Day28 方眼
「べべさん……いや、テツゲンから壺をもらう前から私のいのちは減っていましたよね。でも、あの壺に獏が宿っていたのではないのですか?」
旅人は琥珀色の紅茶の入ったティーカップを片手に質問を投げかけた。
「壺はおそらく獏の依代のようなものですね。獏の本体は死者の国で我々が来るのを待っていたのでしょう」
宿泊客の目の前であることにも全く頓着しない様子で、イガタが遠慮なく紅茶を啜りながら答える。
旅人、イガタ、カイエダ、ユメの四人は、今、ホテルトコヨのラウンジのテーブルを囲みながら、ミヤマの淹れてくれた紅茶をのんびりと味わっていた。
「獏はなぜ旅人様に目をつけたんでしょうか?」
今度はカイエダが質問した。
「カイエダ君……死者と生者の世界の境がなくなった夜があったのを覚えていますね?」
「あっ七夕の夜の冥婚婚活パーティー……確かにあの夜、旅人様に執着しているような雰囲気の霊を見かけました」
「それが獏だったのでしょう。そして、ホテルトコヨの動静を探っていたテツゲンは獏に近づき、我々を陥れる計画を考えついたのです。思えば、七夕の次の日、七月八日からベベが宿泊し、旅人様のいのちも減っていきました。べべ……テツゲンを三◯二号室に泊めてしまったのもまずかったですね」
「私のいのちは結局、テツゲンに盗まれていたのですか?」
「そう考えることもできますが、そもそもテツゲンにそれだけの力があるかどうか……。思うに、死者の国にいる獏が念力で少しずついのちを抜き取っていたのかもしれません」
「旅人様のいのちが死者の国に転送されていた……ということでしょうか?」
今度はユメが首を傾げながら訊いた。
「ええ、そういうことでしょうね。けれど、旅人様はトワ様の想像が作り出した、言わば架空の存在……旅人様のいのちの核は、旅人様の無意識の中に引き継がれたトワ様の記憶になります。旅人様の記憶が戻らなければ獏は旅人様のいのちを食べることができない、あるいは、食べてもまずいのだと思います」
「イガタさんが私の記憶が戻るのを邪魔していたのはそういうことだったんですね」
「ようやくお分かりいただけましたか」
イガタは細い目をさらに細めて旅人ににやりと笑いかけた。
「ホテルトコヨが海の旅に出たのは死者の国にいるトワ様をお迎えに上がるためでした。けれど、死者の国には獏も待ち受けていた……」
「確か、獏は、呼ばれた……と言っていたんですよね? それでは、獏を呼んだのはテツゲンだったんですね」
ユメが納得したように頷いた。
「じゃあ、獏が仮面の女の姿になっていたのは……」
「旅人様のいのちの一部に微かに混じった記憶を元にしてトワ様に化けていたのでしょう。けれど、記憶が不完全だったので、トワ様のお顔を再現できず、仮面を被っていたのだと思います。」
旅人は仮面の女の灰色の瞳を思い出す。考えてみると、死者の国で目玉占いをやったことがきっかけで、旅人の中のトワの記憶が僅かながら蘇ったような気がする。そこを獏につけ込まれたのだろう。目玉占いに誘ってきたのはべべだ。おそらく偶然ではあるまい。
「獏が一度は奪っていたはずのいのちを返して爆発させたのは……いのちのエネルギーを利用して、テツゲンとの約束通りホテルトコヨを異次元に飛ばすため、そして、旅人様の記憶を完全に蘇らせた上でいのちに取り込んで食べるため……というわけですね」
「ほう……珍しく冴えていますね、カイエダ君」
「珍しく、は、余計ですよ」
カイエダは不服そうに唇を尖らせる。
「おかげさまで今までに起きた事の全貌がなんとなく分かってきました」
旅人はそう言って空のティーカップを置いて立ち上がった。
「おや、お部屋に戻られるのですか?」
「はい……少しやりたいこともありますので。失礼します」
旅人はイガタ達に一礼した。
「どうぞ、ごゆっくりお過ごしくださいませ」
イガタは、いつものように、優しげにも怪しげにも見える不思議な微笑を浮かべていた。
二◯一号室に戻った旅人は、デスクの前に座り真新しい手帳を広げた。
まだ何も書かれておらず、小さな方眼の升目が規則正しく並んだページを旅人は愛おしげに見つめる。
旅人はペンを取った。
ホテルトコヨで過ごした日々、出会った人達、起きた出来事を記録するつもりだった。
そして、これから続いていく旅の事も……。
手帳に書かれた旅の記録は、いつかまたトワと再会した時にきっと役に立ってくれるだろう。
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