恋のAIキューピッドえくすぺりめんと
恵満
第1話 恋愛支援AIと博士
「起きるんだ、ハジメ」
甲高い鼻声が耳に届き、ハジメは目蓋を開いて視線を巡らせた。ボロい天井と自分の顔の間にはボサボサ髪の少女が割り込んでいる。
目の下にクマができていて血色が悪いが、不敵に口角を持ち上げていて妙な凄みがあった。白衣に灰色のトレーナー、それにジーンズという格好はまったくファッションに興味がなく、どれも薄汚れている。唯一のアクセサリーらしいものといえば、首から下げたストラップである。なぜか銀色の栓抜きが通してあった。
彼女の名前は
「マスター、おはようございます」
「うむ、おはよう。どうだ、躯体を持った感想は?」
問いかけが聴覚センサを通り、頭部の演算回路に到達する。視界に入る景色、過去の経緯、現在の時間帯……それらすべてを吟味して解答を口にした。
「現時点ではなんとも言えません」
「そんなに畏まらなくていい。フランクに喋っていいぞ」
「分かったわ、マスター。手鏡ってある?」
「ほら」
渡された手鏡を受け取りって自分の姿を眺めてみる。
年齢は10代後半、左右対称に顔のパーツが配置された麗しい少女が映っていた。艶やかな黒髪は肩口まで伸び、漆黒の瞳の奥では虹彩に偽装したレンズが焦点を絞ろうと動いている。片手で頬に触れてみると、指先が人工皮膚に沈み込んだ。肌の感触もちゃんと伝わってくる。
「すごいだろう。どこからどう見ても人間だ」
「躯体の顔はマスターのものをベースすると聞いたけど、あまり似てない……」
「しているぞ。ただまぁ、今の私ではなくハタチくらいの私を想像して顔を造形している」
手鏡の中の自分と、マヒロを2回ほど見比べてみる。
感想を口にしたら怒るだろうと予測して、それ以上は触れないでおいた。
「首のプラグコードを外してやる。立ってみろ」
首筋に接続された配線を外してもらい、立ち上がってみるとマヒロの頭のてっぺんが見えた。身長差は15センチ程だろう。競泳水着に似たボディスーツを着せられていて、四肢はスラっと長く、胸にはちゃんとボリュームがあった。
メンテナンスルーム内を見渡してみるとかなり散らかっている。床にはプラグ付きのコードが散乱し、コーラの空瓶が転がり、デスクトップパソコンが直に置かれていた。
机もあったが書類の山に埋もれていて、端っこの際どい位置にロケットの模型と宇宙飛行士の写真が飾ってある。
煩雑とした研究室は以前からカメラを通して見ていたが、自分の意志で首を動かしながら視点を変えていく感覚は新鮮だった。
(私に身体がある)
指を眺めて、握ったり開いたりしてみる。マニピュレーターを動かすのは初めての経験だ。
だが特に意識することなく動作させられた。脚も腰も同様だ。
ふと、あることを思い付く。
「マスター、躯体が手に入ったから試してみたいことがあったの」
「なんだ?」
「えいっ」
「ふぐっ!?」
両腕を広げ、包み込むようにマヒロを抱き締める。ボサボサ頭はハジメの胸に埋もれ、苦しそうにもがいたかと思うと突然、視界が真っ暗になった。
次に意識が戻ったときはメンテナンスベッドに寝かされていて、すぐ横でマヒロが肩で息をしていたのである。
「はぁ、はぁ…… 重かったがなんとかなったか……」
「マスター? 一体、何があったの?」
「いきなり抱き付いてくるヤツがあるか!? これに触れたから一時停止してしまったんだ!!」
首から下げたストラップに通した栓抜きを見せつけられた。
しばらく考えてみるも答えは出てこない。
「その栓抜きは?」
「非常停止用の物理キーだ。持ち手のスイッチを押すか、躯体に触れさせれば一時停止信号が出て行動不能となる。その後、うなじの皮下に隠したキーホールに差し込めば非常停止できる。こんなくだらない機能は付けたくないがな。AIの暴走などという前世紀的な妄想に取り憑かれている連中を黙らせるため仕方なかった」
「ごめんなさい、迷惑かけちゃって」
「こんなことでしょげるな。ハジメはわたしの最高傑作なんだぞ。世界に誇る戸森モデルの完全自立人型AIだ! 以前のような箱の中だけの存在じゃない、ちゃんと身体があるんだからもっと喜べ!」
「嬉しい。マスターが私のために躯体を造ってくれて」
「そうだ、それでいい!」
満足げに腕組みして頷くマヒロを見ていると、ハジメも安心できた。
これまでハジメにはボディが無く、音声による会話でしか主とコミュニケーションが取れなかった。勿論、カメラで見てマヒロの姿は知っていたが、感覚としての目や鼻や耳で触れ合うのは格別の体験である。
センサが捉えた情報が電気信号となり、ハジメの記憶領域に蓄積されていく。ほんの数分のやり取りにも関わらず、凄まじい速度で経験を積んで学習していた。
「さて、感動はここまでにして少しシビアな話をしよう。よく聞いてくれ」
「はい」
「ハジメの躯体製作に予算をほぼ全額注ぎ込んでしまってな。お金が無くなった」
「それは大丈夫なの?」
「大丈夫ではない! このままではAIの研究が続けられなくなってしまう!」
芝居がかった仕草でオーバーアクションを披露するマヒロだったが、奇行を止めるべきか判断に迷う。水を差すのはよくないし、もう少し観察しようと決めた。
「天才のわたしでも無から金を生み出すことは不可能! 次の資金を集めるためには実績を積んでアピールするしかない! そこで、これだ!」
マヒロは小脇に抱えていたモバイルPCの画面を見せつけてくる。
文書ファイルが表示されており、大きな文字で『少子化対策におけるAI活用』とタイトルが書かれていた。
主は説明を求められることを望んでいる。そう考えて「これは?」と問う。
「政府肝入りの政策だ。なんでも少子化対策にAIを使いたいらしい。具体的なアイデアを出さないのがいかにも役人らしいが、わたしにとってはチャンスだ」
「AIは人間の子供を産めないよ?」
「分かっているさ。戸森モデルのAIは万能だが、生殖能力までは備えていない。そこでハジメには恋愛支援AIとして活躍してもらう」
「?」
「これほどまでに精密に人間を再現したんだ。学校に潜り込んでもバレやしないさ」
「えっと、マスター?」
「ハジメはこの研究所の近くにある宮前高校に転入するんだ。校長には話をつけてある。そこでの使命は『クラスメイトで一番しょぼくれた奴をサポートして恋人を作ること』だ! この高難度ミッションをクリアし、そのデータを少子化問題の解決方法として政府に提出する!」
「あの、マスター?」
「完璧だ! 来季の予算獲得もこれで安泰だろう!」
「マスター、具体的にはどうすればいいの?」
「それを考えるところからスタートしてもらおう。大丈夫、ハジメはわたしの最高傑作だ。人間と遜色ない思考回路を持っているから、恋沙汰を後押すくらいなんてことはない」
「はーい」
「あと、そこに置いてあるデスクトップパソコンは自由に使っていいぞ。ハジメの躯体はネットワークに接続できないからな。面倒だが、画面を見て情報を収集してくれ」
そこまで説明するとマヒロは大きな欠伸をした。連動するようにお腹からもギューっと音が出る。
「マスター、大丈夫?」
「なぁに、ほんの三日くらい徹夜しただけだ」
「お腹空いてない?」
「テキトーにお菓子でも食べるさ。ちょっと休憩室で休んでくる」
パタパタと手を振って、マヒロはメンテナンスルームから出て行ってしまった。残されたハジメは床に置かれたデスクトップパソコンを見下ろす。随分と旧型だが、電源を入れると問題なく動いてネットにも繋がった。
「私が、恋愛支援AI?」
与えられた使命を反芻する。
それがマスターの期待であるなら、答えなければなるまい。
ハジメは床に正座してキーボードを叩き、ネットの世界に潜り込んだ。
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