16 宇佐の彼女





 リコの言いたいことは分かる。勿体ないと言いたいのだ。長瀬のことが長年好きだったリコだからこそ、よりそう感じるのだろう。由麻だって、宇佐に告白されて迷っている女子がもしいたとしたら、そのように思ってしまうと思う。


「それに、付き合ってから好きになるパターンだってあるんだよ」


 しかし、リコに何を言われても、由麻の気持ちは変わらなかった。


「そういうパターンがあるのは理解できる。でも、そうなる保証は……好きになれる保証はないでしょ。試しに付き合ってみて結局好きになれなかったら、長瀬さんは時間を無駄にすることになる。付き合えばある程度の拘束力が生まれるし、私と付き合ってる間長瀬さんは他の人と付き合えない。多かれ少なかれ長瀬さんの高校生活という貴重な時間を奪うことはしたくない」


 茜のことを気にかけ、一時期支えてくれた長瀬。長瀬の根が良い人だと分かっているからこそ、下手に利用したくないのだ。

 由麻の言葉を聞いて、リコが目を細めた。


「……吉春、こーいう女が好きなんだ」


 その声はまだいつもよりワントーン低い。リコはしばらくじとっと由麻を睨み付け、ごくごくと水を飲み干したかと思えば、勢いよくコップをテーブルに置いた。コップの中の氷がからんと動く。


「なんか分かったかも。吉春がわたしたちには振り向きもしなかった理由。クソ真面目で誠実な子が好きだったわけだ。でもやっぱり腹立つ。何でこんな地味な芋……自然体が好きですってこと?」

「ちょっとリコ、そういうこと言うのやめよ!?」

「――この後化粧品買いに行くから。由麻ちゃんが良い人なのは分かるけど、それだけじゃわたし納得できない。てか、今の由麻が吉春に告られたことバレたら絶対一部女子にぶっ叩かれるから! ちょっとは女磨いてよね。女子高生間のルッキズムって案外激しいんだからね?」


 リコがビシッと由麻を指さしてきた。


「顔のパーツの位置も整ってる、鼻と唇の形も良いし幅は狭いけど二重。前から思ってたけど磨けば光る原石なの、由麻ちゃんは。もし今後吉春のことで文句言われるようになったとしても、努力次第で他の女を黙らせられる」

「リコ、一方的に話進めすぎだよ」


 茜がリコを嗜める。

 しかしそこで由麻はふと、宇佐との関係を噂された時のことを思い出した。


――……『ぱっとしないタイプだよね~』


 由麻の見た目が地味でなければ、あんな風に言われることもなかったかもしれない。


「……私……磨けるなら、磨きたい」


 驚いた顔をしたのは茜だった。中等部の頃、茜がメイク動画にハマって必死に見ている横で、由麻は本を読むばかりだった。茜からしたら、見た目を飾ることに興味のなかった由麻が興味を持ち始めたことは衝撃だろう。

 リコは由麻の返事に、満足げにうんうんと大きく頷いた。心配そうに聞いてきたのは茜だ。


「……由麻、大丈夫? 無理してない? ほんとにやりたい?」

「やりたい。周りにどうこう言われそうだからってよりは……自信を持ちたいっていうか、堂々としていられるようになりたいんだ」


 長瀬の話をされているのに、頭に浮かんでいるのは宇佐だった。

 宇佐の彼女である香夜の見た目は完璧だ。私服がお洒落で化粧も上手で、すれ違った時良い香りがする。可愛くなる努力をしている女性だと一目で分かる。張り合うわけではない。というか、彼女に張り合える土台はない。

 けれど、宇佐の友達として隣にいて、引け目を感じないくらいの努力はしたいと思った。



 :


 その日の夜、リコと茜に薦められて買った化粧品を勉強机に並べてみた。どれも可愛らしいパッケージで、キラキラして見える。何となく化粧品は高いものだと思っていたが、安く済ませようと思えば手頃なものはいくらでもあるらしい。試しに比較的安価なものを選んでもらった。

 貯めていたバイト代をようやく有効活用することができ満足だ。使い方は次の日曜日にリコの家に行って教えてもらうことになった。予習としてリコから送られてきた美容系YouTuberのスクールメイクの動画を観ているうちに、夜が明けていた。


 朝方に少し寝たが、その日の授業は眠たくて仕方がなかった。午後からは文化祭の準備もあるというのに何をしているのだろう、と自分の無計画さを恥ずかしく思う。

 何とか居眠りせずに午前中を過ごし、五時間目からは文化祭準備が始まった。文化祭の日が近付いてくると、午後の授業も準備に当てられる。教室の外には忙しなく走り回る生徒たちと、「廊下走るなー」と注意する先生たちがいた。

 今日から外に飾りを付ける許可が出たので、校門に装飾を設置しに行った。『桜ヶ丘大付属文化祭』と大きく書かれた装飾は、由麻が毎日学校に残って用意したものだ。何だか誇らしかった。


「いい感じじゃない!? なんかいよいよもうすぐ文化祭って感じ!」


 今日は茜が手伝いに来てくれた。彼女は由麻以上に、飾られた校門を見てはしゃいでいる。


「垂れ幕も用意しなきゃいけないんだよね?」

「うん。でも、垂れ幕は前日でもいいかなって思ってて」


 話しながら校舎へ向かって歩いていると、昇降口で掃除をしている宇佐を見かけた。茜も宇佐の存在に気付き、すぐに宇佐に駆け寄っていった。


「宇佐くん、おひさ!」

「ああ、久しぶり」


 宇佐は茜に淡々と返し、ゆっくりと由麻に視線を向ける。由麻は思わず目をそらした。

 本物の友達になれるように頑張ると宣言してからまだ日が浅い。どんな態度を取ればいいのかたまに分からなくなる。


「長瀬から告白されたでしょ」


 知られて困ることではないのに、宇佐の言葉にぎくりとした。いつの間にかそんなことまで把握済みらしい。さすが、ラプラスの悪魔にも似た力を持つ宇佐だ。


「いいんじゃない。付き合えば」


 宇佐の突き放すような言い方にチクリと胸が痛む。宇佐はきっと、まだ由麻に恋心が残っていることを分かっていて、期待を持たせないためにこうして突き放してくれているのだろう。分かっていても、その優しさが痛い。


(……早く諦めないと)


 宇佐の予測によれば、未来の由麻はきちんと宇佐への恋心を捨てられている。希望はある、ちゃんとできる、と自分に言い聞かせた。


「そうだね。長瀬さんと付き合うのもいいかも」


 宇佐を安心させるために、思ってもいないことを言った。

 すると宇佐が目を見開く。まるで本気で驚いているような、初めて見た表情だった。じっと凝視してくる宇佐を不思議に思いながら見つめ返していると、ヒールの足音がこちらに近付いてくる。

 横の茜が先に振り返った。そこに居たのは、――宇佐の彼女である、香夜だ。

 今日も圧倒的な美貌である。彼女の美しさは一瞬にして周囲の視線を集め、昇降口にいる生徒たちがざわめいた。


「悠理、まだ終わらないの? 特進は文化祭の準備ないくせに長引きすぎじゃない?」


 こんなに近くではっきりと香夜の声を聞いたのは初めてだ。声まで可愛らしい。

 宇佐が溜め息を吐いた。


「俺の方から迎えに行くって言ったでしょ。高等部の校舎来たら目立つよ」

「悠理が遅いんだもん。ていうか、その子たち、誰?」


 宇佐を見ていた香夜が由麻と茜を指さした。その爪には、秋らしい薄茶色のネイルが施されている。

 彼女という立場の力は凄いなと思った。簡単に、宇佐のことを下の名前で呼んでしまうのだから。


「友達だよ」

「……ふーん。女の子の友達なんていたんだ。この子たちと喋ってたから遅れたの?」


 香夜が、刺すような冷たい視線を向けてくる。由麻はライオンに睨まれた猫のような気持ちになって身をすくめた。

 香夜はそこでふと気付いたように言う。


「こっちの子、前に悠理が乗ってた車にいた子でしょ」


 あの夜は暗かったのに、しっかり由麻の顔を覚えていたらしい。

 香夜は由麻にずいっと近付き、少し背中を曲げて由麻の顔を覗き込んだ。元々身長が高いのに加えて、ヒールも履いている香夜の威圧感は相当なものだ。

 香夜はしばらく由麻を見つめた後、ふっとその口元に弧を描く。


「良かった。わたしよりブスで」


 空気が凍った。硬直する由麻の代わりに、隣の茜が「は?」とどすの利いた声を出す。


「――香夜。怯えてる」


 宇佐が香夜の手を引っ張って由麻から引き離した。


「香夜だって大学祭の準備があるんじゃないの。今年も香夜の出場望んでる学生は多いよ」

「ミスコン? 出ないよ。どうせわたしが一位だから。結果が見えてるものは面白くない。悠理も分かるでしょ」


 綺麗に巻かれた髪をいじりながら当然のように言った香夜は、はぁと面倒そうに溜め息を吐いて踵を返す。


「とにかく、さっさとしてよね。早く来ないと先帰るから」


 香夜がすらりと長い足を動かして校舎から離れていく。由麻はその後ろ姿をぼうっと見つめ続けることしかできなかった。


「宇佐くん、あんな女何で好きなの!?」


 香夜がいなくなった途端、茜が凄い勢いで宇佐に噛み付いた。

 どんなに不適切な発言でも感情に任せて吐き出してしまう茜の手を引いて止めようとするが遅かった。


「あいつ、由麻のことブスって言った! あいつこそ性格ブスだよ!」

「自分の価値は顔だけだと思ってるから、ああやってそこに関しては強気でいないと自分を保っていられない人なんだ。あまり悪く言わないであげて」


 宇佐が辛そうな顔をするので、茜が黙る。由麻たちの間に気まずい空気が流れた。

 しばらくして、茜がやはり納得できない様子で口を開く。


「やっぱり、何で? とは思っちゃうよ。宇佐くん、酷いこと沢山されてるって噂もあるし。宇佐くんは、どうしてあんな人に尽くすの?……その……浮気とかも、されてるのに」

「恋ってそういうものでしょ? 相手から何をされても好きで居続けるのが恋だよ」


 当然のように宇佐が言う。

 その時、殴られたと言って悲しそうに笑っていた宇佐の顔を思い出した。由麻は、ここでこれを肯定してはいけない気がした。


「違うよ。まず自分があって、その次に恋がある」


 宇佐と香夜の仲を邪魔したいという意図はない。ただ、今後も香夜と付き合っていくであろう宇佐に、その認識だけは改めてほしかった。


「自分のために変わろうとしてくれない人に尽くしちゃだめだよ」


 その言葉に、宇佐がはっとしたような表情をした。由麻もはっとして俯く。偉そうなことを言ってしまったかもしれない。


「……ごめん。こういうの、それぞれの形があるんだから口出すべきじゃなかったね」


 謝罪して、靴を履き替えて教室に戻ろうとした――その時、宇佐が由麻の手首を掴んで止めた。振り返ると、宇佐はちょっと複雑そうに苦笑している。


「……俺、今分かったかも。何で由麻だけ予測できなかったのか」


 宇佐に触れられると、どうしようもなく胸が高鳴る。由麻は思わず宇佐の手を振り解いた。


「ごめん、急いでるから」


 早口で言って走り去る。あれ以上宇佐の顔を間近で見ていたら、恋心がぶり返しそうだった。



 その後茜と別れ、一人で廊下を飾っていると、五組の教室から長瀬が出てきた。「お。由麻ちゃんじゃん」なんて軽い口調で言って近付いてくるものだから、何だか身構えてしまう。あの告白以降、直接は話していない。


「お疲れ。手伝ってやろっか?」

「……いいよ」

「由麻ちゃんの身長じゃ高いところには付けられないっしょ」


 断っているのに、長瀬は由麻の手からペーパーフラワーを奪っていとも簡単に壁に付けていく。これから足台を持ってこようとしていたところだったので正直助かる。


「なー由麻ちゃん」


 長瀬が花をくっつけながら由麻の方を見ずに話しかけてきた。


「文化祭、俺と一緒に回ろ」

「私、実行委員だから当日も何かしら役割割り振られると思う。忙しくてあんまり回れないよ」

「俺も実行委員だし。その気になったら同じ仕事引き受けて一緒に動けんじゃね?」


 長瀬と二人で回っていたら嫌でも全校生徒、主に女子から注目されるだろう。少し抵抗がある。


「それが無理だったら、後夜祭だけでも一緒にいよ。俺、後夜祭のキャンプファイヤー、由麻ちゃんと見たいんだけど」

「…………」


 カフェで茜たちが言っていたことを思い出す。


――……『後夜祭のキャンプファイヤー中に告白したら必ず成就するって伝説があるんだよ』


 長瀬がそんな伝説を信じているかは分からない。けれど、長瀬が由麻を誘ってくるのには特別な意味があるように感じられて気まずくなった。


「あと俺モテるからさ」

「急に自慢?」

「自慢じゃねぇよ。事実、最近めっちゃ女子に後夜祭誘われんだよな。どう言って断っていいか分かんねぇから、好きな子と過ごすってもう言っちゃった」

「好きな子って……よく恥ずかしげもなく言えるね」

「だめ?」

「だめっていうか……私、そこまで面白い人間じゃないし。一緒にいても多分長瀬さんはつまんないよ」

「その〝長瀬さん〟ってのやめねぇ?」


 長瀬が突然手を止めて、ずいっと由麻に顔を近付けた。


「吉春って呼んでよ」


 その表情が高校生にしては大人っぽく、一瞬ドキッとした。


「私、基本人のこと下の名前で呼ばないから」

「茜のことは茜って呼んでんじゃん」

「…………」


 それもそうか、と納得させられてしまう。

 長瀬グループのリコやその他のギャルたちも長瀬のことは吉春と呼んでいる。それを考慮すると、そう不自然なことではないのかもしれない。


「じゃあ……吉春で」


 ぼそりと呟くと、吉春はにやりと笑った。



 それから、吉春は校内でも堂々と頻繁に由麻に声をかけるようになった。

 同時に学校内では吉春に好きな人がいるという噂が広まり、その好きな人が由麻なのではないかという疑惑も広がっていった。



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