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@aoidefuta
プロローグ
20X8年4月X日都内某所―時刻は22時を回ったところだ。
高層ビルの建ち並ぶオフィス街。
なかでも一際目立つ地上120メートルの高層ビルがベンチャー企業――カミシログループの本社だ。
もともとは機械製品やそのデザインを販売していた企業だったが、先進各国の後を追うようにして日本国内で初のAIを搭載した人型ロボットの研究開発を始め、ここ数年の間に一躍名前が知れ渡ることとなった。
最上階には街全体が一望できるガラス張りの社長室があり、社長の腰掛ける天然の木材を使用した高級なデスクがある。社長の趣味で室内にはカッシーナの絨毯が敷かれており、秘書の小気味よいヒールの音もここでは響かない。
社長室を含む最上階のフロアは夜間ということもあり心地よい静寂と落ち着いた空気で静まり返っている――はずだった。
――ヘキサ――
ぴとりぴとりと液体の滴る音ですら聞えてくるほどに先程までの喧騒が嘘のようだ。
社長室に敷かれたカッシーナの絨毯が血液に染まっていく。
月明かりがわずかに届く薄明りの中で、長い髪をリボンで一つ結びにした少女――
(この辺破片ばっかりじゃん……ちょっとやりすぎたかな)
青色のパーカーに紺のプリーツスカート姿。膝まで届く黒のロングブーツを履き、白いマフラーを身にまとっている。
凄惨な戦場にも将来を有望視されているベンチャー企業の社長室にも、その容姿は不釣り合いだ。何よりも140センチ半ばくらいの華奢な体躯が、より異質さを醸し出している。
少し前まで社長室を照らしていた蛍光灯は粉々に砕け、今となってはトラップのように床に散らばっている。六花は破片を踏まないように注意しながら歩き、生存者を探す。見つけ次第とどめを刺す必要があるためだ。
床には首や左胸、脇、側頭部といった急所から血を流している人間が7~8人転がっている。皆、激しい出血ではない。六花は人体のどこを刺せば最小限の出血で死に至らしめることが出来るのか教え込まれている。
この部屋の中だけでもこのあり様だ。廊下や他の部屋も入れると十数人……いや数十人という単位で倒れているだろう。
手に持った特注のナイフをふり、血糊を飛ばしてから服に返り血の類がついていないことを確認する。ふぅと一息つく。
その声に反応する者がいた。
――社長室のデスクにもたれかかる一人の男、最後の生存者に視線を向ける。32歳にして政治家を始めとする様々な人脈を基に一から起業し、わずか数年で上場企業にまで成長を遂げたカミシログループの代表、
胸にナイフで刺された跡が見える。血が滲み上等なスーツがジワジワと朱殷に染まっていく。
「な、何で……俺がこんな目に……」
神代は致命傷を負い、苦悶の表情を浮かべながら息も絶え絶えに呻く。
「うるさい!この、裏切り者……!」
そう叫んで六花はナイフを鼻先目掛けて放つ。
ナイフは風を切って一直線に鼻先にまるで吸い込まれるかのように飛来し、重い音を立てて突き刺さった。男は力なく崩れ落ちる。六花はあまりの怒りに肩で息をしていた。
(だめだ……少し落ち着かないと……)
深呼吸をして、何とか心を落ち着かせようとする。しかし、血の匂いや、割れた蛍光灯から漂う焦げたような匂いが肺いっぱいに広がり、気分が悪くなっただけだった。
〈ヘキサ。状況は?〉
「――っ」
耳につけたイヤホンから不意に声がした。チームメンバーのリコリスからだ。平静を装い、息を整えてから返事をする。
「こちらヘキサ。ターゲットを始末したところです。これから脱出します。そちらは?」
六花の声は既に私怨が混じった声色ではなく、十代半ばの少女のものに戻っている。
ヘキサとは組織内での六花のコードネームだ。作戦行動中は皆コードネームで呼び合うことにしている。先程の「リコリス」も通信先にいるハッカーである彼女のコードネームだ。
〈ん。わかった。他の部隊もあらかた終了したみたいだし、私たちも帰ろう。E地点へ向かって。迎えにラーレとオクタが行くから〉
「了解しました」
〈あぁ、それから――〉
「どうしました?」
〈あんまり、熱くなりすぎないようにね〉
指摘され、恥ずかしさのあまり顔が熱くなる。
(聞かれてた……!)
「……はい」
通信を終了し窓から外を見下ろす。美しいネオンの夜景の中に赤いランプの列が見えた。
(もう来たか。最近は警察も動きが速くなってきた)
六花はスカートのポケットからスマホを取り出す。リコリスから伝えられたルートを投げたナイフを回収しながらスマホで確認する。
警察の動きが迅速になるにつれ、近頃は逃走ルートも複雑になってきた。
今回六花がここに派遣されたのも空を使った逃走ルートを使用できる者が六花以外にいなかったためだ。
ルートを再確認したところで、スマホをポケットにしまって換気用の小窓に向かう。無駄にでかい大窓と比べてこの小窓は薄く割れやすいらしい。
ブーツの先に力を込めて蹴り飛ばすと、情報通り、容易く割れた。
壊れた窓枠から強風が吹き込んでくる。その窓枠を蹴って六花は何の躊躇いもなしに空へ跳躍した。
風を切って凄まじい速度で落下する。数瞬ののち、向かいの建物のパイプ部分目掛けて腰のベルトからワイヤーを放つ。バサバサとマフラーをなびかせ、大通りを挟んだ向かいのビルの屋上に飛び移る。
着地と同時に前転して受け身を取り、そのままの勢いで駆け出す。
更にその先のビルに跳躍。眼下のけたたましく鳴り響くサイレンとパトカーのランプを尻目に、六花は合流地点を目指して跳んだ。
この街は夜でもネオンで照らされている。良く言えばカラフル。悪く言えばうるさい。
多くの人々が眠りについても、この街から明かりが消えることはない。
――AIを搭載した人型ロボットの存在、流通が話題になってはや数年。すでに公共交通機関は試験的にAIの自動操縦を導入し始めた。
人々は不安を微かに抱えながらもAIを歓迎し、人型ロボットの登場を心待ちにしている。多くの人間の夢や希望の光が、この街を照らしている。
しかし、AIを搭載したロボットなんてものが、夢や希望のつまったものではないことを六花たちは知っている。
人知れず闇に葬られてきたAI絡みの事故や事件を知っている。
この街は、一見綺麗に見えるかもしれないが、いつも釣り餌のミミズのように誰かしらの思惑が醜く絡み合い蠢いている……
カミシログループの本社ビルから数キロ離れた狭い高架下。
六花は階段を駆け足で降り、周囲を見回す。少し離れた自動販売機の隣に見慣れた黒塗りのバンを見つけて近寄る。バンに背を向け周囲を警戒しながら裏手でコンコンと助手席側、後部座席のドアをたたくとスライドドアが開いた。
中から無精髭の男が顔を出した。
「思ったよりも、早かった。腕を上げたな」
無精髭の男――オクタがからかうように笑う。
「……ありがとうございます。師匠」
六花はどんな顔をすればいいのか分からず俯きながら答え、車に乗り込んだ。
彼の言葉に皮肉めいたものは感じない。だが、ここで待っていたということは、六花よりも早く仕事を終わらせていることが明白だった。
六花の師匠。コードネームはオクタ。
師匠といっても年齢はおそらく三十代後半。組織によって六花の教育係に任命された人物である。六花は主にナイフを用いた暗殺、戦闘のノウハウを教え込まれた。いつもだらしない服装をしていてシャツは着崩しているし、髪の毛もボサボサ。身だしなみくらいはある程度しっかりして欲しいと六花は思っている。
オクタの隣しか空いていないので仕方なくそこに座り、勢いよく車のドアを閉める。彼も先ほどまで仕事をしていたはずなのに、すでにタバコの臭いがする。
(タバコはやめて欲しいっていつも言ってるのに……うっ。窓開けたい)
六花がドアを閉めたのを確認するなり運転席のラーレが車を走らせはじめた。
ラーレはこのチームの狙撃手だ。
おそらく二十代半ば。普段はバイクで行動することが多いが、今回は六花やオクタの回収役としてバンに乗ってきている。少したれ目の優男。派手好き、女好きの彼を六花はあまり好きになれない。チャラいのだ。あくまで任務遂行のため組織に編成されたチームメンバーの一人として接している。
「おい。……おい起きろ。六花ついたぞ。降りろって」
六花は体を揺さぶられる感覚で目を覚ました。夜遅くの仕事だったからか車で揺られているうちに六花は眠ってしまっていた。
寝ている間に、アジトについたらしい。ふぁっという欠伸をしながら目をこすり、師匠の声がするほうを向く。
「――っ。あっ、え?」
目を開けると思ってたよりも近いところにオクタの顔があった。頬が熱くなるのを感じ、思わず情けない声を漏らす。
「あぅ……はい。わかりました……」
オクタを軽く押しのけて荷物を持ってバンを降りる。あとから降りてきたオクタとラーレは何が何だか分からないと言って様子で首を傾げた。
「六花のやつどうしたんだ?もしかしてタバコのにおいか?」
「さぁ?」
六花がシャワーを済ませると、さっきまでの血生臭さが幾分か消え、気分が少し軽くなった。
六花たちのアジトには、シャワーが一つしかない。今日は六花が先に使えるようにしてもらっていた。
バスタオルを首にかけて部屋に戻ると、ソファーにだらしなく寝ているオクタがいた。無防備に眠っている。
(さっきは急に話しかけられて驚いただけ。大丈夫……)
ポットでお湯を沸かしながらテレビをつけ、お気に入りのクイズ番組にチャンネルを合わせる。
(良かった!まだやってた)
昔やっていたクイズ番組の再放送。六花はクイズ番組を見ることが趣味で、今夜再放送があることを知ってから数日間楽しみにしていた。
時間的に半分くらい進んでいるらしかった。沸いたお湯でホットココアを作る。
オクタの寝ているソファーの向かいにあるもう一つのソファーにすわってカップに口をつける。
(やっぱりシャワーの後のココアはおいしい)
自然と顔がほころぶ。テレビに視線を向けると視界の端でリビングにあるドアの一つが開いたのが見えた。
「おいしそうだね。六花ちゃん」
ドアの奥から出てきたリコリスが話しかけてきた。
「うん、おいしいよ。秋花さんも飲む?お湯余ってるよ」
チームの中で六花が本名を知っているのは彼女のものだけだ。チームでは主に情報支援を担当している。ディフォルメされた人のグラフィックを持つサポートAI「maple」を自作し、家族のようにかわいがっている。AIは人間の補助をするためのもの。人間が制御し活用するものだと言う組織の考えからは外れていないため特例として認められているらしい。
クイズ番組をひととおり見終えてから、自室に戻ろうとソファーを立つと、横で一緒にテレビを見ていたリコリスが口を開いた。
「明日の朝、私の部屋まで来てくれない?」
わかりましたと返事をしてから自分の部屋のドアを開ける。
(おやすみなさい)
六花は誰にともなくつぶやき、ベッドに倒れこんだ。
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