第7話 記憶のフラグメント
紗希と望が続いて向かった先はキャリアショップである。店舗のエントランスには店員が待ち構えており、スマートフォンの購入と新規契約の旨を伝えるとスマートフォンのサンプルが置いてある売り場まで案内してくれた。
「紗希。これとか分かりやすくていいと思います」
「それ年寄りが使う機種じゃない。この最新モデルとかにしときなさいよ」
「そんなハイテクなもの、俺には使いこなせませんよ?」
「大丈夫だって! 使っていけば分かっていくモンだから!」
紗希は
長く面倒くさい料金プランの説明も省いて貰った事でトントン拍子で契約手続きが進んでいく。その際に本人確認書類が必要であったので、望は自身の個人番号カードを提出した。
「へぇ、マイナンバーカード持ってるんだ」
「ええ、これは保険証? ……代わりにもなるって旦那様が言っていましたね」
「そういや来年の冬くらいに全部紐付けされるんだったっけ」
そんな他愛無い会話を繰り広げている間に望個人のスマートフォンが届いた。初期設定も済ませてあり、液晶保護フィルムも貼って直ぐに使える様にしてくれていた。
望は所有物となった新しいスマホに対して未だに実感が湧いていないのかまじまじと眺めてるだけで動かなくなっていた。
「ほら、ちゃっちゃと行くよ!」
痺れを切らした紗希は男の袖を掴んで立ち上がらせ、そのまま手を引いて店を後にした。時刻は十二時を過ぎており、小腹も空いてきたしで昼食には丁度良かった。其処で彼女はちょっとした悪戯を望に仕掛けてみる事にした。
「……望。イタリアンと中華とお寿司、どれがいい?」
「俺は別に何でも——」
「いいから早く決めなさい」
「……ではイタリアンで」
「やっぱアンタ分かってるじゃない! イタリアン以外選んだらどうしようかと思っていた所よ!」
以前、望はまるで人の心を読んでいるの様に先手を打って給仕をしていた。もし本当に心が読めるのならば今の選択肢でも当たりを狙えるのではないかと試してみたら正確に射抜いたので紗希は思わず感嘆の声を漏らした。
「本当に心が読めるんじゃないの?」
「まだまだその極致には達していませんよ。……さぁ、どうぞ中へ」
またはぐらかされた様な気がするが、そんな事よりもいい感じの雰囲気を醸し出しているリストランテの本格的なイタリア料理を早く堪能したい気持ちが強かった。紗希は望に導かれるままに入店した。
※
「……うん! やっぱ私の目に狂いは無かったわね!」
前菜も申し分無く、パスタや肉料理、サラダといったフルコースは贅沢三昧で肥えた社長令嬢の舌を満足させる味であった。
紗希が純粋に食事を楽しんでいる一方で望はというと、料理の匂いを嗅いではメモを取り、一口食べて咀嚼しては追記したりと、胸ポケットに入れているメモ帳に何かを
「……アンタねぇ、イチイチ調べなきゃ気が済まないワケ?」
「申し訳ありません。癖みたいなものです」
望の癖、それはありとあらゆる料理に対して丸裸にする事。彼の研ぎ澄まされた味覚と嗅覚の前には何も欺く事は出来ない。食材は勿論の事、調味料や香辛料まで徹底的に調べ尽くされてしまうのである。
「……大体分かりました。これなら作れそうです」
「何でそういうのが出来てスマホの操作が出来ないんだか……」
驚異的な身体能力、驚異的な感覚機能、そして驚異的な戦闘能力。一緒に暮らせば暮らす程に彼が何者なのか分からなくなってくる。今は記憶喪失という事もあり風間家の保護下に置かれているが、記憶を失う前は一体何をしていたのだろうか。
ティラミスとアッサムティーを堪能しながら紗希は望の今後について今一度確かめてみる事にした。
「……望はさ、記憶を取り戻したいと思ってる?」
「……申し訳ありません。よく、分からないです」
「分からない?」
「……ええ。記憶を取り戻したいと普通なら思うのでしょう。……ですが記憶を取り戻した事によって俺は途轍もなく後悔してしまうのではないか、とも考えています」
少し目を伏せながら望は答えた。記憶喪失によってがらりと人格が変わってしまった事例がある事を紗希は思い出した。
もしかすると本当は脛に傷を持っている人間なのかもしれない。だからといって今更捨てるなんて事は決してない。目の前に居る風間望は忠実で最高の
「じゃあ望のやりたい様に思い出していけばいいんじゃない? 思い出そうが思い出すまいが生活に支障は無いみたいだし」
「……紗希」
「それに過去に何かあっても関係無いわ。アンタの命は私が握ってるんだから。……何の問題も無いでしょ?」
「……ええ。とんだ杞憂でした。やはり貴方こそが俺の主だ」
さっきまで不安そうだった表情が一気に晴れ渡り、望は朗らかな笑みを見せてくれた。つくづく単純なんだから、と紗希は少しばかり苦笑した。
「さ、今日一日とことん付き合って貰うわ。私もまだ見たい物もあるし、望も何か見ておきたいものがあるなら遠慮せずに言いなさいよ」
「畏まりました。最後までお供させて下さい」
紅茶を飲み干し、紗希はお会計をする為にウェイターを呼んだ。差し出された伝票に書き留められた額を見た望はまたしても面食らっていたのであった。
※
「はぁ~買った買った! こんなに店を回ったのは久々!」
夕暮れ時まで紗希は様々な店を見て回り、気に入ったバッグや靴を片っ端から買っていった。総額いくら使ったかは把握し切れていないが、
「そういえば何処にも店に回らなかったし何も買わなかったけど大丈夫なの?」
「……ああ、俺の事は気にしないで下さい。少しばかり紗希が言っていた普通について考えなければいけませんので」
「ほんっとアンタってカタいわねぇ。休みの日は少し位パーッと羽目を外す! これこそ普通ってヤツなのよ!」
「そうなのでしょうか? ……そうなのでしょうね」
少し考えた後に納得した望は一笑した。流石に歩き疲れたので紗希は電車を使わずタクシーを使って家に帰る事にした。
初めて利用したタクシーは存外乗り心地は良く、車体の揺れも殆ど感じなかったので認識を改める必要があると紗希は快適な車の旅を満喫した。
「……どう? 望は楽しかった?」
「ええ。とても有意義な時間でした。……これを」
そう言って望はポケットから丁寧にラッピングされた箱を差し出してきた。ゆっくりと包装紙を解き、中を開けてみるとパステルピンクのハンカチが入っていた。
「申し訳ありません。去年の誕生日プレゼントが遅れてしまいました。紗希にとっては下らない品物かもしれませんが、俺からも何か渡したくて……紗希?」
—―何故だろう。顔の火照りが抑えられない。ああ、駄目だ。口角が吊り上がる。何だろうか。この胸の高鳴りと気恥ずかしさは。駄目だ駄目だ。コイツの事だ、また揶揄ってくるのだろう。平然を装い、主人らしく優位に立たなければ。
「ばっ……バーカ!! 何格好つけちゃってんのよ!! こんなの貰ったって別に嬉しくとも何とも思ってないんだから!! ま、まぁ!? 仕事以外ダメダメなアンタが必死になって選んだってワケだし!? この色とかなかなかセンスあるし!? 使ってやらんでもないわねぇ!?」
「……喜んでいただけたのなら幸いです」
「ヨロコンデないし!!!」
騒々しい二人の様子をバックミラー越しに覗き見ていた運転手は付き合いきれない、とばかりに溜息を吐いていたのであった。
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