方がいいかもね…)

 一歩、榎屡氣が更に前へ出た。

 表情から読めない。

 しかし、湊に対する敵意がありありと心の中で渦巻いていることが『超過演算デモンズ・サイト』を使わなくても読み取れる。

 そして、榎屡氣が重々しく口を開いた。

「お主ッ   」



「なーーーーーーんて、そんなことするつもりはありませんよ」



「「「……っ?」」」

 榎屡氣、亜氣羽、雛菊の目が丸くなる。

 一秒前まで湊が纏っていた静かな威圧が、けろっとなくなった。

 一変して敵意を抱かせない柔和な笑みを浮かべており、榎屡氣が「どういうことだい…」と警戒心を保って問い質す。

 湊は音叉を腰に差して何も持っていない手の平を翻して見せた。

「貴女達のことを阿座見野家に言うつもりはありません。〝『慟魔の大森林』の奥地で生活している人間がいる〟ぐらいのことは俺以外の人も知ってしまっているので、一部に広まることはご了承してほしいですが、貴女と阿座見野家の関係性については俺しか知りません。それを悪戯に吹聴するつもりはありませんよ」

「………何が狙いだい?」

 湊が微笑む。

「あははっ、混乱させてしまって申し訳ないです。……まず大前提として、俺は貴女達と敵対するつもりはありません。できれば互いに良い関係を築きたいと思っています。

 今少し貴女達を詰めるような話をしたのは、俺の多角的な有用性を示したかったからです。…って、これも自分で言うの恥ずかしいですが。……まあ、とりあえず俺が言いたいことはさっきも伝えた通りです」

 一拍置いて、湊が告げた。



「榎屡氣さん、もう少しお話しませんか?」



「……………ふっ」

 榎屡氣が、笑った。

「なぁにが〝お話〟だい。……はっきり言いなさいよ。ワシと〝取引〟がしたいと」

 湊がくつくつと笑いながら「そんなドライなこと言わないで下さい」と言うが、榎屡氣は聞く耳を持たずに後ろを向いた。

「亜氣羽! ここに床とテーブル、そして椅子を作りな! それぐらいのエナジーは残っとるだろう!?」

 指示された亜氣羽が「う、うん!」とすぐにカーペットと、アンティーク調のテーブルと二つの椅子を向かい合うように具象して簡易的な談話スペースを作った。

 床はカーペットであるが、歩空法フロート・アーツを応用して固定したエナジーの上に敷いているのでしっかり踏めそうである。

 榎屡氣が先に椅子を引いて座った。

「さあ、座りな。話や取引はそこからだよ」

 榎屡氣が試すような笑みで着席を進める。

 敵が具象したテーブルと椅子。

 普通なら罠を疑うところだ。

 湊は亜氣羽の表情を読んで現状罠がないことは把握しているが、具象系ならこのテーブルや椅子を瞬時に拘束具に具象し直すことも可能だ。

 つまり今後の湊の言動次第ではどうにかなるかわからない。

 ……それでも。

「では、失礼します」

 湊は躊躇なく着席した。



 テーブルを挟んで、榎屡氣と湊が対峙する。

 




(……これ……どうなるの…?)


 亜氣羽が先が全く読めず、ゴクリと生唾を呑み込んだ。


 


 ■ ■ ■




 とあるビルの屋上。

 20代後半のその女性は瞳にエナジーを灯しながら、遥か上空を眺めていた。

「ハァ…ハァ……ッ」

 汗を掻き、息も切れ切れであるが、それでも集中力を保って注意深く周囲を見渡していた。

 ……そして、カッと目を見開いた。

「見付けた! 亜氣羽って子が漣湊を連れ去ったあとっ!! もう消えかかってるけど! なんとかまだ追えそう!」

「本当か!? 上山かみやま!」

 一緒にいた30代の背筋がピンと伸びた男性が反応する。

「よし! そうとなれば速水所長と周囲で張っているみんなに連絡だ!」

設楽したらっ! 言っておくけど手出ししてはいけませんからね! 監視に留めておくのですよ!?」

「うむ! そう言えばそうだった!」

「馬鹿!」



 特殊な『眼』の持ち主、上山琴代かみやま ことよ

 フィジカル馬鹿、設楽海馬したら かいば



 強行秘匿探偵事務所『北斗』の所員二人が動き出した。

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