治水工事の視察に向かう
次の日、私はベッドに沈み込みながら、体が妙に動かないことに気付いた。
なんだろう、昨日はたくさん食べたから、体が重くなったとか……でも夜は晩酌だけで終わらせたし。なんとか寝返りを打とうとして、腰が拘束されていることに気付く。
……ジル様ときたら、私を抱き込んですやすやと眠っていたのだ。抱き枕ですか、私は。
それにしても、日が結構昇ってきているし、どれだけ眠ったんだろう。私はどうにか身じろぎしてジル様の腕を抜け出すと、彼の寝顔をまじまじと眺めた。
まだ一緒のベッドで眠っているだけだけれど。いずれはきちんと夫婦になるのよね。
普段温厚に目を細めて笑う目は閉じられて、意外と長い睫毛に縁取られているのがわかる。寝間着姿のジル様は普段着痩せしてしまってわからないだけで、存外腕も太いし筋肉も乗っている……畑仕事を手伝っていたらそうなるのかも。
昨日の今日だからもう少し寝かせてあげたいのが半分、私はジル様の予定を把握してないけれど、そろそろ起こしたほうがいいんじゃないかが半分。
そう困っていたら。寝室の扉が大きく叩かれた。
「旦那様、おはようございます。そろそろ視察に向かわなければ今日一日で帰ってこられなくなります故、早く起きてください。昨日の今日で奥様の足腰が立たないようでしたら、こちらで介抱しますから」
「なっ……!」
いつものようにエリゼさんのからかい口調で、ひどいこと言われている。
私は半泣きになりながら「足腰立たなくなってません!!」と悲鳴を上げたら、ようやくベッドでピクリとジル様が肩を跳ねさせた。
「んー……んん?」
私とジル様が笑う。ジル様が一瞬私と目を合わせたあと、フニャリと笑った。
「おはようございます」
「……っ」
可愛い。旦那様をそのように思うのはよろしくないかもしれないけれど。私はおずおずとエリゼさんに言った。
「もう少しこのままでは、いけませんか?」
「ハハハハハ、奥様。あまり流されませんように。旦那様、母性に付け込む悪癖がありますので、振り回されませんように」
「それエリゼさんの経験則じゃないですよね!?」
「今すぐ乗り込んで旦那様の前で丸裸にされたくなければ、さっさと寝室から出てください。こちらで服の用意がありますので」
私は仕方なくまだ寝ぼけているジル様の頬に軽くキスを落とすと「それでは着替えて参りますので」とひと言添えてから、いそいそとベッドから降りて寝室を出て行った。寝室は中で私が最初に寝泊まりしていた私室とジル様の執務室と繋がっている。
私が私室に行けば、さっさとエリゼさんがドレスに着付けてくれた。
「本当に一緒に寝ただけですか、がっかりです」
「……あまりジル様をからかわないでくださいね」
「からかっていませんよ。昨晩はお楽しみでしたねとねぎらいたいだけで」
エリゼさん、この人もとことん謎なんだよな。ジル様に恋愛意識はないようだけれど、いちいちからかい倒すから。
それはそうとと尋ねる。
「今回、ジル様は視察に行くとのことですけど、どちらに?」
「治水工事の視察ですね」
「治水工事……ですか」
「はい。今は最新式の風車の試運転をしておりましてね。これで水やりの負担を軽減できないか検証実験中なんですよ。参加してくださった村にも謝礼を支払わなければなりませんので」
「なるほど……」
畑の水やりはとにかく重労働だ。川の水を汲んで畑に水をやるというのが一般的ではあるけれど、大きな畑でいちから水を汲んできて畑に撒くというのは実用的じゃない。だから各地で川の水を畑に引くとか、水を自動で撒くシステムをつくるとかの研究がされている訳で。
水車はたしかに実用的なのかもしれない。
「私も見に行っていいですか?」
「前々から思っていましたけど、奥様は視察が好きですね? 治水工事が面白いかどうかは、私にもわかりかねますが」
「私も結構長いこと神殿にいましたから、外のことを知るのが嬉しいんだと思います」
なによりも、訳がわからない呪いの風評被害を突破する方法が知りたいのだから、風評被害を受けているかもしれない現地の人の話だってできるだけ多く聞きたい。
きっと治水工事のとき、ジル様もそれらを聞くのだろうから。
「という訳で、行きますね」
「私が止めても行くんでしょうし、旦那様にもひと声かけてきますよ」
「はいっ!」
とうとう諦めたエリザさんにお礼を言ってから、私は食卓へと向かっていった。
正式に夫婦になったばかりとはいえど、やることがまだまだあるのは楽しい。
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