第13話 ◆婚約破棄と繋がる裏社会◆
◆◆◆◆◆
ーーロメリア王国 王宮
「ふざけるなッ!! クソッ!!」
暴言と共にソファを蹴ったのは、ロメリア王国の第二王子“ユギト・エル・ロメリア”。
クレアを婚約破棄した男である。
「……“ユギト殿下”?」
苛立った様子のユギトに声をかけたのは、ソファに腰掛けていたアークリッド伯爵家の令嬢“ハンナ・ルイ・アークリッド”。
「ハンナ。すまない……。私は一刻も早くお前と婚約を済ませたいのだが、陛下も兄様も何もわかってくれん!!」
「……そぅ、なのですね」
「おそらく、“ヴェルファリス公爵家”からの圧力だろう……。まったく、あの魔女の末裔め……! どこまで陰湿な女なのだ」
「……結果として“クレア様”にはとても残酷な形となってしまいましたし、仕方がないのかもしれませんね……」
ハンナは身体を震わせ、怯えたような表情を浮かべた。ユギトは即座に駆け寄りハンナの肩を抱く。
「……今までハンナが受けて来た仕打ちを考えれば、あんなもの大した事ではない……」
「ユギト殿下……」
「安心しろ。私が必ず守ってみせる! お前のような淑女こそ、私の妻に相応しいのだ! それなのに……!!」
「……」
「陛下も兄様も、何もわかっていないのだ!! 皆があの魔女に騙されている! 本来であれば、即刻処刑すべきなのだ」
「わたくしは……、そんな事は……望んでおりませんよ……」
ハンナはポロポロと涙を流す。
それはクレアを思っての涙ではなく、怯えからくる涙のように映る。
グッ……
固く拳を握ったユギトはハンナの姿にギリッと歯軋りをした。
※※※※※
ユギトは権力を盾に横暴の限りを尽くし、陰湿で凄惨なイジメを行い、ハンナに恐怖を植えつけた存在が許せなかった。
ーー殿下……。クレア様との結婚を考え直すべき……です……。クレア様と殿下の婚姻は……この王国のためにはなりません。
衝撃的な初対面。
ボロボロに裂かれたドレス。
泥だらけの身体を震わせ、ポロポロと涙を流していたハンナ。
何が起こったのかは一目瞭然だった。
それでもなお、国を思い勇気を振り絞った伯爵令嬢にユギトは心を奪われた。
“わたくしはもう生きてはいけない”
泣きじゃくるハンナを抱きしめながら、ユギトは言いようとない使命感を感じていた。
絶望したハンナを救えるのは自分しかいない。
賢王と名高い父も優秀な兄もクレアを褒め称えるが、狡猾な『魔女の末裔』に騙されているのだと信じて疑わなかった。
無表情で何を考えているのかわからない。婚約者である自分の手すら握らず、ダンスすら踊らないクレア。
“おの女の目的は更なる権力を手にし、国を乗っ取る事に違いない!”
そう決めつけ、『この王国を守り、導くのは私なのだ』と決意した。
ハンナを庇護下に置き、労わりながらもクレアの“裏の顔”を調査する。
日に日に回復していくハンナからの、
ーー殿下、“上書き”して下さい……。
涙ながらの懇願。
ユギトはそれに応えた。
その最中にも感謝と謝罪を繰り返し涙を流し続けるハンナに、ユギトはクレアに対する憎悪を募らせた。
“どうすればハンナは安心できる?”
“どうすれば魔女から国を守れる?”
ユギトは懸命に思案し、導き出したのが面前での婚約破棄であった。
これまでの悪行を暴露し糾弾する。
自分や王国を欺き、このロメリア王国を我が物としようとした罪を償わせる。
『絶対に貴様を断罪してやる』
その一心だった。
「私が皆の目を覚ませてやるのだ」と「私が国を救った英雄なのだ」と、そう思っていた。
そうなるに違いないとも思っていた。
だが、ユギトの思惑通りには進まなかった。
ーー喜んで。
見た事のないような笑顔ですんなりと婚約破棄を受け入れ、颯爽と学園と去ったクレアの行動に全ての学生が呆気にとられて沈黙した。
ーーほら見ろ! 肯定したも同義だ!
そう叫んだユギトに向けられたのは、その場にいた学生たちからの「侮蔑」の眼差しと「沈黙」だった。
父である陛下には「なんて事をしでかしてくれたのだ」と叱責され、兄には「この愚弟め……」と殴られた。
クレアの兄である最年少で騎士団長に登りつめた“ライル”には、「次、顔を見せれば殺す」とまで言われ、ユギトには謹慎処分が言い渡された。
『魔女の末裔め……!!』
ユギトは全てをクレアと周囲のせいにした。“なぜ、わからないのだ?”と嘆き、ここまで掌握されていた事態に焦る事しかできなかった。
ーーユギト殿下は間違っておりません。なんでこんな事に……うぅ、わたくし、悔しいです!!
ハンナだけがユギトの味方だった。
ハンナだけがユギトの全てとなった。
※※※※※
ギュッ……
ユギトは震えるハンナの肩を強く抱いた。ハンナはユギトの頬に手を添えて、一つキスをしてから小さく呟く。
「……わたくしはユギト殿下のお側にいられるだけで幸せです」
まだ微かに震えている指先と濡れた瞳。
(諸悪の根源を絶たなければ……!!)
ユギトはクレアへの憎悪を増幅させた。
◆◆◆【SIDE:ハンナ】
隣で眠る“第二王子”に冷めた視線を向けながら、わたくしは衣服を身に纏い、ベッドから抜け出した。
カチャッ……
部屋に備え付けられていた最高級のワインとグラスを手に取り、窓辺のテーブルに腰掛ける。
ワインを口に含み、ゴクリと喉を鳴らして深くため息を吐く。
「……まったく。……まさか、ここまで“使えない”とはね」
スヤスヤと気持ちよさそうに寝ているユギト殿下を一瞥して、窓から王都を見下ろす。
このままでは更に不味いことになる。
人選をミスしてしまったのね……。これでは、わたくしにまで被害が及ぶのも時間の問題だわ。
わたくしは完璧に見誤っていた。
「ユギト殿下の婚約者であるクレア様」だからクレア嬢に人気があったわけじゃなかった。
「クレア嬢の婚約者であるユギト殿下」だから、ユギト殿下には人気があったのだ。
“優秀な父と兄に劣等感を抱き、子供じみた英雄願望を持つユギト殿下なら、簡単に手中に収める事ができる”
肩書きも人望も申し分ないユギト殿下。
それがクレア嬢のおかげだなんて思うはずもない……。
ーー『魔女の末裔』なのかしら。
ーー本当に気味が悪いわね。
ーー近寄らない方がいいわ。
ーーきっと呪われているのよ。
令嬢たちは幼い頃から、クレア嬢を敬遠し、嫌っていたはずだった。
それなのに……、
「……なんなのよ」
婚約破棄の断罪でクレア嬢を貶めようとする者は1人としていなかった。
それどころか、わたくしと殿下に向けられたのは怒りにも似た視線と沈黙。
自分がしくじった事に気がついた時にはもう遅かった。“横のバカ殿下”は空気を読む事なく、つらつらと自分たちの首を絞め続ける。
(ぬかったゎ……)
本来であれば、あそこで「複数人の証言者」が現れるはずだった。
「わたくしもクレア様から」
「わたくし、目撃した事があります」
「僕はクレア様に強要されて……」
ユギト殿下の発言に信憑性を持たせる事に抜かりはなかったはず……。
わたくしが制作した“中毒薬物”に抗えるとは考えにくい。
……おそらく、“何者か”に気づかれ対処された。あの場に来なかった者と口を開かなかった者がいる事が何よりの証拠というものだわ。
わたくしは王都を見下ろしながら、ギュッと唇を噛み締める。
この状況は非常に不味い。
“しくじったわたくし”に待っているのは……。
ゾクゾクッ……
考えただけで背筋が凍る。
わたくしは努力してきた。
ただでさえ美しいわたくしが、ブス共に媚びを売り、必死に“誰からも好かれるハンナ”を手に入れた。
“王家の一員”となっても苦労しないよう、礼儀作法は重点的に学んで来た。
ボロが出ないよう、常に神経を研ぎ澄ませている。
それなのに、ただ公爵家に生まれ、ただ少し容姿が良かっただけの女に、わたくしは“使われた”。
ーー喜んで。
クレア嬢は汚れのない綺麗な真紅の瞳を細め、全てを見透かしたように微笑んだ。
まるで、わたくしに“お疲れ様”とでも言いたげに……。
あの“魔女の瞳”が大嫌いだった。
あの瞳に涙を浮かべてやれると思っていたのに……。
わたくしは間違いなく敗北した。
でも、勝ち逃げは許さない。
そんなことが許されるはずもない。
何としてもあの女よりも上に……。
絶対に地べたを這わせてやる。
カチャッ……
月夜の王都に一羽のカラスを視認し、わたくしは震える手で窓を開けて夜風を頬に受ける。
(どうか挽回の機会を……)
カラスは真っ直ぐにわたくしの元に向かって来て、100メートルほどの位置を旋回して飛び回る。
わたくしは緊張しながら、スッと目を閉じて“定期報告”を待つ。
『今回は“魔薬”は必要ない。クレア・フォン・ヴェルファリスについて、詳しく聞かせろ。至急、屋敷に戻れ。会って話す』
頭に直接聞こえてきた言葉に、一瞬だけ眉を顰めてからニヤリと笑う。
報告の主は“裏社会の首領(ドン)”。
世界各国に根を張り、無数の名前を持つ男と言われている、“わたくしの大好きなお方”……。
プルプルプルプルッ……
歓喜に震えて仕方がない。
お咎めが無かったことにではない。
ロメリア王国では【闇金ギルド】の頭目を務める、『オルガ様』……、
『承知しましたわ、“お爺様”』
わたくしの祖父が動いたからだ。
バサッ、バサッ……
返事の思念を飛ばすと、カラスは月に照らされながら去っていく。
それを見つめながらわたくしは、たまらず「ふふふふッ……」と声を漏らしてしまう。
「あぁ……。わたくしは神に愛されているわ」
窓に映るわたくしは、とても悍ましくて、とても美しかった。
~~~~~
ある屋敷の一室。
初老の男は、タバコを吹かしていた。
散乱している“10億枚の紙切れ”は、血に濡れている。この異様な空気と異臭を放つ一室で、
「クククッ、絶対に手放さねえぞ、ロエル……」
『裏社会の首領(ドン)』は、無数の死屍の上でニヤリと笑う。その後ろには黒羽の幼女。その背格好はラファエルと酷似していた。
クレア・フォン・ヴェルファリスは知らなかった。“ロエル・ジュード”を、このタイミングで引き入れる事の意味を……。
それもそのはずだ。
この物語はクレアがロエルとの未来を手にするために、満を持して臨んだ“1回目”。
何度繰り返しても、『確実な未来』など存在しないのだから……。
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