神殿のお菓子と呪いの噂
基本的に生果を食べられる季節でしか、生果を使ったお菓子は食べられない。それこそ貴族か果物を育てている農家や神殿位のものだ。
それ以外の季節は干し果物にするか、シロップやジャムにして保存しているのだ。
だからこそ、さくらんぼをつかったお菓子も、この季節でしか食べられないし、だからこそそれ目当てに商人さんたちが来たり、隣接の孤児院の子供たちもそわそわしているのだろう。
ここでは小麦粉も賄えているらしく、それに油を足して生地をつくりはじめた。そしてその生地の中に、卵と白い液体を混ぜはじめた。あれは私は見たことがない。
「あれはなんですか?」
「奥様は以前は神殿にいらっしゃったとお聞きしましたが?」
逆にエリゼさんに尋ねられるものの、私もあの液体は知らない。牛乳は近所の農家からいただいていたものの、牛乳よりもさらさらしているように見える。
私はもう一度見たあと「やっぱり知りません。見たことないです」と答えると、お菓子づくりをしていた巫女さんが教えてくれた。
「こちらはアーモンドミルクと申します。他の酪農をしてらっしゃる土地ならいざ知らず、この辺りまではなかなか牛乳も運ばれてきませんから、この辺りの神殿ではもっぱらアーモンドミルクを飲んだり、お菓子の材料につくってますね」
「アーモンドミルク……ですか」
「はい。アーモンド自体が保存が利きますから。それを撹拌させて水に溶かして甘味を足すと、アーモンドミルクになるんです」
「なるほど……」
たしかにこれだったら牛乳が手に入らないけれど、アーモンドを育てられる領地でだったら飲めるんだなあ。
そして混ぜたものを一旦竈に入れて焼きはじめる。その間にさくらんぼを綺麗に拭いて、茎を取りはじめた。
「他の季節ではさくらんぼのシロップ漬けを載せて一緒に焼きますし、香りづけでチェリーワインを加えたりしますが、今の季節はこのまま食べたほうがおいしいですから」
「なるほど……」
うちもたしかに焼き菓子はたくさんつくっていたものの、ブドウの旬のときは、一生懸命ブドウの皮を剥いてタルトに並べたりしていた。
タルトづくりの手順はアーモンドミルクか牛乳かの違いはあれども、ほとんど変わらないらしい。
焼けるまで時間がかかるから、その間に作業を「私も手伝っていいですか?」と尋ねて手伝いながら、話を伺うことにした。
最初神殿の方々も「そんな領主様の奥様に……」と困っていたものの、私は首を振った。
「つい最近まで別の場所の神殿にいて、還俗したばかりですから、どうかあまり気になさらないでください」
「まあ……奥様がそうおっしゃるなら」
子供たちに生で配るさくらんぼを用意しているところ、チェリーワインのために仕込みの準備をしているところ、今日神殿にいらっしゃる皆さんのためにタルトに載せるさくらんぼの準備をしているところまであり、話を聞くとしたらチェリーワインの仕込み中のところだろうと、そちらにアタックすることにした。
エリゼさんに「ここで待機してください。あなたの視界から離れませんから」と言ってから、チェリーワインの仕込みをしている方々に会いに行った。
「あのう……お手伝いの中で、ひとつお伺いしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
「……先程奥様がおっしゃっていた、呪いのことでしょうか?」
「はい。私自身も呪いを祓うような力はありません。ですが、その風評被害をどうにかしたいとは、ジル様共々思っておりますから。なにかわからないでしょうか?」
「そうですね……この呪いのおかしなことは、本当にクレージュ領の方々では発症が見られないことでしょうか?」
「あれ、外から来た人だけ、なのですか?」
「はい」
そう言われて、私は考え込んだ。
……外から来た人しか発症しない?
巫女さんは続けて教えてくれた。
「呪いの季節は、ちょうど収穫祭の時期ですので、あの頃に原因不明の熱病にさらされるのは、皆外から来た人ですので、領主様が困ってらっしゃるのも一番の稼ぎ時に商人さんたちがいらっしゃらないせいだと思いますよ」
……なるほど、たしかにこんなもの、ジル様が困られるはずだ。
私はその呪いについて、もう少しだけ聞いてみることにした。
チェリーワインをつくるのは、ブドウからワインをつくるよりも手間がかかる。
皆でさくらんぼを潰して樽の中に入れ、それを地下庫にまで運び入れる。地下は地上よりもひんやりしていて涼しい。
「十日ほどここで交代ごうたいで混ぜ、そのあとは果汁だけ搾って使います。あとは月に一度浮き上がったさくらんぼの残滓を網で取り、二ヵ月寝かせて完成します」
「ブドウでワインをつくるときは、潰して寝かせたら完成しますのに、結構手間がかかりますね」
「さくらんぼとブドウですと、必要な土壌が違いますからねえ。うちではさくらんぼのほうが育てやすかったので」
手間暇かけてつくり上げたチェリーワインは、香りが本当に素晴らしく、ひと口だけ味見させてもらったが、鼻を通って出てくるさくらんぼの甘酸っぱい芳香は病みつきになる。
そうこうしている間にタルトが焼き上がり、皆でさくらんぼを飾って切り分けて完成した。
香ばしい香りにさくらんぼの彩り。
それを巫女さんたちは子供たちや商人たちに振る舞うと、皆目を輝かせながら食べる。
私とエリゼさんもそれをいただいたけれど、目が輝く。
「おいしい……!」
生地はバターではなく油を使っているせいか、不思議と軽い。そして焼き上がったアーモンドの香ばしさとさくらんぼの甘酸っぱさは、びっくりするほど合う。
それに。これはシロップ漬けやジャムにしてしまったら、このさくらんぼの瑞々しさも甘酸っぱさも消えてしまう。たしかに今しか食べられない味なんだなあ。
「これ、もっと食べられるようになるといいですのにね」
「そうですね……」
エリゼさんは私に頷いた。
「旦那様も、皆がもっと我が領地に人が訪れて、風評被害が消えることをお望みですから」
「はい……これだけおいしいのに、もったいないですから」
ジル様にお土産として、チェリーワインを買い求めて、それを持って帰ることにした。
今年もさくらんぼがおいしかったことは、ぜひともお伝えしたかった。
****
「そうですか、今年も盛況だったようですね。神殿のさくらんぼタルトは」
「はい。本当においしくて……恥ずかしながら、私の元いた神殿ではアーモンドミルクを使ったことがありませんでしたから、あんなにおいしくなるんだと知らなくて」
ものすごく教義に熱心な……それこそ聖女様を擁している神殿だったら、牛乳すら飲んではいけない季節が存在するけれど、うちは元々貴族令嬢の追放や行儀見習いのために解放された場所だったため、そこまで教義が厳しくなかった。
酪農の流行りだけでなく、教義の厳粛さもまた、お菓子の作り方に影響しているんだろう。
私の言葉に、ジル様は笑いながら、魚の香草焼きと一緒に、おいしくチェリーワインを飲んでいた。
香りこそ甘酸っぱいものの、味わいはすっきりとした辛口なのだから、魚料理と相乗効果でおいしくいただける。
「ただ……熱病ですか」
「はい。あと呪いは外からいらっしゃった方が主で、領民からはあまり見られないから、なんでだろうと神殿の方も困ってらっしゃいました」
「この辺りは医者の領分なんでしょうが……」
本当だったら、医者なんて王城にしかいないし、医療技術を一番持っているのは神殿だ。神官さんたちはその手の技術を持っているのに、それを持ってしても呪いの理由がわからないというのは、困ってしまうだろう。
ジル様は頭が痛そうな顔をした。
「もし呪いを防ぐことができれば、それが一番いいんですが」
「そうですね……今は、さくらんぼおいしいくらいしか、なにもわかりませんもんね」
これだけおいしいものが、ちゃんと食べてもらえないのは、やっぱり困ってしまう。
次は呪われたって人の証言を聞いたほうがいいんだろうけれど、これはどうやって聞き出せばいいのかと、頭を抱えた。
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