第5話 優しい心
敵性存在を瞬く間に排除した望はボロボロになっている紗希を抱えて夜道を歩いていた。彼曰く、義之は紗希が誘拐されたと知るなり直ぐに家へ引き返し、一秒一刻を争う様にケースに札束を詰め込んでいたらしい。
望は勘付かれない様に義之を尾行し、公園で犯人と取引している最中に殺意を察知したので身柄を捉え、虚偽の連絡をさせてから残りの仲間の居場所を吐かせたのだそうだ。
「用済みとなった不埒者を処分しようとした時、旦那様もお嬢様と同じ御命令を下しました。殺すな、と。殺そうとしていた者にさえ情けを掛けるなんて、やはり旦那様とお嬢様は親子の様ですね」
「……私なんか、パパの子に相応しくない——」
「俺はそうは思いません。お嬢様は大変清らかでお優しい心の持ち主です。旦那様はそんな素晴らしい御息女を拒む方では決してありません」
—―どうして。どうして。どうしてそんな心にも思っていない事を言うの。私には褒められる資格なんか……。
「俺は知ってますよ。お嬢様の事を」
そう言い掛けた時、望は先手を取るかの様に語り始め、喉まで出そうになっていた紗希の言葉を遮った。
「本当は寂しがり屋で繊細で傷付きやすい。だから強い言葉を使って脆い心を覆い隠そうとする。……
紗希は絶句した。まるで心臓を直に掴まれた様な感覚だった。言葉にされると実際その通りで本来ぐうの音も出ない程であったが何となく腹が立ったので言い返してやろうと必死に反撃の言葉を紡いだ。
「は……はぁぁぁ!? 違いますケド!? 私、そんなんじゃないんですケド!? 全っ然違うから!! テキトーなコト言わないでくれる!?」
「おや、そうでしたか。……では、そう言う事にしておきます」
悪戯めいた笑みと共に軽く遇われてしまった。おちょくられた紗希は不服そうに顔を膨らませた。
「……本当に優しくて、純粋な方ですよ。お嬢様は」
「私は優しくなんか——」
「優しくなければ見ず知らずの人間の命なんて助けません」
「……!」
望は朗らかな笑みと共に続ける。浜辺に打ち上がっていて死に掛けていたあの時の事を言っているのだろう。
「死んでいた筈のこの命。心優しいお嬢様が救って下さいました。だから俺の命はお嬢様の物です」
「そんな大袈裟な——」
「貴方が死ねと命じたら喜んで死にましょう。――そして、貴方が殺せって言うなら神でも悪魔でも殺しますよ」
大仰な台詞を何の恥ずかしげも無く口走る。ハッタリだと感じないのはさっきまで見せてくれた大立ち回りの所為だろう。
自身を攫った悪党達と同じ様に躊躇無く人を殺す事が出来る人間なのだろう。本当はそんな危険な人間に対して恐怖するべきなのだろう。だが、不思議と紗希は恐怖を感じなかった。寧ろ、安心感を感じていた。
「……ずっと私の傍に居てくれる?」
「勿論。ずっと傍に居させて下さい」
「……約束、破ったら殺すけどいいの?」
「ええ。その時は何なりと殺して下さい」
ぽっかりと開いていた紗希の心の穴が塞がった。例え正体が悪魔だろうが極悪人だろうが関係無い。風間望を手離したくないと想った。この暖かい感覚をもっと堪能したく、少女は男の胸元へと頭を埋めた。
※
「パパ!!」
「紗希!!」
屋敷に戻ると玄関前で義之とソーニャと使用人達が待ち構えていた。怪我も無くいつもの父の姿が見えた。いつもと違う所を挙げるとするならば、常日頃から険しい顔をしているのに涙を流している所だろう。
望から降りた紗希は直ぐに義之の元へ駆け寄り抱き締めた。父もまた、それ以上に強く抱きしめ返してくれた。そんな二人を嬉しそうにソーニャは吠え回っていた。
「パパ……!! 大嫌いなんて言ってごめん……!! 本当はパパの事、大好きだよ……!!」
「私もだ紗希!! お前が死ぬなら私も死ぬつもりだった!! 紗希の居ない世界以上に怖いモノなんて無い!!」
義之は日本を代表する企業のトップなのに外聞を捨てて号泣している。いつも使用人に対して偉そうな態度を取っているのに凄く情けない姿を晒している。それだけでも父は自分の事を大切に想っているのだと知る事が出来た。
「……さ、アンタ達! 誕生日会の準備なさい! 今年は忘れられない最高の夜にするわよ!」
涙ぐんでいたメイド長が両手を叩いて先に部下達を屋敷へ戻した。そして誰も居なくなったと知るや彼は低く逞しい声で大泣きしていた。
「……メイド長、俺達も行きますよ。いい加減泣き止んで下さい」
「わがっで……わがっでるわよっ……!! うおおおおおおん!!」
メイド長こと
※
「……それで欲しい物は何かあるか? 言ってくれたら近い内に用意しておくぞ」
久方振りの二人での御馳走を食べ終え、義之は紗希に問い掛けた。今欲しい物は特に思いつかない。ふと後ろでボトルを持って待機している望の方へと振り返った。
「……パパにお願いがあるの」
「何だ? 何でも言ってみなさい」
「私、普通の女の子として生きてみたい!」
今一つ要領を得ていないのか義之は困惑した表情を浮かべていたので紗希は話を続ける事にした。
「私ね、今回の件でよーく分かったの。私の心が弱いから、私の所為でパパや望や皆の事心配掛けて、迷惑掛けて、傷付けちゃった」
「紗希。私は迷惑だなんてこれっぽっちも……」
「で、修行のつもりとしてこの家を離れて生活してみたい! 私、変わりたい! パパと会えなくても大丈夫な位強くなりたい! 駄目、かな……?」
「……駄目だと言っても聞かないのだろう? ……好きになさい。出来得る限り私も手伝おう」
義之は大きな溜息と共に了承した。何処か不安そうにしていたが、何処か嬉しそうにもしていた。そんな事も知らずに紗希は一人で大喜びしてた。
「しかし、一人暮らしなんて大丈夫か……? 家事なんて一度もやった事無いだろうに……」
「心配しなくても大丈夫! 望とソーニャも一緒だから!」
「な!? そ、それは聞いていないぞ!! ソーニャは兎も角、男と二人暮らしなんて駄目だ!!」
「えー? パパも知ってると思うけど望ってメチャクチャ強いんだよ? 私のボディーガードにはうってつけでしょ?」
望の働きによって助けられていた義之は何も言えなかった。また同じように危険な目に遭った際には必ず救い出してくれるという説得力が男には溢れ出ているからだ。苦虫を噛み潰した様な顔と共に義之は渋々了承していた。
諸手を上げて紗希が喜んでいると、義之は勢い良く立ち上がり、早足で望の方へ近寄るとそのまま胸倉を掴んで鋭い目で睨み付けた。
「風間望!! いいか!! 少しでも紗希を傷付けたり泣かせたりする様な事をしてみろ!! 私がキサマを殺してやるからな!!!」
「……旦那様。それは犬が西向きゃ尾は東と言う話で——」
「分かったな!!!」
「わ、分かりました……」
刃物を持った暴徒相手にも一切物怖じしなかった望が義之の剣幕に気圧されていた。男の覚悟を確かめ終えた父は大きく息を吐いてから振り解くと、ゆっくりと席へと戻っていき、グラスに注がれていたワインを一気に飲み干した。
「……というワケで、アンタは命に代えても私を護りなさい。いいわね?」
「仰せのままに、お嬢様」
「あぁ、そうそう。アンタは特別に紗希って呼ばせてあげる」
「滅相な。お嬢様にそんなの恐れ多い——」
「いいから紗希って呼びなさい!! お嬢様ってつけるの禁止!! 呼び捨て以外認めないから!!」
「……分かりました、紗希」
こうして紗希は望とソーニャと一緒に豪邸から遠く離れた一軒家に引っ越し、中高一貫の名門校から普通の公立高校へと転入した。最初こそ慣れない事ばかりで戸惑う日々だったが、次第にこんな日々も悪くないと感じていた。
「風間さん? どうしたの?」
「……なんでもない!」
—―私の物語は始まったばかりだ。まだまだこれからだ。
紗希は未知なる未来へと臆する事無く走り出したのであった。
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