SS2話 一人より二人。二人より三人。

 ――私には居場所が無かった。父親も母親も知らず、物心ついた頃には私は孤児みなしごだと気づいていた。


 佑香ゆかは児童養護施設で同じく両親を知らない連中と職員と衣食住を共にしていた。だが此処は自分の本当の家ではなく、高校卒業したら追い出されてしまう事を知っていた。


 何も見えない真っ暗闇目掛けて徐々に押し込まれている様に感じ、輝かしい未来なんて想像出来なかった。幼くして佑香は理不尽な自身の有様に絶望し、荒れに荒れ果てていた。

 時間が止まる事も無く、佑香は近くの小学校に入学する。その頃から同じ施設に居る佐奈さなと行動を共にしていた。今思えば傷を舐め合う仲間が欲しかったのかもしれない。親が居ないってだけでクラスメイトは明確に変な目で見てくるし馬鹿にしてくるからだ。


「ちょっと! 今日の当番はアナタでしてよ!! サボらないでちゃんとして下さいまし!!」


 丁度三年生位だったか、日頃から鬱陶しいと思っているクラスメイトの中でも一際気に食わない存在が居た。名前は京極院きょうごくいん絵里香えりか

 彼女は何処かの大企業の社長の娘らしく、いつも綺麗な服と髪飾りを身に纏っていて自分には絶対に手に入らないモノを与えられている、言わば生まれながらにして恵まれている側の人間だ。


「……話しかけんじゃねぇよクソが」

「まぁ何ですのその乱暴な言葉遣い!? の顔を見てみたいものですわね!」


 恐らくその時の絵里香は佑香の事情を知らなかったのだろうが、言ってはならない言葉を言ってしまった。


「てめぇええっ!!」

「きゃああっ!?」


 ――気が付けば身体が熱くなり、気が付けば弁償出来そうにない服を掴んでおり、気が付けば将来有望なお嬢様を壁際に押し込めていた。


「何してるの! やめなさい!」


 丁度教室の前を通りかかっていた教諭が騒ぎを察知し、慌てて駆け付けて佑香と絵里香を引き離した。だがそれで彼女の怒りが治まる筈も無い。自身のプライドを踏み躙った金持ちのクソを一発殴ってやろうと腕の中で藻掻くも大人の力の前では為す術ない。自身の無力さを知った佑香は意地になって必死に涙を堪えながらずっと絵里香を睨んでいた。


 その後、自分は施設出身という事もあってかロクに弁解を聞く事も無く、教諭から人格を否定する様な言葉で詰られる羽目になった。


 ――やはり人生はクソだ。こんなクソみたいな人生でしか生きられないなら、産まれてくるんじゃなかった。


 大きな溜息を吐いていると、廊下に絵里香が立っていた。まるで此方を待ち伏せていたかのように。


「……その、ワタクシ、その……」


 誰も居ないこの状況なら一発位殴れるだろう。だがそんな事をしたってこの人生が逆転する筈も無い。佑香は何もかもが虚しくなってしまい、彼女の呼びかけも無視して素通りしていった。


「……クラスメイトの方から聞きましたわ。アナタ、ごりょーしんが居ないって――」

「……悪いかよ」

「……ごめんなさい!!」


 ――ごめんなさい? 今、コイツは私に謝ったのか? 何を考えているんだ?


「ワタクシ、アナタのこと何にも知らないのにヒドいこと言ってしまいましたわ……! 本当に、ごめんなさい!!」


 ますます分からなくなった。両親が居ない事を馬鹿にするような連中しか居ない筈なのに、この女はそれらに該当しなかった。


「っ!」


 どうしていいか分からず、佑香は振り返る事もせず走り去っていった。只管に、無我夢中に。彼女が見えない場所まで。


「……どしたの?」


 全力疾走し、肩で息をしていると佐奈が話し掛けてきた。彼女は汗だくになっている姿を見るなり怪訝そうにしていた。


「……何でもない!」

「何でもない事ねーだろーがよー」

「うるさい今話しかけんなっ!」


 そうだ。簡単に心を許してはならない。きっと、心の何処かでは孤児の屑だって虚仮にして嘲笑っているのだから――。心の中で何度もそう言い続けながら佑香は平常心を装いながら施設へと戻っていったのだった。



「理科準備室はそちらではありませんわ!」

「るっせぇ! ついてくんな!」

「まだペアを組んでいないのであればワタクシが組んで差し上げますわ!」

「頼んだ憶えねぇよ!」

「お野菜も食べないと栄養が偏りますわ! さ、ワタクシが食べさせてあげますわ!」

「おめーは私の何なんだよ!」


 普段から変な喋り方で喧しい事ばかり誰彼構わず口走っている絵里香だったが、あの日以来佑香にばかり食って掛かる様になっていた。

 授業をサボろうと抜け出そうとすれば執拗に追い掛けられ、体育の時のペア組では引く手数多な筈なのに真っ先に組むように付き纏われ、給食の時には嫌いな野菜を食べさせようとするしで、正直な所うんざりしていた。


「ひゅ~、モテモテじゃん。あの女ソートーな金持ちみたいだし、いっその事付き合ってみたら?」

「ふざけた事ぬかしてんじゃねぇぞボケ殺すぞ」


 そんな二人を茶化す佐奈に対し、佑香は心底苛立っている様子で殺意を剥き出しにする。色々と対照的ではあったが、それ故に上手い事ツルんでいけているのかもしれない。


「見つけた! ちょっとこっち来なさい!」


 いつもの様に居心地が悪い学校での退屈な授業を何とかやり過ごし、いつもの様に佐奈と一緒に仮初めの自宅へと帰る。何も変わらない日常の筈だった。それを打ち砕く様に担当教諭が呼び止めて来た。

 いつも何かと口喧しく鬱陶しい存在であったが、今日は一段と鬼気迫る表情で追い掛けてくるものだから佑香達は思わず気圧されて怯んでしまった。追いつくや否や二人の腕を思い切り掴んで何処かへと拉致していく。


「……正直に言いなさい!! 貴方達が盗んだんでしょう!?」


 佑香と佐奈は先生以外誰も居ない教室の丁度真ん中の席に座らされた。何が何だか分からないままに中年の女教師は目と鼻の先まで顔を近付けて睨みつける。

 話を要約すると、クラスメイトの女子の財布が無くなったらしく、教諭は五時間目の体育の授業でサボっていた佑香と佐奈が犯人に違いないと考えている。だから今この場で白状させようとしている。無論、佑香に全く身に覚えが無いし財布の存在を初めて知った程だ。


「盗んでねえって言ってんだろーが!」

「貴方達以外に誰が居るって言うの!?」

「だから知らねーよ! 勝手に私らだって決めつけんな!」


 身の潔白を主張し続ける。此処で根を上げたら負けてしまう事になるからだ。押し問答が繰り広げていく中、女教師は大きな溜息を吐いた。


「人からものを盗んだり嘘を吐いたり……やっぱり親が居ない子ってのはこれだから――」


 その言葉を耳に入れた瞬間、佑香は咆哮を上げながら身を乗り出して殴りかかろうとしていた。隣に居た佐奈が取り押さえようとしていたが、怒り狂う彼女の馬鹿力を御する事が出来ず、引き離された。


「お辞めなさいッ!!」


 渾身の一撃は女教師の顔面に届かなかった。代わりに飛び出してきた絵里香の掌に打ち込まれ、教室内に破裂音が轟いた。


「……先生。お財布をくすねた犯人は隣のクラスの方でしたわ」

「……えっ、嘘……そんな……嘘でしょう!?」


 思わぬ事件の解決に今まで散々疑り掛けていた女教諭は露骨に動揺していた。その情けない姿を目の当たりにした佑香はすっかり毒気を抜かされた。


「先生、この子達に何か言う事が有るんじゃないですの?」

「……ふっ、普段の行いが悪いから疑われるんでしょう!?」

「痴れ者がッ!!! 悪い事をしたら謝る!! 大人のアナタがそんな事も分からないのかッ!!」


 お淑やかに振舞っている彼女からは想像の付かない怒声のあまり、逆上していた教諭は勿論の事、被害者側であった佑香と佐奈も思わずたじろいでしまった。


「も、もういいよ別に……。な、なぁ?」

「う、うん。犯人じゃないって分かってくれたみたいだし……」

「あらいけないワタクシとした事がはしたない……オホホ……」


 何十歳も下の子供に怒鳴られ放心している教師が何だか哀れに思えてきて、佑香達は不本意ながら加害者を庇う形で絵里香を止めた。彼女も思わず熱くなってしまっていた様で少しばかり恥ずかしそうに赤面していたのだった。



「……あら、鳥嶋。傷が痛みますの?」

「……いえ。昔の事を思い出しただけです」


 交通事故に遭っていた鳥嶋佑香は絵里香達が面会に来ていた時にが意識を取り戻しており、ベッドから身体を起こして黄昏ていた。目立った外傷も殆ど無く明日にでも退院出来る、との事らしい。無駄になってしまった見舞いの果物を置いて、牧瀬佐奈は相棒と共に夕日を眺めた。


「……そう言えば私達が出会って大分経ちますね」

「そうですわね。あの頃と比べたらアナタ達も立派になりましたわ」

「とんでもない。車に跳ねられた位で死に掛けてるようじゃまだまだです」


 頓珍漢な事をぼやく鳥嶋に思わず絵里香と牧瀬は可笑しそうに笑ったのだった。何故笑われているか分からず、佑香は不機嫌そうに眉を顰めたのだった。

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